- 著者
-
吉村 尚久
- 出版者
- 日本粘土学会
- 雑誌
- 粘土科学 (ISSN:04706455)
- 巻号頁・発行日
- vol.42, no.3, 2003-03-28
本学会元会長,秋田大学名誉教授本多朔郎先生は2002年(平成14年)12月17日大腸ガンのためご逝去されました.76歳でした.心から哀悼の意を表する次第です.本多先生は新潟県柏崎市西山のご出身で,旧制柏崎中学から第四高等学校を経て,1947年(昭和22年)東京大学理学部地質学科に入学され,須藤俊男先生のご指導で日立鉱山のセリサイトについてご研究になり,1951年(昭和26年)3月同学科を卒業されました.同年6月,新制大学とした発足してまもなくの秋田大学鉱山学部に赴任され,1991年(平成3年)3月定年でご退職になるまで,10年以上秋田大学でご研究に従事されると同時に学生教育にあたられ,多くの人材を育成されました.その間,学部長や附属研究施設長,鉱業博物館長などを歴任され,大学の管理運営にも当たってこられました.秋田大学に赴任されてから秋田県下の粘土鉱床の研究を始められ,1960年(昭和35年)には「秋田県下の粘土鉱床の地質学的並びに粘土鉱物学的研究」としてまとめて,東京教育大学から理学博士の学位が授与されました.その後,東北地方各地の工業用鉱物資源の調査研究に従事され,粘土のほか,沸石岩,珪藻土,パーライトなどの非金属鉱床について詳しい記載をされ,それらの成因をまとめられると同時に,開発や利用について多くの提案をされて多大な貢献をされております.このことは基礎科学と産業を結びつけるものとして特筆されるべきことです.1968年にはアメリカ合衆国で地熱変質の研究にたずさわれ,帰国後わが国の地熱の開発と研究にもあたられ,指導的役割をはたされました.1982年(昭和57年)には科学研究費で総合研究「天然ゼオライトの産状と生成条件」を組織され,天然ゼオライトの研究に大きな貢献をされました.本多先生はベントナイトなど粘土鉱床の母岩である凝灰岩は粘土化に先立ってゼオライトが生成していることを詳細な野外調査,綿密なサンプリング,それら試料の走査電子顕微鏡観察などから明らかにされ,続成作用の役割を重視されました.学界における活動としては関連する学会の役員としてご活躍されましたが,特に日本粘土学会では学会発足の当初から7期14年にわたって評議員として運営に多大なご尽力をされるとともに,1988年(昭和63年)には会長として学会の発展のために指導力を発揮されました.先生と親しくしていただいたのは,私が新潟大学に赴任して間もなく日本粘土学会総会・討論会を新潟大学で開催したときに,先生ご自身から柏崎の西山ご出身だとお聞きしてからだと記憶しています.それ以後,学会や粘土鉱物やゼオライト関係の総合研究会でたびたびお会いしていますが,先生はご講演の最初にフィールドの詳細な調査にもとづいた鉱物の詳しい産状を必ずと言って良くお話しされるので,「地質屋」だなと思ったものです.新潟大学の学生巡検のご案内をお願いしたときも,露頭スケッチつきの懇切丁寧な案内書までつくっていただき,恐縮しだほどです.わりとお話し好きで,温厚なお人柄とともに,説得力のあるお話しには得がたい教訓になっていることが多かったように思います.数年前,本多先生から閉山した黒鉱鉱山のボーリング試料をいただいて調べご報告したことがあり,まとめて発表する手はずになっていましたが,果たすことができず申し訳ないと思っています.告別式は昨年末の12月26日に秋田市で行われました.心からご冥福をお祈りいたします.ご遺族は秋田市手形十七流106-1にリヱ夫人がおいでになります.