著者
土場 学
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.44, no.3, pp.314-329, 1993-12-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
20
被引用文献数
1

現代社会の高度の複合性を支えているのは、権力や貨幣と並んで、愛というメディア (シンボルによって一般化されたコミュニケーション・メディア) である。本稿の目的は、ルーマンのメディア論に基づいて、産業化あるいは近代化の名のもとにくくられる社会変動のなかで愛というメディアが果たした役割を明らかにすることであり、またそれにより「社会変動のメディア論的モデル」の可能性を開示することである。そのさい、社会変動のメディア論的モデルは、従来の社会変動論のようにミクロ・レベルあるいはマクロ・レベルのいずれか一方に一貫して変動のメカニズムを想定するのではなく、むしろミクロとマクロを連結するメカニズムとしてのメディアに理論的焦点を当て、そのメディアを機能させる意味空間 (ゼマンティーク) に生じた「ゆらぎ」が社会変動をもたらす、という発想に基づく。本稿では、この社会変動のメディア論的モデルに基づいて、産業化あるいは近代化を特徴づける重要な社会変動の一つである「近代家族」の成立の過程を、愛というメディアの自律化の過程として説明することを試みる。そしてそこにおいて、愛というメディアのゼマンティークの歴史的変遷が、少しずつ、しかし着実に近代家族の成立のための条件を整えてきたことを明らかにする。
著者
土場 学
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.221-230, 2007-09-30 (Released:2010-04-01)
参考文献数
20
被引用文献数
1 1
著者
土場 学
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.302-317, 1998-09-30 (Released:2010-04-23)
参考文献数
23

女性研究と男性研究を統合するものとしてジェンダー研究というアイデンティティが確立しつつある。しかし, この女性研究と男性研究がどのような意味でジェンダー研究として統合できるかということは今のところ曖昧なままにされている。しかしながら, 女性/男性研究 (運動) を誘導する「解放のパラダイム」の基本的論理を明らかにすることによって, それらの関係を簡潔に整理することができる。すなわち, この解放のパラダイムは, 大きく三つのタイプ-ジェンダー統一化のパラダイム, ジェンダー分断化のパラダイム, ジェンダー相対化のパラダイム-に分類することができる。そして, まず, ジェンダー統一化のパラダイムのもとでは, 女性/男性研究は, それぞれそのパラダイムのレベルで統一化されることで, それぞれのアイデンティティで閉じるよりは, ジェンダー研究というアイデンティティを確立しうる。 また, ジェンダー分断化のパラダイムのもとでは, それぞれそのパラダイムのレベルで分断化されることで, それぞれのアイデンティティで閉じ, ジェンダー研究というアイデンティティは確立しえない。さらに, ジェンダー相対化のパラダイムのもとでは, それぞれそのパラダイムのレベルで相対化されることで, それぞれのアイデンティティで閉じることも, ジェンダー研究というアイデンティティを確立することもできない。また系譜的に見ると, 「ジェンダーからの解放」のパラダイムは, ジェンダー統一化のパラダイムのもとで自立化し, ジェンダー分断化のパラダイムのもとで自閉化し, ジェンダー相対化のパラダイムのもとで自壊化するという否定弁証法的なダイナミズムを展開してきた。そして今やそれは, その解放の理念の出発点に立ち戻ったと見なすべきであろう。
著者
土場 学 渡部 勉
出版者
数理社会学会
雑誌
理論と方法 (ISSN:09131442)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.197-205, 1998-06-15 (Released:2016-08-26)
参考文献数
1

現代社会学において数理社会学の地位を確立した最大の功労者の一人であるトーマス・J・ファラロが、自らの学問的営為の集大成として『一般理論社会学の意味』をまとめあげた。本書の目的は、一般理論社会学を社会学における包括的な研究伝統として定義したうえで、そこにおいてこれまで並行的に展開してきたシステム思考、行為理論、構造主義の三つの下位伝統が現在「統―化のプロセス」にあることを指摘しつつ、そのことを生成的構造主義という構想のもとでフォーマル・モデルとして示すことにある。そのさい、ファラロの構想では、社会学の伝統的な行為理論と構造理論、ミクロ・モデルとマクロ・モデルが生成的構造主義のもとで調和的に統合される、ということになる。しかしながら、こうした構想は、行為と構造という構図のもとで社会学においてつねに問題にされてきた「循環」の問題を、ほんとうの意味で解決することにはならない。なぜなら、こうした循環の問題は、じつは従来の行為理論も構造理論もともに共有していた行為と構造の実体論パラダイムに由来しているからである。したがって、もしいま一般理論社会学がミクロとマクロの「統―化のプロセス」のただなかにあるとしても、それは従来の行為理論と構造理論の「収斂」のプロセスではなく、むしろそれらの「解体」のプロセスを意味しているはずである。ファラロの構想する生成的構造主義の問題は、根本的には、そうした認識を欠いていたところにある。
著者
土場 学
出版者
九州大学大学院比較社会文化研究科
雑誌
比較社会文化 (ISSN:13411659)
巻号頁・発行日
no.2, pp.27-36, 1996-02-20

ポストモダン・フェミニズムは,近代西欧の認識論,すなわち合理性/非合理性の二項対立を中軸とする合理主義的な認識論を,じつはそれが男性性/女性性の二項対立を中軸とする男性主義から生成されたものとして拒斥する.そのさい,ポストモダン・フェミニズムは,ポストモダニズムとフェミニズムの関係を,ポストモダニズムはフェミニズムにロゴセントリズムからの脱却の糸口を提供するに対し,フェミニズムはポストモダニズムにファロセントリズムからの脱却の糸口を提供する,という相互補完的な関係として捉える.しかし,モダニティとポストモダニティは宇宙/反宇宙のように完全に不親和であり,ゆえに,モダニティに対するポストモダニズムの戦略は,フーコーの戦略がまさにそうであるように,モダニティの外部からの「雑音」のインプットという形式にならざるをえない.しかし,フェミニズムがまさにフェミニズムであるためには,そのような戦略を選択するわけにはいかない.そこに,ポストモダン・フェミニズムのジレンマが存在する.
著者
土場 学
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.44, no.3, pp.314-329,361, 1993-12-30

現代社会の高度の複合性を支えているのは、権力や貨幣と並んで、愛というメディア (シンボルによって一般化されたコミュニケーション・メディア) である。本稿の目的は、ルーマンのメディア論に基づいて、産業化あるいは近代化の名のもとにくくられる社会変動のなかで愛というメディアが果たした役割を明らかにすることであり、またそれにより「社会変動のメディア論的モデル」の可能性を開示することである。そのさい、社会変動のメディア論的モデルは、従来の社会変動論のようにミクロ・レベルあるいはマクロ・レベルのいずれか一方に一貫して変動のメカニズムを想定するのではなく、むしろミクロとマクロを連結するメカニズムとしてのメディアに理論的焦点を当て、そのメディアを機能させる意味空間 (ゼマンティーク) に生じた「ゆらぎ」が社会変動をもたらす、という発想に基づく。本稿では、この社会変動のメディア論的モデルに基づいて、産業化あるいは近代化を特徴づける重要な社会変動の一つである「近代家族」の成立の過程を、愛というメディアの自律化の過程として説明することを試みる。そしてそこにおいて、愛というメディアのゼマンティークの歴史的変遷が、少しずつ、しかし着実に近代家族の成立のための条件を整えてきたことを明らかにする。
著者
土場 学
出版者
数理社会学会
雑誌
理論と方法 (ISSN:09131442)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.117-134, 2000-06-30 (Released:2016-09-30)
参考文献数
39

ハーバーマスは、『認識と関心』において、理論と実践の統一的な研究プログラムとして批判的社会学(批判的社会理論)を構想した。そこにおいてハーバーマスは、認識を導く関心というアイデアをもとに、技術的認識関心に導かれる科学、実践的認識関心に導かれる解釈学、そして解放的認識関心に導かれる批判的社会学という認識類型の認識人間学的な正当化を試みた。しかしこの構想は、ハーバーマスの学問的営為のなかで、認識論からコミュニケーション論へというコミュニケーション論的転回によって放棄されることになった。そしてそれと同時に、理論と実践の統一という要請も断念されることになった。この構想の綻びは、ヘーゲル-マルクスの歴史哲学を継承した「人類主体」という実体概念を認識の最終審級に置く主体哲学に淵源する。しかしながら、こうした主体哲学を放棄するならば、アイデンティティ(自立性)を確立する政治的過程としての「承認をめぐる闘争」にその立脚点を据え直すことによって、理論と実践の統一という要請を断念することなく新たな批判的社会学を構想しえるはずであり、実際今日の批判的研究はかつてのモダニズム/ポストモダニズムという対立軸を越えてこうした構想に収斂しつつある。
著者
土場 学
出版者
数理社会学会
雑誌
理論と方法 (ISSN:09131442)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2, pp.115-132, 1995-12-01 (Released:2016-08-26)
参考文献数
30
被引用文献数
8

社会的ジレンマに関する実験社会心理学的研究のなかでもっとも有力な立場の一つに「社会的価値理論」がある。これは、自己の利得と他者の利得の考量の仕方に含意される個人の価値指向の「社会性」に注目して、個人の価値指向と状況認知が社会的ジレンマ状況における個人の行動にどのような影響を及ぼすかを解明しようとするものである。本稿はまず、この社会的価値理論が考察している問題状況をゲーム理論にもとづいて「不完備情報ゲーム」としてフォーマライズすることを試みた。そしてそのゲーム理論モデルから、ある特定の条件のもとでは社会的価値理論にもとづく実験研究から得られた経験命題とは対立する事態が成立することを明らかにした。本稿では、そうした結果を踏まえて、社会的価値理論における社会的価値指向の概念化にそもそも問題があることを指摘した。
著者
土場 学
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.46, no.1, pp.2-15, 1995-06-30 (Released:2010-04-23)
参考文献数
30

本稿は, ハイエクの自生的秩序論を, 「個人主義的秩序はいかにして可能か」という正義論的秩序問題に対する解答として捉える視点から分析し, その問題点を析出する. ハイエクの自生的秩序論は, 個人の「自由」と社会の「進歩」が整合的に進展していくプロセスを証示することを最大のねらいとしている.しかしそこで重要なポイントは, ハイエクの論証は, 「ルール・システムに従属した〈主体〉」を公理とする「自生的秩序」の論理と「ルール・システムから独立した〈非主体〉」を公理とする「文化的進化」の論理という二つの異なる論理的位相のもとで成立している, ということである.したがって, いずれにせよそこには「ルール・システムから独立した〈主体〉」は存在せず, ゆえに結局, ハイエクの自生的秩序論のもとでは個人主義的秩序にかんする正義論的秩序問題は意味をなさないのである.
著者
土場 学
出版者
数理社会学会
雑誌
理論と方法 (ISSN:09131442)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.157-173, 1996-12-31 (Released:2016-08-26)
参考文献数
8
被引用文献数
6

数理社会学は、社会学を科学として自立化させることをめざす「啓蒙のプロジェクト」として出発した。そのさいそれは、「論理合理主義」のプログラムにもとづき、社会学理論を科学と非科学に峻別し、あわせてこれまでの社会学理論はほとんど非科学的な類似理論であると喝破し、真に科学の名に値する社会学理論の確立を標榜した。しかし現在、数理社会学は社会学のなかで確固たる地盤を築いたにもかかわらず、社会学全体の状況は数理社会学のもくろみどおりにはならなかった。その根本的理由は、論理合理主義のプログラムにこだわるかぎり社会学そのものが非科学にならざるをえず、したがって数理社会学の思い描く社会学理論なるものが多くの社会学者の思い描く社会学理論と乖離していたからである。そもそも、検証(反証)という普遍的基準で科学と非科学をアプリオリに判定するという論理合理主義の科学哲学が厳密には容認できないものであることは今日では明らかである。しかしその一方で、本来、数理社会学のポテンシャルは論理合理主義のプログラムを超えている。すなわち、数理社会学とは、社会学理論としての数理モデルの妥当性を超越的に宣言するのではなく経験的に追求していくプロジェクトであり、その意味で、このプロジェクトは今なお未完なのである。
著者
土場 学
出版者
数理社会学会
雑誌
理論と方法 (ISSN:09131442)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.223-236, 1994 (Released:2016-08-26)
参考文献数
7
著者
土場 学
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.44, no.3, pp.314-329, 1993

現代社会の高度の複合性を支えているのは、権力や貨幣と並んで、愛というメディア (シンボルによって一般化されたコミュニケーション・メディア) である。本稿の目的は、ルーマンのメディア論に基づいて、産業化あるいは近代化の名のもとにくくられる社会変動のなかで愛というメディアが果たした役割を明らかにすることであり、またそれにより「社会変動のメディア論的モデル」の可能性を開示することである。そのさい、社会変動のメディア論的モデルは、従来の社会変動論のようにミクロ・レベルあるいはマクロ・レベルのいずれか一方に一貫して変動のメカニズムを想定するのではなく、むしろミクロとマクロを連結するメカニズムとしてのメディアに理論的焦点を当て、そのメディアを機能させる意味空間 (ゼマンティーク) に生じた「ゆらぎ」が社会変動をもたらす、という発想に基づく。本稿では、この社会変動のメディア論的モデルに基づいて、産業化あるいは近代化を特徴づける重要な社会変動の一つである「近代家族」の成立の過程を、愛というメディアの自律化の過程として説明することを試みる。そしてそこにおいて、愛というメディアのゼマンティークの歴史的変遷が、少しずつ、しかし着実に近代家族の成立のための条件を整えてきたことを明らかにする。
著者
土場 学
出版者
数理社会学会
雑誌
理論と方法 (ISSN:09131442)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.87-102, 1992-04-01 (Released:2009-03-31)
参考文献数
10
被引用文献数
2

本稿は、宮台が構想する「権力の予期理論」について、権力現象の背後にある個々人の「了解」の構造に着目することにより、予期理論の方法論を支えている理論的基盤を析出することを目的とする。予期理論の最大の特徴は、権力現象に対してある1人の個人の了解に準拠して接近するという理論上の戦略にある。しかし、社会状況のもとでは、個々人の了解の相互的な読み込みということが生じるがゆえに、この予期理論の戦略は無条件には成立しない。本稿では、まず、「共有知識」という概念についてのAumannの定式化に依拠して、予期理論の戦略が成立するための一般的な条件を考察する。その際、個々人の個別的な了解から、了解の相互的な読み込みを通じて、全ての個人の「共有了解」が導出される過程を記述するための形式的なモデルを提示する。そしてそれに基づいて、予期理論の戦略が成立するための条件は、個人の内的宇宙において、自己の了解が全ての個人の共有了解になっていることであることを論証する。しかし、このことから逆に、現実の社会状況において個人が自己の了解に基づいて行為を選択することは、一般的には不可能であるという結論が導出されてしまう。したがって結局、予期理論の戦略の有効性は、共有了解に関する疑似的な解決の可能性に依存することになる。