- 著者
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坂本 勝比古
鈴木 成文
日色 真帆
- 出版者
- 一般財団法人 住総研
- 雑誌
- 住宅総合研究財団研究年報 (ISSN:09161864)
- 巻号頁・発行日
- vol.20, pp.147-157, 1994
この研究は,日本で有数な住宅地として発展を遂げた大阪・神戸間の地域を対象として,それがどのように発展してきたかを,多くの資料や地域の調査を行なうことによって明らかにすることを目的としている。まず,この地域が住宅地として発展した第1の理由は,大阪湾に臨んで北に山を負う恵まれた地形で,住宅地として最適な自然条件を備えていたこと,日本で2番目という大阪・神戸間の鉄道の開通(1874年)があり,さらに1905年に阪神電鉄,1919年に阪急電鉄が開通するなど,大都市間を結ぷ交通機関が整備されたこと,この沿線に私鉄が住宅地経営を積極的に行ない,郊外住宅地の発展に大きく貢献することとなった。また,大正時代には,芦屋市・西宮市で土地区画整理事業が盛んに行なわれ,宅地の供給が促進された。さらに民間土地会社の住宅地経営も計画され,現在の夙川,芦屋の六麓荘などが開かれている。これらの住宅地開発は,大都市の工業化が進み,空気の汚染や住環境の悪化によって,郊外住宅地が注目されるようになったものであるが,その状況は必ずしも良好な住宅地経営ぱかりではなかった。関西で優れた住宅地経営を目指した好例として,日本建築協会が大正11年(1922)に開催した住宅博覧会があり,このような動きに刺激されて,阪急電鉄では,新伊丹住宅地(1935),武庫之荘住宅地(1937)が,いずれも放射状の軸線を持つ住宅地経営で,良好な住環境を持つ住宅地が形成された。阪神間のなかで,住吉・御影地域(旧住吉村・御影町)も早くから住宅地として注目され,特に大邸宅が多く建てられた。なお,戦前に建てられた阪神間の中流住宅の意匠を見ると,和風要素を取り入れたものがかなり多く,これは関西人の住宅に対する考え方に,保守的な見方をする者が多かったからと言える。