著者
塚本 明 TSUKAMOTO Akira
出版者
三重大学人文学部
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.1-19, 2000-03-25 (Released:2017-02-17)

近世の朝廷が発令した「触穢令」が、伊勢神宮に与えた影響の時期的変化を見ながら、近世の伊勢神宮と朝廷との関係を考察した。「触穢令」は天皇・上皇・女院の死に際して朝廷から出されるものだが、前期には江戸将軍の死もその対象となった。基本的には宮中及び京都周辺の社寺に限定して出され、朝廷行事や神事等がその間中断された。さて伊勢神宮に京都の「触穢令」が伝えられるのは宝永六年を初発とするが、これは触穢伝染を予防するためのもので、天保年間に至るまでは伊勢神宮・朝廷側ともに、京都の触穢が伊勢にも及ぶという認識はなかった。だが伊勢神宮を朝廷勢力に取り込む志向が強まるなかで、弘化三年時には朝廷は伊勢神宮の抵抗を押し切り、触穢中の遷宮作時を中断させるに至る。両者の対立の背景には、触穢間の相違に加え、神宮神官らが全国からの参宮客を重視したことがあった。
著者
塚本 明 ツカモト アキラ TSUKAMOTO Akira
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.A35-A50, 2004-03-25 (Released:2017-02-17)

近世の伊勢神宮門前町の宇治・山田における、死穢への意識とそれを忌避する作法の時期的変化を考察した。死穢は神社世界の触穢体系の中核を占め、これに触れた者は厳しい行動規制を強いられた。中世以来、為政者たちの死に際して、死穢が広く遍満したとして、朝廷から京都近辺と伊勢神宮を含む関係する寺院に「天下触穢令」が発令される場合があった。だがこれとは別に、伊勢神宮が独自に、宇治・山田市中に対して発令する「触穢令」が確認できる。神宮の服忌令によれば、宮地での変死体発見、「速懸」を行わずに死体を一昼夜放置した場合、火災における焼死の発生の際に、市中一体の触穢となった。だが一八世紀初頭を画期として、宇治・山田市中への触穢令は激減する。その要因は、触穢の発生を避ける作法が発達したことにあった。火災や水害で死者が出ても、それが直接の死因ではないとしたり、届け出方に工夫をこらしたりしたのである。また、死の発生地を縄や溝で囲んで、穢れが拡散しないようにする方法も一般化していった。先例を重視する神宮も、この時期には規定通りに触穢を適用することが困難であると認識していた。山田奉行も参宮客の意向を理由に、触穢適用の軽減を命じた。しかし、触穢において物忌らが神宮長官の触穢の判定に激しく異議を唱えたように、神官達内部で解釈をめぐり争われることもあった。判定をめぐる紛議でしばしば問題にされたのが、世間の評判、風説である。触穢の判定、死穢を避けられるか否かは、神宮に対する外界からの認識が影響した。 論説 / Article
著者
塚本 明 Tsukamoto Akira
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.15-34, 2010-03-28 (Released:2017-02-17)

「神仏分離」の歴史的前提として、近世の伊勢神宮門前町、宇治・山田における神と仏との関係を分析した。仏教を厳しく排除する原則を取る伊勢神宮であるが、その禁忌規定において僧侶自体を嫌忌する条文は少ない。近世前期には山伏ら寺院に属する者が御師として伊勢神宮の神札を諸国に配賦したり、神官が落髪する事例があった。神宮が「寺院御師」を非難したのは山伏らの活動が御師と競合するためで、仏教思想故のことではない。だが、寺院御師も神官の出家も、幕府や朝廷によって禁止された。宇治・山田の地では、寺檀制度に基づき多くの寺院が存在し、神宮領特有の葬送制度「速懸」の執行など、触穢体系の維持に不可欠な役割を果たしていた。近世の伊勢神宮領における仏教禁忌は、その理念や実態ではなく、外観が仏教的であることが問題視された。僧侶であっても「附髪」を着けて一時的に僧形を避ければ参宮も容認され、公卿勅使参向時に石塔や寺院を隠すことが行われたのはそのためである。諸国からの旅人も、西国巡礼に赴く者たちは、伊勢参宮後に装束を替えて精進を行い、一時的に仏教信仰の装いを取った。神と仏が区別されつつ併存していた江戸時代のあり方は、明治維新後の「神仏分離」では明確に否定された。神仏分離政策は、江戸時代の本来の神社勢力から出たものではなかった。 裏表紙からのページ付け
著者
櫻井 治男 牟禮 仁 本澤 雅史 河野 訓 塚本 明 藤本 頼生 石原 佳樹 八幡 崇経
出版者
皇學館大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

本研究は、(1)神仏分離時期の行政文書(廃仏毀釈・神葬祭関係が中心)のデジタル画像化と公開、(2)寺院を中心とした廃仏毀釈状況の検証、(3)新たな葬儀形式である神葬祭の受容期における寺院と人々との関係などについて研究を進展させることを主な目的とした。それぞれの成果の概要は次の通りである。(1)については、三重県庁所蔵の関係行政文書、約5000枚のデジタル画像化を行ない、三重県史編纂室、皇學館大学、三重大学の3か所においてパーソナル・コンピューターによって閲覧することを可能とした。また、三重県神社庁所蔵の関係文書および神宮文庫において研究上重要な史料の存在を確認することができた。但し、これらの史料は膨大な量に及び、研究の推進上はその一部を活用するにとどまっており、今後の研究課題として残された。(2)寺院を中心とした廃仏毀釈状況の検証は、なお時間をかけて明らかにすべき課題である。本研究では、関係史資料(文書・絵図)の確認と一部資料の収集を試みたが、内容的な検討は必ずしもできず今後の研究展開に委ねることとなった。しかしながら、関係資料の一部を研究報告書に収録し、研究基盤の一端を公開する役割を担うことができた。(3)の神葬祭化の問題は、本研究グループが主体となり行なったシンポジウムを通して、研究の方向性や観点などを明らかにすることができたが、実生活における状況の解明や、更なる史料の収集および内容検討は今後の課題となった。
著者
塚本 明
出版者
三重大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

江戸時代に寺社参詣道沿いの村々が、旅人たちといかなる関係を持ち、それは地域社会の成り立ちにどのような影響を与えたのかを検討した。基礎作業として、熊野街道を対象に、諸国の旅人が著した道中日記260点、善根宿に納められた旅人の納札5000点余、地域社会に遺された算用帳中の旅人救済記録約7000点をデータ化した。その上で道中日記の世界と対比しつつ、地域社会の救済を受けながら旅を続ける貧しき旅人の世界を抽出した。
著者
塚本 明廣
出版者
佐賀大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1999

1 ピラミッド・テキスト全文を、ゼーテ底本およびフォークナー補遺に基づき、聖刻文字手書本文から、一定の書式に従ってローマ字化翻字本文に書換え、言語学的情報を付加して入力した。2 この翻字法は、文字の転移・簡略表記・同一語の多様な表記・語境界を跨ぐ音声連続の1文字表記・碑文の欠損・欠落が多いピラミッド・テキストに対応して、筆者の従来の翻字法を改良して、有効性を検証したものである。同時に、入力作業の一層の軽減を図った。3 言語学的情報を付加して入力した単一のファイルから、転写本文・復元箇所明示転写本文、狭義の翻字本文、語形総索引を、指定に従って自動的に出力する方式を確立した。出力本文は、ゼーテの底本同様、行毎の異文校合が可能である。4 本データベースに統語情報を付加し、文構造を表示することに拡張できるかを否かを探った。統語情報をかなり絞り込めば、この書式のままで利用できる。一方、相当に議論の多い文法解釈をデータベースに盛り込むことが躊躇されたため、統語分析用の書式例および付随ファイル類を提供するに止める。5 プログラム(バッチ・ファイルとスクリプト)類のモジュール化(部品化)を図り、一部のプログラムの変更が、関連する一連のプログラム類に自動的に反映できるようにした。これにより、一部修正のたびに他の関連プログラムを逐一照合しながら書換える無駄が解消された。6 王毎に出現節が異なるピラミッド・テキストの出入りを自動表示するプログラムを作成した。7 これらの成果の一部は、ピラミッド・テキスト・データベースとして、ウェブ上に公開された。