著者
梅澤 亜由美 大木 志門 小林 洋介 河野 龍也 大原 祐治 小嶋 洋輔
出版者
大正大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2017-04-01

2018年度は、8月20日に国際シンポジウムプレ会議、2019年1月13日に研究会を開催した。また、研究成果の公表として、学会でのパネル発表、および【論考篇】として書籍の刊行を行った。以下4点、具体的に述べる。①研究成果【データ篇】公開のための作業。2017年度より継続して各自が行っているデータの抽出、一覧表の作成をもとに、〈私小説性〉、およびそれに付随する〈「私」性〉〈内在的サイン〉、〈事実性〉〈外在的サイン〉といった概念による新たな研究の指標を提示することができた。②国際シンポジウムプレ会議の開催。中国、台湾、韓国の研究協力者を招き、各国における研究の現状についての発表報告を受けた。これを受けて、2019年度8月に開催を予定している国際シンポジウムのプログラムについて討議、日程およびテーマなど詳細を決定した。③学会でのパネル発表。当初の予定通り、10月27、28日に岩手県立大学で開催された日本近代文学会秋季大会において、「「私小説」をどのように考えるか?――〈私小説性〉概念による再検討の試み」というテーマで、パネル発表を行った。6名の発表者が、新たな私小説研究の指標としての〈私小説性〉の概念に基づいて、田山花袋、徳田秋聲、広津和郎、佐藤春夫、横光利一、伊藤整、第三の新人などのテクストについての発表を行った。また、質疑応答を行うことで、今後の研究のための指針を得ることができた。④成果報告【論考篇】の刊行。10月末に、『「私」から考える文学史――私小説という視座』を勉誠出版より刊行した。16本の論考、16本のコラム、および3名の作家によるインタビューを通して、〈私小説性〉の概念を応用した研究の実例、および今後の私小説研究のために必要と考えられる論点を提示することができた。
著者
大木 志門
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.92, pp.77-92, 2015 (Released:2016-08-02)

本論は、「文学館」をめぐる歴史研究の試みである。一般に「文学館」の歴史は戦後の「日本近代文学館」設立(一九六二年)に始まるとされるが、実は戦前にも文壇をあげた「文学館運動」の萌芽が存在した。昭和九(一九三四)年に組織された「文芸懇話会」最初の事業「物故文芸家遺品展覧会」と併せて提起された「文芸記念館」構想がそれであり、主唱者である島崎藤村は文芸統制を利用して近代文学資料の保管施設を作ろうとしたのである。藤村が着想を得たのは昭和七(一九三二)年に新装された靖国神社「遊就館」からであり、この事業を菊池寛と「文芸家協会」が継承し昭和一四(一九三九)年に「文芸会館」を建てたが、それは当初の計画とは外れたものであった。しかし藤村の執念は昭和二二(一九四七)年開館の「藤村記念館」を生み、これが戦後の文学館運動を準備したと考えられる。
著者
大木志門編
出版者
龜鳴屋
巻号頁・発行日
2023
著者
大木 志門
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.92, pp.77-92, 2015

<p>本論は、「文学館」をめぐる歴史研究の試みである。一般に「文学館」の歴史は戦後の「日本近代文学館」設立(一九六二年)に始まるとされるが、実は戦前にも文壇をあげた「文学館運動」の萌芽が存在した。昭和九(一九三四)年に組織された「文芸懇話会」最初の事業「物故文芸家遺品展覧会」と併せて提起された「文芸記念館」構想がそれであり、主唱者である島崎藤村は文芸統制を利用して近代文学資料の保管施設を作ろうとしたのである。藤村が着想を得たのは昭和七(一九三二)年に新装された靖国神社「遊就館」からであり、この事業を菊池寛と「文芸家協会」が継承し昭和一四(一九三九)年に「文芸会館」を建てたが、それは当初の計画とは外れたものであった。しかし藤村の執念は昭和二二(一九四七)年開館の「藤村記念館」を生み、これが戦後の文学館運動を準備したと考えられる。</p>