著者
太田 恭子 Ohta Kyoko
出版者
首都大学東京 人文科学研究科
雑誌
人文学報. 社会学 (ISSN:03868729)
巻号頁・発行日
no.48, pp.1-26, 2013-03-25

本稿の目的は,近代日本の性教育論の分析を通して,大正期の母親による性教育モデルの形成過程を描き出すことにある.なぜなら,性別アイデンティティの確立に寄与したと思われる近代日本の性教育の推進に母親が積極的に関わっていることを明らかにすることで,近代日本のジェンダーの再生産過程を明らかにすることができると思うからである.そこで,明治から大正にかけて産出された性教育論において,性教育の担い手についての言説と大正末期に登場した母親たちの性教育実践報告を分析した.明治期の性教育論では性教育の対象は男子であり,担い手は教師か学校医が想定されていた.大正期になると家庭では母親が幼児期の生活全般に関わる性教育を行い,学校では教師がそれぞれの年齢に見合った性知識を与えるという性教育言説が形成された.そうした言説が流布する中,母親たちは子どもとの相互行為を通じて,子どもが貞操や純潔を重んじ性差に基づく行為を生み出していくような,母親にしかできない性教育を構築した.母親による性教育言説は大衆的なメディアを通じて広く流布し,多くの母親に参照されるモデルとなって性教育に取り組む母親を生み出していったと思われる.こうして,母親による性教育は,結婚するまで貞操を守り「男は仕事,女は家庭」という性別分業に適合的な次世代を世に送り出して,近代日本のジェンダーを再生産していったと考えることができると結論した.
著者
藤峯 絢子 鈴木 久也 太田 恭子 齋藤 美帆 中里 浩樹 武山 陽一 谷川原 真吾
出版者
仙台赤十字病院
雑誌
仙台赤十字病院医学雑誌 = Medical Journal of Sendai Red Cross Hospital (ISSN:09178724)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.49-54, 2014-05-01

先天梅毒は本邦において2009年1月〜2013年2月に16例報告され、近年稀だが重要な母子感染症である。今回、妊娠初期の梅毒検査陽性を見逃され、未治療のまま経過し先天梅毒児を出産した一例を経験した。症例は22歳の初産婦で、妊娠30週2日に胎動減少、性器出血を訴え、前医を受診し胎児心拍陣痛図で遅発一過性徐脈を認め当院に母体搬送された。胎児超音波検査で肝腫大、腹囲拡大、腹水を認め、胎児心拍陣痛図で基線細変動の減少、高度遅発一過性徐脈を認めた。胎児機能不全と診断し、緊急帝王切開を施行、1,715gの女児を娩出、臍帯動脈血pH 7.109、Apgar 1分値1点、5分値5点であった。出生児はRPR陽性、TPHA陽性で、水疱性皮疹、肝腫大、貧血、血小板減少が認められ先天梅毒と診断した。先天梅毒は早期診断・治療で防ぎうる疾患であり、妊娠初期のスクリーニング検査の重要性を再認識した。
著者
太田 恭子
出版者
首都大学東京 人文科学研究科
雑誌
人文学報 = The Journal of social sciences and humanities (ISSN:03868729)
巻号頁・発行日
no.467, pp.1-26, 2013-03

本稿の目的は,近代日本の性教育論の分析を通して,大正期の母親による性教育モデルの形成過程を描き出すことにある.なぜなら,性別アイデンティティの確立に寄与したと思われる近代日本の性教育の推進に母親が積極的に関わっていることを明らかにすることで,近代日本のジェンダーの再生産過程を明らかにすることができると思うからである.そこで,明治から大正にかけて産出された性教育論において,性教育の担い手についての言説と大正末期に登場した母親たちの性教育実践報告を分析した.明治期の性教育論では性教育の対象は男子であり,担い手は教師か学校医が想定されていた.大正期になると家庭では母親が幼児期の生活全般に関わる性教育を行い,学校では教師がそれぞれの年齢に見合った性知識を与えるという性教育言説が形成された.そうした言説が流布する中,母親たちは子どもとの相互行為を通じて,子どもが貞操や純潔を重んじ性差に基づく行為を生み出していくような,母親にしかできない性教育を構築した.母親による性教育言説は大衆的なメディアを通じて広く流布し,多くの母親に参照されるモデルとなって性教育に取り組む母親を生み出していったと思われる.こうして,母親による性教育は,結婚するまで貞操を守り「男は仕事,女は家庭」という性別分業に適合的な次世代を世に送り出して,近代日本のジェンダーを再生産していったと考えることができると結論した.
著者
太田 恭子
出版者
一般財団法人日本英文学会
雑誌
英文學研究 (ISSN:00393649)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.35-50, 1954-12-30

It is generally supposed that Ulysses is the incarnation of Stephen's theory of "static beauty," and that his esthetic theory owes for the most part to Thomas Aquinas' esthetics, as Stephen himself approves it. The perusal of Portrait reveals, however, an unexpected fact that his esthetics was rooted into his own experience-a kind of ecstacy he was thrown into from time to time. The "static beauty" was nothing but the image of beauty he conceived in this holy silence of rapture. In such mysterious instant he escaped from time and space and elevated to a higher dimension where he bathed in a new life of all with a glee of fullness. It was a feeling of possession du monde, at the same time, of the bliss of being made one with God. In order to induce this rapture he fostered the habit of contemplation, as was the case with Proust. In Stephen Hero, Stephen mentions the sudden spiritual manifestation caused by contemplation, which he calls epiphany. This corresponds to the radiance, the supreme quality of beauty in Stephen's esthetics. Stephen believes that it is for the man of letters to record these epiphanies with extreme care, as they are the most delicate and evanescent of moments. Ulysses is an attempt to eternalize such momental experience. As it was an experience of possession du tnonde, at once, of communion with something divine, obtained through a trivial object, he must pack eternity and all into a short and narrow space and time (space-Dublin Time-one day). This bold attempt was enabled by the double structure of time in monologue interieur. By this new technique he imbued cunningly eternity and all into his grain, pretending to follow faithfully his hero's stream of consciousness. Here we find the intrinsic resemblance with Proust who also tried to fix such instance of ecstacy. But Proust wrote it from inside of "Je", while Joyce tried to build it up into an objective frame work. This striking difference was caused by their mode of existence. Though we cannot tell whether he was conscious or not, Ulysses is an alibi of God. In this manner the theme of Ulysses mirrors the tragedy of Joyce himself.