著者
大倉 韻
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.32, pp.109-134, 2011-10-31

現代日本のアダルトゲーム(ポルノゲーム)はただ性行為を消費するだけではなく、感動的な物語や登場キャラクターへの恋愛感情をも消費対象とするような独特の進化を遂げている。それを消費するオタクたちは概して現実の恋愛や性行為に対する意欲を欠くため、しばしば「虚構に逃避している」と批判されてきた。だが実際には彼らは逃避しているのではなく、恋愛に関して独自の価値観を持っているようであった。そこでアダルトゲーム消費者にインタビューを行ったところ、次のような知見が得られた。(1)中学高校時代を「一般人」として過ごした者は恋愛の実現に意欲的な傾向があり、「オタク」として過ごした者は意欲的ではなかった。(2) 前者は友人や先輩などから恋愛に関する情報を多く得ており、後者にそのような経験はなかった。Berger and Luckmann の「第二次的社会化」の概念を用いれば、人は「意味ある他者」と恋愛に関する情報交換をすることで恋愛の実現を自明とみなす価値観を内面化していくと考えられる(「恋愛への社会化」) 。前者はその主観的必然性が強化されるものの後者は強化されず、よって「多くのオタクは一般人と比較して恋愛の実現にあまり動機づけられていないため、虚構の恋愛描写で十分満足できる」という可能性があることが見出された。
著者
大倉 韻
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.32, pp.109-134, 2011-10

現代日本のアダルトゲーム(ポルノゲーム)はただ性行為を消費するだけではなく、感動的な物語や登場キャラクターへの恋愛感情をも消費対象とするような独特の進化を遂げている。それを消費するオタクたちは概して現実の恋愛や性行為に対する意欲を欠くため、しばしば「虚構に逃避している」と批判されてきた。だが実際には彼らは逃避しているのではなく、恋愛に関して独自の価値観を持っているようであった。そこでアダルトゲーム消費者にインタビューを行ったところ、次のような知見が得られた。(1)中学高校時代を「一般人」として過ごした者は恋愛の実現に意欲的な傾向があり、「オタク」として過ごした者は意欲的ではなかった。(2) 前者は友人や先輩などから恋愛に関する情報を多く得ており、後者にそのような経験はなかった。Berger and Luckmann の「第二次的社会化」の概念を用いれば、人は「意味ある他者」と恋愛に関する情報交換をすることで恋愛の実現を自明とみなす価値観を内面化していくと考えられる(「恋愛への社会化」) 。前者はその主観的必然性が強化されるものの後者は強化されず、よって「多くのオタクは一般人と比較して恋愛の実現にあまり動機づけられていないため、虚構の恋愛描写で十分満足できる」という可能性があることが見出された。The modern Japanese adult games (pornographic games)for men have distinctively evolved in which consumers enjoy notonly the sexual acts but also the feelings of love towards thecharacters or the stories. On the other hand, not being generallyambitious towards love activities , OTAKUs who consume adultgames have been criticized as "retreating into fabrication." But itseemed they have had unique identity in love activities.The following knowledge was obtained through theinterview with the consumers of adult games; (1) those who were"ordinary persons" in Junior and high school years havetendency toward ambitious to love activities , and who were"OTAKU" in those years are not ambitious to them. (2) Theformer have obtained information on love activities throughfriends and seniors , while the latter haven't had such experience.Referring to the concept of "secondary socialization" , itseems that people internalize their norms of love throughcommunication with "significant others" about love activities("socialization toward love activities"). The former havestrengthened their subjective necessity, while the latter haven't.Therefore the possibility was found that many OTAKUs were notas motivated towards the realization of love activities as ordinarypersons , so they can be satisfied adequately by consumingfictional love.
著者
打越 正行
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.32, pp.55-81, 2011-10

社会学では,小集団で展開される対面的相互行為の多様性や,その多様な現実を行為者が認識する際に用いる枠組の可変性が議論されてきた.それに対して,本稿では対面的相互行為が小集団にある資源とその集団の規模によって支えられていることに着目する.それによって,対面的相E行為の多様性や枠組の可変性は,小集団の資源や規模といった〈土台〉によって規定されていることを示す.現在の沖縄の暴走族少年らは,家族,学校,地域に必ずしも安定した基盤を持たず,加えて労働市場では流動的な労働力として扱われる.そのような彼らが,行き着く場所である〈地元〉が,直接的相互作用を支える資源と規模を備えた〈土台〉になる過程を,そこで展開される文化の継承過程をもとにみる.まずは彼らが〈地元〉に集まり,さまざまな活動を展開する際に必要最低限の資源に着目する.最終的に〈地元〉に行き着いた彼らは,共有する文化や物語以前に,まずはそこに継続的に集うための資源が欠かせない.続いて,それらの資源を有効に用いるために, 〈地元〉が適切な規模にあることに着目する.それらの資源はもともと廃棄物か流通品であったが,〈地元〉にあることによって,有効な資源となる.よって,規模が適切でないと,それらの資源は再び無効化されてしまう.以上のような実体的な資源と規模を備えた〈地元〉によって,〈地元〉における彼らの対面的相互行為は支えられていることを確認した.In sociological small groups studies , diversity offace-to-face interaction and variability of frame which actors usein recognizing the diverse realities have been discussed. On theother hand, in this thesis we focus on the point that face-to-faceinteractions are supported by resources in the group and its scale.Therefore we reveal that diversity of face-to-face interactions andvariability of frame are determined by base , resources in the groupand its scale.Now Okinawan Bosozoku youths do not necessarilyhave stable foundations in family, school and region. In addition ,they are treated as frequent labor forces in labor market. Bosozokuis a motorcycle gang group in Japan. Based on successionprocesses of cultures in Jimoto , we inspect the process that Jimotothey finish becomes base furnishing resource and scale supportingface-to-face interaction. Jimoto is a place they survive withregular members at fixed periods.First we aim at bare resources in Jimoto for they gatherthere , and practice some activities. For them finishing in Jimoto ,before sharing cultures and narratives , resources are necessary forcontinuously gathering there. Next for using them usefully, we aimat appropriate scale of Jimoto. Those resources were originallyoff-scourings in capitalist society or ubiquitous goods incirculation , but in Jimoto are usefu1. Consequently if the scale isnot appropriate , those resources become invalid again. Ultimatelywe confirmed that their face-to-face interactions are supported bybase fumishing material resources in Jimoto and its scale.
著者
打越 正行
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.32, pp.55-81, 2011-10-01

社会学では,小集団で展開される対面的相互行為の多様性や,その多様な現実を行為者が認識する際に用いる枠組の可変性が議論されてきた.それに対して,本稿では対面的相互行為が小集団にある資源とその集団の規模によって支えられていることに着目する.それによって,対面的相E行為の多様性や枠組の可変性は,小集団の資源や規模といった〈土台〉によって規定されていることを示す.現在の沖縄の暴走族少年らは,家族,学校,地域に必ずしも安定した基盤を持たず,加えて労働市場では流動的な労働力として扱われる.そのような彼らが,行き着く場所である〈地元〉が,直接的相互作用を支える資源と規模を備えた〈土台〉になる過程を,そこで展開される文化の継承過程をもとにみる.まずは彼らが〈地元〉に集まり,さまざまな活動を展開する際に必要最低限の資源に着目する.最終的に〈地元〉に行き着いた彼らは,共有する文化や物語以前に,まずはそこに継続的に集うための資源が欠かせない.続いて,それらの資源を有効に用いるために, 〈地元〉が適切な規模にあることに着目する.それらの資源はもともと廃棄物か流通品であったが,〈地元〉にあることによって,有効な資源となる.よって,規模が適切でないと,それらの資源は再び無効化されてしまう.以上のような実体的な資源と規模を備えた〈地元〉によって,〈地元〉における彼らの対面的相互行為は支えられていることを確認した.
著者
成田 凌
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.38, pp.1-27, 2017-11

本稿の目的は,貨幣経済の地域社会への浸透が子どもたちの活動に与えた影響について,青森県旧上北町で1960年代頃まで行われていたという,農家の子どもたちの「物々交換」の過程,および「物々交換からおこづかい制への移行を事例に検討することである.聞き取り調査の結果,次の点が明らかになった.「物々交換」と「換金」は1930年代後半から1960年代半ば過ぎまでおこなわれており,「現金購入」みられるのは1950年代後半以降だった.また農家の子どもたちは自分の家からコメやタマゴを「盗み」,子どもでも買取してくれる集落内の商店や精米所に持ち込んで「物々交換」や換金をおこなっていた.このような本稿の事例から,次の点が示唆される.貨幣経済が地域社会および「子ども(社会)」まで浸透したことで,子どもたちもより大きな社会経済システムに組み込まれていった.その結果,これまで「自由」に入手できたお菓子が,親からお金をもらわなくては買えなくなってしまった.つまり,おこづかい制への移行とは,実は家や地域社会の中で認められていた農家の子どもたちが「自由」を失っていく過程だったのではないだろうか.This paper aims to examine the impact of the influence of the spread of the monetary economy on farm children in a local community. The specific case of the practice of bartering and the transition to giving children pocket money in 1960s in Kamikita town, Aomori prefecture, will be presented. From the late 1930s to the mid-1960s, it was a common practice for farmers' children to steal produce such as eggs and rice from their family's farm to barter them for cheap confectionary, and, from the late 1950s, to sell such goods for pocket money. The children took the stolen produce to local shops to sell or barter, and sometimes to the community rice-cleaning mill. A series of changes in the practice of bartering meant that these children truly lost a measure of their freedom. Before the spread of the monetary economy to small communities, farmers' children were able to buy or barter an egg or some rice for cheap confectionary or cash before the change, but afterwards they could not; after the mid-1960s they had to get money their parents.
著者
小澤 かおる
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.36, pp.25-47, 2015-12

本稿では,2011年の国連決議に至る,性的少数者の権利に関する国際的な流れと,国連がどのような位置づけを行なっているかを概観したのち,告発の必要,承認の要求について述べ,テイラーの承認とアイデンティティについての議論を検討する.ここから「受容」を求めることには課題や限界性があること,「同一化受容戦略」には問題があることを述べる.さらに,性的少数者の場合,自己アイデンティティの追求と当事者コミュニティへの接続が必要であること,それらが人権に立脚していることを論ずる.United Nation resolved A/HRC/RES/17/19 in 2011 that recognized human rights and needs of examinations of SOGI people who have differences related "Sexual Orientation and Gender Identity". At Shibuya ward, Tokyo, Japan, the code called "partnership-code" was established on April 2015. It is outstanding that in some media news about this, a part of activists say that sexual minorities' actions are not only issues of human rights but are also matters as "same" as majorities' issues. This paper discusses that the needs accusations and the requests of recognizing differences to solve discriminations against sexual minorities. It is important to request acceptance from majorities, but "the acceptance-strategy by identification to majority" is not so good strategy. This paper also discusses that to inquire personal identity and to connect sexual minorities' communities is very important to each sexual minority on their growth. The viewpoint of human rights is not only the major issue to who not have been accepted from majorities but also the only one tool to live when they are not guarded by positive lows.
著者
小澤 かおる
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
vol.36, pp.25-47, 2015-12

本稿では,2011年の国連決議に至る,性的少数者の権利に関する国際的な流れと,国連がどのような位置づけを行なっているかを概観したのち,告発の必要,承認の要求について述べ,テイラーの承認とアイデンティティについての議論を検討する.ここから「受容」を求めることには課題や限界性があること,「同一化受容戦略」には問題があることを述べる.さらに,性的少数者の場合,自己アイデンティティの追求と当事者コミュニティへの接続が必要であること,それらが人権に立脚していることを論ずる.
著者
小澤 かおる
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.35, pp.1-28, 2014-11

本稿では,少数者のライブラリが,コレクションの希少性,閲覧者の安全性の点で重要であること,アーカイヴが,所蔵資料の脆弱性,少数者の「自前の歴史」の構築の資源であることから重要であること,インターネットの時代に入っても少数者のおかれた状況から重要性をもつことを述べる.これらのことを考えるために,実際に長くライブラリ・アーカイヴを維持・運営してきたLOUD にインタビューを行ない,過去の経緯や現状を調査した.すると,さまざまな技術的課題は多々あるものの,「いつでもふらっと立ち寄れる場」としてライブラリ・アーカイヴを維持・運営することが,少数者コミュニティの再生産,構築にとって重要であることも新知見として得られた.以上から性的少数者を含む少数者コミュニティの内部・外部から支援を行ない,ライブラリやアーカイヴの構築,維持,管理を行なうことは,ライブラリ・アーカイヴにとってもコミュニティにとっても重要であると結論する.This paper aims to describe why sexual minorities' libraries and archives are important. They have rare materials which are easy to lose in majority's mainstream history. Minorities need places where they use such materials in safe. They are also useful to encourage minorities, to be the resources to write minorities' own histories, to save themselves when disasters occur, and so on. The interview research shows the LOUD (Lesbians of Undeniable Drive) library's state, history, and some problems to solve in the future. From over libraries and archives are important because not only they have their unique importance but also they have the function to re-product and to construct minorities' communities.
著者
青木 久美子
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.32, pp.83-107, 2011-10-31

1990年代半ばから2000年代半ばにかけて, 「昭和30年代(1955~1964)」 がメディア等で頻繁に取り上げられるようになった.この「昭和30年代ブーム」において,昭和30 年代は「貧しくても夢があった時代」といった語りによって,おおむね肯定的に捉えられている.本稿は,この「昭和30年代ブーム」 が時間的経過のなかでいかに変化したかを,過去のモノや出来事をどのように取り扱うかという観点から分析するものである.分析にあたり,「断片化」, 「概念化」という分析枠組みを設定する.「断片化」は,モノや出来事を当時の文脈から切り離しそれ自体を強調して扱う態度を指す.その際,特定の側面を強調し,感情に訴えるような扱い方をここでは「キッチュ」と呼ぶ. 「概念化」は,モノや出来事のあり方をふまえて,特定の社会像を再構成する作業である.その際に当時の生活様式などが理想化され,極端な形になると今後の社会の目指すべき指針として「イデオロギー」的になることもある.「昭和30年代ブーム」における過去の扱い方は,当初,「断片化」された懐かしいモノなどへの愛着という「キッチュ」 が主流であったが,「概念化」され理想として語られるようになり,明確に「イデオロギー」的に利用するような現象も見られるようになった.そうした「イデオロギー」化においては,往々にして,モノや出来事のもつ具体性が巧妙に利用されている.
著者
毛 慧婷
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.36, pp.49-74, 2015-12

現在,乳癌は女性の命を脅す第1の「キラー」である.非常に多くの人がこの問題に関心を持っている.しかし,中国においては,社会学の視点からこの問題にアプローチする研究はあまりない.その他の癌患者と異なり,乳癌の患者は,術後,再発する恐れに直面するだけではなく,また長期に渡って「損なわれた」身体に直面なければならない.そのため,彼女たちの落ち着いた外見の裏には,他人が知らない苦痛がある.身体は彼女たちのすべての悩みの起点である.本稿はこのような問題に対し,参与観察とインタビュー調査の方法を用いて,多くの個別事例を分析する.筆者は身体の視点において,乳癌患者の「身体欠如」から「身体整飾」,更に「身体呈示」までの一連の身体改変の過程を述べる.そして,ジェンダー社会学と身体社会学を用いて,乳癌患者の身体改変について分析する.本稿では,乳癌患者の一連の身体改変が,身体再建のための努力を表していることを示したいと思う.この過程は彼女たちの自己再建の重要な構成部分なのである.しかしそれにも拘わらず,彼女たちは社会が規範で定める「標準」の「女らしさ」に合わせられない.それゆえ,自己の再建は困難を極める.本稿の最後において,筆者は今後の研究課題をとして,「乳癌患者はどうすれば自己再建できるのか」という課題を提示する.As the greatest threat to women's life in present, breast cancer is drawing ever growing attention, while the domestic sociology study on this subject is barely vacancy in China. Besides the suffering of the terror of recurrence, which are shared by patients with all kinds of cancers, the breast cancer patients are suffering a much calmer and much more obscure torment caused by their permanent damaged body. Body is the origin of all their troubles. Based on this point of view, through participate observation and deep interview, the author collected a vast range of cases, and described the progresses of patients' body adjustment, from body loss to body decoration, towards body presentation. This article is going to analyze the body changing of patients through the view of gender sociology and physical sociology. This article argues that a series of body changing by the patient represents their effort to body-reconstruction, which is an essential part of the progress of self-reconstruction. But due to their "brand of infamous" revealed by the conflict between the standard of beauty constructed by society and their imperfection of body, it would be immensely difficult for the patients to reach the stage of self-esteem, thus hardly towards the real self-reconstruction. At the end of the article, the author raised a new subject of research: how could the patients of breast cancer achieve the goal of self-reconstruction.
著者
堀内 進之介
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.32, pp.29-54, 2011-10-01

本稿の目的は,フランクフルト学派の第三世代として知られるアクセル・ホネットの批判的社会理論の可能性と限界を考察することにある.彼は,批判的社会理論の創始者たちから,社会批判のための「学的反省に先立つ解放の審級」という観点を受け継ぎながら,同時に,第二世代であるユルゲン・ハーパーマスによって切り聞かれたコミュニケーション論的転回という地平も重視している.しかし, ホネットは,ハーパーマスがその地平を語用論による言語分析の方向に展開したことを批判し,それはむしろ人間学的な承認論の方向に展開されるべきであると論じている.その際,彼は創始者たちが重視し,ハーパーマスが軽視した「社会的労働J を,再度,承認論の観点から「学的反省に先立つ解放の審級J として捉え直そうと試みている.すなわちホネットは,社会的労働における承認の期待が損なわれるという経験が,社会的不正の経験の根底にあるということを示そうとしているわけである.しかしながら,こうした試みが成功を収めるためには,r労働者の主体性J を生産効率の鍵と見なす現代の労働環境の下では,労働における「真の承認J と「偽の承認J とを区別できなければならない.しかし,それは相当な困難を伴うように思われる.では,社会批判の可能性の条件とはどのようなものか,本稿ではこの点も若干ではあるが検討しておきたい.
著者
青木 久美子
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.32, pp.83-107, 2011-10-31

1990年代半ばから2000年代半ばにかけて, 「昭和30年代(1955~1964)」 がメディア等で頻繁に取り上げられるようになった.この「昭和30年代ブーム」において,昭和30 年代は「貧しくても夢があった時代」といった語りによって,おおむね肯定的に捉えられている.本稿は,この「昭和30年代ブーム」 が時間的経過のなかでいかに変化したかを,過去のモノや出来事をどのように取り扱うかという観点から分析するものである.分析にあたり,「断片化」, 「概念化」という分析枠組みを設定する.「断片化」は,モノや出来事を当時の文脈から切り離しそれ自体を強調して扱う態度を指す.その際,特定の側面を強調し,感情に訴えるような扱い方をここでは「キッチュ」と呼ぶ. 「概念化」は,モノや出来事のあり方をふまえて,特定の社会像を再構成する作業である.その際に当時の生活様式などが理想化され,極端な形になると今後の社会の目指すべき指針として「イデオロギー」的になることもある.「昭和30年代ブーム」における過去の扱い方は,当初,「断片化」された懐かしいモノなどへの愛着という「キッチュ」 が主流であったが,「概念化」され理想として語られるようになり,明確に「イデオロギー」的に利用するような現象も見られるようになった.そうした「イデオロギー」化においては,往々にして,モノや出来事のもつ具体性が巧妙に利用されている.The purpose of this paper is to analyze how "thebooms of the Showa 30s" has changed. "The Showa 30s(1955-64)" has received media attention since the mid 1990s. Themedia considers the era positively as it was special era whenpeople could have dreams despite their poverty; In this paper, Ifocus on the changes in the ways to treat things and events in thepast.For analyzing these changes , I use two categories;fragmentation and conceptualization ."Fragmentation" is definedas the attitude of someone in which they try to emphasize somecertain things and events in the past by taking them up from theoriginal contexts. "Kitsch" is used here to explain the way inwhich an emotional attachment is put on the things and the eventsin the past." Conceptualization" is defined as to rearrange oldthings and events in order to reconstruct specific past images. Theway of life in the past is often idealized , and it becomes"ideological as it is politically treated as a new guideline for thefuture.I would argue that the way of treating things and events inthe past has changed as follows; firstly ," kitsch" was themainstream of the boom, as it only aroused nostalgias through"fragmented" things and events , secondly the particular images ofthat era was "conceptualized" as ideal , and finally , it was used as"ideology". The case of "the booms of the Showa 30s" shows theprocess of constructing our pasts.
著者
吉田 舞
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.34, pp.65-92, 2013-11

1991年,フィリピンのピナトゥボ山が噴火した.この噴火を機に,周辺地域の産業構造と労働市場は大きく変容した.本稿は,この過程で急速に市場経済に参入することになった先住民アエタを事例に,市場社会における排除の過程と構造について考察する.アエタは,火山の噴火後,伝統的な山仕事から平地1)の仕事へ移った.同時に,アエタは平地の労働市場で,劣った能力しか持たない安価な労働力2)として,排除されることになった.他方で,アエタは,市場社会での苦しい生活から脱出するため,市場的価値を受容していった.このようにアエタは,文化的にも市場社会へ取り込まれていった.その結果,アエタは生活向上が阻まれる市場社会において,ますます貧困化の道を歩み続けることになった.ここに,文化的強調と社会構造の結びつき(Merton 1949=1961:135)をみることができる.それこそ,市場社会における排除を持続させているものである.しかし,従来の社会的排除論は,社会政策の脈絡で議論されることが多かったため,社会構造(労働市場)からの排除に焦点、が当てられてきた.これに対して,本稿は,市場社会におけるアエタの排除の両面的な(社会/文化)構造を考察する.つまり,アエタの労働環境などの社会的なものだけではなく,人々が市場的価値へ適応していく文化的なものにも着目し,市場社会における排除の過程と構造を明らかにする.This paper discusses the social exclusion of the Pinatubo Aetas,a group of indigenous people in the Philippines,who were pushed to join the market economy immediately after eruption of Mt. Pinatubo in 1991. Since their entry into the labormarket,the Aetas' nature of work and values has been changing as they are physically and culturally incorporated into the market.However,when the Aetas enter the local labor market,they are tagged as "indigenous people" and categorized asnon-skilled laborers,which result in their marginalization. The Aetas eventually try to acquire the values and labor skills of thedominant market to sustain their livelihood and escape poverty.However,because of lack of access to market resources,they remain trapped in poverty. From as social perspective,the Aetas areexcluded in the labor market,although they are culturally included in the market value system. This paper points out these processesas being part of a structure of the Aetas' social exclusion. Further,this paper examines the linkage of this exclusion and the cultural inclusion of the Aetas. In a previous study on social exclusion,thephenomenon of exclusion was discussed within the context of social structures such as labor market,civil society,and state. TheAetas are not only marginalized by existing social structures; their value system is also gradually endangered as they are forced to acquire new skills and adapt to the market value system to survive.This paper examines specific examples of Aetas in the labor market from these viewpoints to capture the process andmeaning of their inclusion in the market society.
著者
打越 正行
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.32, pp.55-81, 2011-10

社会学では,小集団で展開される対面的相互行為の多様性や,その多様な現実を行為者が認識する際に用いる枠組の可変性が議論されてきた.それに対して,本稿では対面的相互行為が小集団にある資源とその集団の規模によって支えられていることに着目する.それによって,対面的相E行為の多様性や枠組の可変性は,小集団の資源や規模といった〈土台〉によって規定されていることを示す.現在の沖縄の暴走族少年らは,家族,学校,地域に必ずしも安定した基盤を持たず,加えて労働市場では流動的な労働力として扱われる.そのような彼らが,行き着く場所である〈地元〉が,直接的相互作用を支える資源と規模を備えた〈土台〉になる過程を,そこで展開される文化の継承過程をもとにみる.まずは彼らが〈地元〉に集まり,さまざまな活動を展開する際に必要最低限の資源に着目する.最終的に〈地元〉に行き着いた彼らは,共有する文化や物語以前に,まずはそこに継続的に集うための資源が欠かせない.続いて,それらの資源を有効に用いるために, 〈地元〉が適切な規模にあることに着目する.それらの資源はもともと廃棄物か流通品であったが,〈地元〉にあることによって,有効な資源となる.よって,規模が適切でないと,それらの資源は再び無効化されてしまう.以上のような実体的な資源と規模を備えた〈地元〉によって,〈地元〉における彼らの対面的相互行為は支えられていることを確認した.In sociological small groups studies , diversity offace-to-face interaction and variability of frame which actors usein recognizing the diverse realities have been discussed. On theother hand, in this thesis we focus on the point that face-to-faceinteractions are supported by resources in the group and its scale.Therefore we reveal that diversity of face-to-face interactions andvariability of frame are determined by base , resources in the groupand its scale.Now Okinawan Bosozoku youths do not necessarilyhave stable foundations in family, school and region. In addition ,they are treated as frequent labor forces in labor market. Bosozokuis a motorcycle gang group in Japan. Based on successionprocesses of cultures in Jimoto , we inspect the process that Jimotothey finish becomes base furnishing resource and scale supportingface-to-face interaction. Jimoto is a place they survive withregular members at fixed periods.First we aim at bare resources in Jimoto for they gatherthere , and practice some activities. For them finishing in Jimoto ,before sharing cultures and narratives , resources are necessary forcontinuously gathering there. Next for using them usefully, we aimat appropriate scale of Jimoto. Those resources were originallyoff-scourings in capitalist society or ubiquitous goods incirculation , but in Jimoto are usefu1. Consequently if the scale isnot appropriate , those resources become invalid again. Ultimatelywe confirmed that their face-to-face interactions are supported bybase fumishing material resources in Jimoto and its scale.
著者
仁井田 典子
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.31, pp.83-112[含 英語文要旨], 2010-10

本稿は,近年,雇用が不安定化している日本社会において,不安定な雇用状態にある人々が直面している「生きにくさ」に着目することで,現代社会が抱えている問題を明らかにしていくための実証研究である.本稿では,「フリーター」と「ニート」の境界線上を生きるひとりの男性を,事例として用いた.結論は,以下のように整理できる.(1)1990年代初頭に日本社会で社会問題化された「フリーター」「ニート」という社会問題カテゴリーは,不安定な就業状況にある彼を,社会問題の当事者として位置づけた.(2)彼は,社会問題の当事者であることを意識することで,スティグマを抱え込み,就業が長続きしないことや経済的に自立できないことの原因を,自己の問題に帰責させることで,自己否定感に苛まれる.(3)スティグマを抱え込んだ彼は,その原因を彼自身の家庭環境の問題へと転嫁することによって,自分自身を正当化していった.(4)彼は,就業に結びつかない外国語の勉強に没頭し,自己を他者と差別化することにより,自らのアイデンティティを防衛していった.(5)彼自身が直面している「生きにくさ」は,不安定な就業状況にあることを自分の家庭環境の問題,すなわち自己責任として意味づけていることから生じている.彼の「生きにくさ」は,雇用の不安定化が拡大していく現代社会において,その問題を社会的な問題でなく,個人へと帰責させていく日本社会のあり方から生じたものである.This paper is a case study focusing on the "difficulties of life" experienced by people engaged in unstable employment in Japanese society, where employment has become destabilized in recent years, with the aim to clarify the problems of modern society. This paper examines the case of a man who is on the borderline between being a freeter (part-time-job-hopper) and a NEET (young person Not in Education, Employment, or Training). The conclusions are as follows: (1) The social categories of "freeter" and "NEET," which became seen as social problems in Japan during the early 1990s, have led the young man, who is engaged in unstable employment, to be seen as part of a social problem. (2) By becoming conscious of himself as being a social problem, he has acquired a stigma and sees the causes of his failure to gain long-term employment or to become economically independent as being inherent in himself, giving rise to a feeling of self-denial. (3) Since acquiring the stigma, he has legitimized his self by shifting the responsibility onto his own family environment. (4) He has immersed himself in studying foreign languages that do not lead to employment, and by doing so has attempted to defend his identity by differentiating himself from others. (5) The "difficulties of life" that he is experiencing have emerged from the fact that he has shifted the responsibility for his state of unstable employment onto his family environment, meaning as an issue of personal responsibility. Thus, his "difficulties of life," which are taking place within modern society where employment is becoming increasingly unstable, derive from the tendency of Japanese society to shift responsibility for social problems onto individuals.