著者
大倉 韻
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.32, pp.109-134, 2011-10

現代日本のアダルトゲーム(ポルノゲーム)はただ性行為を消費するだけではなく、感動的な物語や登場キャラクターへの恋愛感情をも消費対象とするような独特の進化を遂げている。それを消費するオタクたちは概して現実の恋愛や性行為に対する意欲を欠くため、しばしば「虚構に逃避している」と批判されてきた。だが実際には彼らは逃避しているのではなく、恋愛に関して独自の価値観を持っているようであった。そこでアダルトゲーム消費者にインタビューを行ったところ、次のような知見が得られた。(1)中学高校時代を「一般人」として過ごした者は恋愛の実現に意欲的な傾向があり、「オタク」として過ごした者は意欲的ではなかった。(2) 前者は友人や先輩などから恋愛に関する情報を多く得ており、後者にそのような経験はなかった。Berger and Luckmann の「第二次的社会化」の概念を用いれば、人は「意味ある他者」と恋愛に関する情報交換をすることで恋愛の実現を自明とみなす価値観を内面化していくと考えられる(「恋愛への社会化」) 。前者はその主観的必然性が強化されるものの後者は強化されず、よって「多くのオタクは一般人と比較して恋愛の実現にあまり動機づけられていないため、虚構の恋愛描写で十分満足できる」という可能性があることが見出された。
著者
大倉 韻
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.32, pp.109-134, 2011-10-31

現代日本のアダルトゲーム(ポルノゲーム)はただ性行為を消費するだけではなく、感動的な物語や登場キャラクターへの恋愛感情をも消費対象とするような独特の進化を遂げている。それを消費するオタクたちは概して現実の恋愛や性行為に対する意欲を欠くため、しばしば「虚構に逃避している」と批判されてきた。だが実際には彼らは逃避しているのではなく、恋愛に関して独自の価値観を持っているようであった。そこでアダルトゲーム消費者にインタビューを行ったところ、次のような知見が得られた。(1)中学高校時代を「一般人」として過ごした者は恋愛の実現に意欲的な傾向があり、「オタク」として過ごした者は意欲的ではなかった。(2) 前者は友人や先輩などから恋愛に関する情報を多く得ており、後者にそのような経験はなかった。Berger and Luckmann の「第二次的社会化」の概念を用いれば、人は「意味ある他者」と恋愛に関する情報交換をすることで恋愛の実現を自明とみなす価値観を内面化していくと考えられる(「恋愛への社会化」) 。前者はその主観的必然性が強化されるものの後者は強化されず、よって「多くのオタクは一般人と比較して恋愛の実現にあまり動機づけられていないため、虚構の恋愛描写で十分満足できる」という可能性があることが見出された。
著者
打越 正行
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.32, pp.55-81, 2011-10

社会学では,小集団で展開される対面的相互行為の多様性や,その多様な現実を行為者が認識する際に用いる枠組の可変性が議論されてきた.それに対して,本稿では対面的相互行為が小集団にある資源とその集団の規模によって支えられていることに着目する.それによって,対面的相E行為の多様性や枠組の可変性は,小集団の資源や規模といった〈土台〉によって規定されていることを示す.現在の沖縄の暴走族少年らは,家族,学校,地域に必ずしも安定した基盤を持たず,加えて労働市場では流動的な労働力として扱われる.そのような彼らが,行き着く場所である〈地元〉が,直接的相互作用を支える資源と規模を備えた〈土台〉になる過程を,そこで展開される文化の継承過程をもとにみる.まずは彼らが〈地元〉に集まり,さまざまな活動を展開する際に必要最低限の資源に着目する.最終的に〈地元〉に行き着いた彼らは,共有する文化や物語以前に,まずはそこに継続的に集うための資源が欠かせない.続いて,それらの資源を有効に用いるために, 〈地元〉が適切な規模にあることに着目する.それらの資源はもともと廃棄物か流通品であったが,〈地元〉にあることによって,有効な資源となる.よって,規模が適切でないと,それらの資源は再び無効化されてしまう.以上のような実体的な資源と規模を備えた〈地元〉によって,〈地元〉における彼らの対面的相互行為は支えられていることを確認した.In sociological small groups studies , diversity offace-to-face interaction and variability of frame which actors usein recognizing the diverse realities have been discussed. On theother hand, in this thesis we focus on the point that face-to-faceinteractions are supported by resources in the group and its scale.Therefore we reveal that diversity of face-to-face interactions andvariability of frame are determined by base , resources in the groupand its scale.Now Okinawan Bosozoku youths do not necessarilyhave stable foundations in family, school and region. In addition ,they are treated as frequent labor forces in labor market. Bosozokuis a motorcycle gang group in Japan. Based on successionprocesses of cultures in Jimoto , we inspect the process that Jimotothey finish becomes base furnishing resource and scale supportingface-to-face interaction. Jimoto is a place they survive withregular members at fixed periods.First we aim at bare resources in Jimoto for they gatherthere , and practice some activities. For them finishing in Jimoto ,before sharing cultures and narratives , resources are necessary forcontinuously gathering there. Next for using them usefully, we aimat appropriate scale of Jimoto. Those resources were originallyoff-scourings in capitalist society or ubiquitous goods incirculation , but in Jimoto are usefu1. Consequently if the scale isnot appropriate , those resources become invalid again. Ultimatelywe confirmed that their face-to-face interactions are supported bybase fumishing material resources in Jimoto and its scale.
著者
樋熊 亜衣
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.38, pp.29-58, 2017-11

本稿は1950年から2009年までに女性団体により発行されたミニコミ(127誌)のテキストマイニングを行ない,彼女たちの話題の変遷を明らかにした.ミニコミとはオルタナティブ・メディアの一つであり,フェミニズムの発展には欠かすことのできない存在である.女性たちはこれまで,ミニコミという紙面のうえでコミュニケーションを図ってきた.そこで女性たちは何について語ってきたのだろうか,これを明らかにすることが本稿の目的である.筆者はまず,ミニコミの記事のタイトルに用いられた語上位30位を抽出した.ここで注目したのは,①呼称の変化(婦人,女,女性),②時代を反映した語(例えば優生保護や家庭科など)である.またある時期に現れ,その後継続して使用され続けている語(差別,性,人権,暴力)についても説明した.最後に,新しい問題として「差別」と「性」の語について,それぞれの共起する語を抽出した.「差別」は,「条約」「男女」「性」「賃金」「雇用」「婚外子」といった語と共起が多くみられた.また「性」と共起する語は「差別」から「暴力」へ移行しており,「性」を語るうえで「暴力」という概念が重要な役割を果たしていたと主張した.
著者
打越 正行
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.32, pp.55-81, 2011-10-01

社会学では,小集団で展開される対面的相互行為の多様性や,その多様な現実を行為者が認識する際に用いる枠組の可変性が議論されてきた.それに対して,本稿では対面的相互行為が小集団にある資源とその集団の規模によって支えられていることに着目する.それによって,対面的相E行為の多様性や枠組の可変性は,小集団の資源や規模といった〈土台〉によって規定されていることを示す.現在の沖縄の暴走族少年らは,家族,学校,地域に必ずしも安定した基盤を持たず,加えて労働市場では流動的な労働力として扱われる.そのような彼らが,行き着く場所である〈地元〉が,直接的相互作用を支える資源と規模を備えた〈土台〉になる過程を,そこで展開される文化の継承過程をもとにみる.まずは彼らが〈地元〉に集まり,さまざまな活動を展開する際に必要最低限の資源に着目する.最終的に〈地元〉に行き着いた彼らは,共有する文化や物語以前に,まずはそこに継続的に集うための資源が欠かせない.続いて,それらの資源を有効に用いるために, 〈地元〉が適切な規模にあることに着目する.それらの資源はもともと廃棄物か流通品であったが,〈地元〉にあることによって,有効な資源となる.よって,規模が適切でないと,それらの資源は再び無効化されてしまう.以上のような実体的な資源と規模を備えた〈地元〉によって,〈地元〉における彼らの対面的相互行為は支えられていることを確認した.
著者
小澤 かおる
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.36, pp.25-47, 2015-12

本稿では,2011年の国連決議に至る,性的少数者の権利に関する国際的な流れと,国連がどのような位置づけを行なっているかを概観したのち,告発の必要,承認の要求について述べ,テイラーの承認とアイデンティティについての議論を検討する.ここから「受容」を求めることには課題や限界性があること,「同一化受容戦略」には問題があることを述べる.さらに,性的少数者の場合,自己アイデンティティの追求と当事者コミュニティへの接続が必要であること,それらが人権に立脚していることを論ずる.United Nation resolved A/HRC/RES/17/19 in 2011 that recognized human rights and needs of examinations of SOGI people who have differences related "Sexual Orientation and Gender Identity". At Shibuya ward, Tokyo, Japan, the code called "partnership-code" was established on April 2015. It is outstanding that in some media news about this, a part of activists say that sexual minorities' actions are not only issues of human rights but are also matters as "same" as majorities' issues. This paper discusses that the needs accusations and the requests of recognizing differences to solve discriminations against sexual minorities. It is important to request acceptance from majorities, but "the acceptance-strategy by identification to majority" is not so good strategy. This paper also discusses that to inquire personal identity and to connect sexual minorities' communities is very important to each sexual minority on their growth. The viewpoint of human rights is not only the major issue to who not have been accepted from majorities but also the only one tool to live when they are not guarded by positive lows.
著者
小澤 かおる
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.35, pp.1-28, 2014-11

本稿では,少数者のライブラリが,コレクションの希少性,閲覧者の安全性の点で重要であること,アーカイヴが,所蔵資料の脆弱性,少数者の「自前の歴史」の構築の資源であることから重要であること,インターネットの時代に入っても少数者のおかれた状況から重要性をもつことを述べる.これらのことを考えるために,実際に長くライブラリ・アーカイヴを維持・運営してきたLOUD にインタビューを行ない,過去の経緯や現状を調査した.すると,さまざまな技術的課題は多々あるものの,「いつでもふらっと立ち寄れる場」としてライブラリ・アーカイヴを維持・運営することが,少数者コミュニティの再生産,構築にとって重要であることも新知見として得られた.以上から性的少数者を含む少数者コミュニティの内部・外部から支援を行ない,ライブラリやアーカイヴの構築,維持,管理を行なうことは,ライブラリ・アーカイヴにとってもコミュニティにとっても重要であると結論する.This paper aims to describe why sexual minorities' libraries and archives are important. They have rare materials which are easy to lose in majority's mainstream history. Minorities need places where they use such materials in safe. They are also useful to encourage minorities, to be the resources to write minorities' own histories, to save themselves when disasters occur, and so on. The interview research shows the LOUD (Lesbians of Undeniable Drive) library's state, history, and some problems to solve in the future. From over libraries and archives are important because not only they have their unique importance but also they have the function to re-product and to construct minorities' communities.
著者
成田 凌
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.38, pp.1-27, 2017-11

本稿の目的は,貨幣経済の地域社会への浸透が子どもたちの活動に与えた影響について,青森県旧上北町で1960年代頃まで行われていたという,農家の子どもたちの「物々交換」の過程,および「物々交換からおこづかい制への移行を事例に検討することである.聞き取り調査の結果,次の点が明らかになった.「物々交換」と「換金」は1930年代後半から1960年代半ば過ぎまでおこなわれており,「現金購入」みられるのは1950年代後半以降だった.また農家の子どもたちは自分の家からコメやタマゴを「盗み」,子どもでも買取してくれる集落内の商店や精米所に持ち込んで「物々交換」や換金をおこなっていた.このような本稿の事例から,次の点が示唆される.貨幣経済が地域社会および「子ども(社会)」まで浸透したことで,子どもたちもより大きな社会経済システムに組み込まれていった.その結果,これまで「自由」に入手できたお菓子が,親からお金をもらわなくては買えなくなってしまった.つまり,おこづかい制への移行とは,実は家や地域社会の中で認められていた農家の子どもたちが「自由」を失っていく過程だったのではないだろうか.This paper aims to examine the impact of the influence of the spread of the monetary economy on farm children in a local community. The specific case of the practice of bartering and the transition to giving children pocket money in 1960s in Kamikita town, Aomori prefecture, will be presented. From the late 1930s to the mid-1960s, it was a common practice for farmers' children to steal produce such as eggs and rice from their family's farm to barter them for cheap confectionary, and, from the late 1950s, to sell such goods for pocket money. The children took the stolen produce to local shops to sell or barter, and sometimes to the community rice-cleaning mill. A series of changes in the practice of bartering meant that these children truly lost a measure of their freedom. Before the spread of the monetary economy to small communities, farmers' children were able to buy or barter an egg or some rice for cheap confectionary or cash before the change, but afterwards they could not; after the mid-1960s they had to get money their parents.
著者
青木 久美子
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.32, pp.83-107, 2011-10-31

1990年代半ばから2000年代半ばにかけて, 「昭和30年代(1955~1964)」 がメディア等で頻繁に取り上げられるようになった.この「昭和30年代ブーム」において,昭和30 年代は「貧しくても夢があった時代」といった語りによって,おおむね肯定的に捉えられている.本稿は,この「昭和30年代ブーム」 が時間的経過のなかでいかに変化したかを,過去のモノや出来事をどのように取り扱うかという観点から分析するものである.分析にあたり,「断片化」, 「概念化」という分析枠組みを設定する.「断片化」は,モノや出来事を当時の文脈から切り離しそれ自体を強調して扱う態度を指す.その際,特定の側面を強調し,感情に訴えるような扱い方をここでは「キッチュ」と呼ぶ. 「概念化」は,モノや出来事のあり方をふまえて,特定の社会像を再構成する作業である.その際に当時の生活様式などが理想化され,極端な形になると今後の社会の目指すべき指針として「イデオロギー」的になることもある.「昭和30年代ブーム」における過去の扱い方は,当初,「断片化」された懐かしいモノなどへの愛着という「キッチュ」 が主流であったが,「概念化」され理想として語られるようになり,明確に「イデオロギー」的に利用するような現象も見られるようになった.そうした「イデオロギー」化においては,往々にして,モノや出来事のもつ具体性が巧妙に利用されている.The purpose of this paper is to analyze how "thebooms of the Showa 30s" has changed. "The Showa 30s(1955-64)" has received media attention since the mid 1990s. Themedia considers the era positively as it was special era whenpeople could have dreams despite their poverty; In this paper, Ifocus on the changes in the ways to treat things and events in thepast.For analyzing these changes , I use two categories;fragmentation and conceptualization ."Fragmentation" is definedas the attitude of someone in which they try to emphasize somecertain things and events in the past by taking them up from theoriginal contexts. "Kitsch" is used here to explain the way inwhich an emotional attachment is put on the things and the eventsin the past." Conceptualization" is defined as to rearrange oldthings and events in order to reconstruct specific past images. Theway of life in the past is often idealized , and it becomes"ideological as it is politically treated as a new guideline for thefuture.I would argue that the way of treating things and events inthe past has changed as follows; firstly ," kitsch" was themainstream of the boom, as it only aroused nostalgias through"fragmented" things and events , secondly the particular images ofthat era was "conceptualized" as ideal , and finally , it was used as"ideology". The case of "the booms of the Showa 30s" shows theprocess of constructing our pasts.
著者
宗像 冬馬
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
vol.40, pp.1-20, 2019-12-10

本稿は後期Wittgenstein思想の社会学的意義の再検討を試み,その中で自然主義解釈の社会学理論的展開の可能性を探る.そして自然主義と分析社会学を結びつけることを提案する.後期Wittgensteinの社会学的利用は,言語ゲーム概念と規則をめぐる諸考察に集中している.そこからいかなる理論や方法に繋げるかによって整理すると,大別して(1)論理文法分析・概念分析の方法,(2)意味のシステム論,(3)言語ゲーム論,(4)コミュニケーションと他者の理論,(5)実践と再生産の理論,(6)自然主義の6 つがある.そこには共通する論点がある.第一に,実践と規則の相互関係が基礎となる.第二に,実践が依存するコンテクストは多元的で複雑である.第三に,慣習的実践や規則の研究では意味と自然の領域が区別される.これらを基礎としつつ,実践/規則,理論/方法,意味/自然の区別のどこに着目するかで立場が分かれる.中でも,最も曖昧だが特異な視座を有する自然主義は,記述/説明の区別を導入すれば,説明を志向するものと見なせる.そして自然主義の社会学的位置づけの明確化とさらなる豊饒化の手段として分析社会学の視点が有望である.自然的・因果的メカニズムを説明する試みとして,後期Wittgensteinの自然主義と分析社会学は手を取り合える.
著者
小澤 かおる
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
vol.36, pp.25-47, 2015-12

本稿では,2011年の国連決議に至る,性的少数者の権利に関する国際的な流れと,国連がどのような位置づけを行なっているかを概観したのち,告発の必要,承認の要求について述べ,テイラーの承認とアイデンティティについての議論を検討する.ここから「受容」を求めることには課題や限界性があること,「同一化受容戦略」には問題があることを述べる.さらに,性的少数者の場合,自己アイデンティティの追求と当事者コミュニティへの接続が必要であること,それらが人権に立脚していることを論ずる.
著者
菅沼 若菜
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
vol.40, pp.69-92, 2019-12-10

本稿の目的は,アートを政策的に活用した場合,地域とのつながりとアートの公共性との関連をどのような形で見出すことが出来るかを考察することである.その事例として横浜の黄金町を取り上げ,違法風俗業者を一掃し,「アートのまち」としての再生から約10年経った現在の状況に着目する.黄金町の事例から得られた知見は,以下の点である.第1に,「アートのまち」として再生したことによる,まちの治安の改善とそれに付随する子どもの増加がアートを導入したことによる成果である.第2に,地域から必要とされるアートの実践が今後の課題となる点である.また,行政資料や住民へのインタビュー結果から明らかになったのは,「アートのまち」に対する行政と住民両者の間に見解の相違が見られた点である.第3に,こうした課題を克服するためには,「アートのまち」から何か経済活動が生まれる等,アートと協働してまちが経済的に活性化することや,住民とアーティストの距離感を克服し,両者の協働が生まれることが必要であることが明らかになった.創造都市政策の一環として環境浄化を目的に用いられたアートの役割は,その目的が達成されて終わるのではなく,アートを住民主体のイベントや地域資源と絡めることで,地域の住民や地域に開かれたアートの公共性のかたちを見出す可能性があることが明らかになった.
著者
成田 凌
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.39, pp.1-27, 2018-11-30

近年,「田園回帰」と呼ばれる都市住民の農山漁村への関心の高まりが指摘されている.過疎地域を含む条件不利地域では,当該地域の持続・存続という観点からもこの動向が今後も継続し,将来的に移住や定住へとつながっていくのかに注目が集まっている.そこで本稿では,「田園回帰」における移住・定住を議論するための予備的考察として,「田園回帰」以前の移住者の定着過程について分析をおこなう.首都圏内の過疎山村である檜原村において,自身も移住者でありながら,最近の移住・交流希望者を呼び込んでいるキーパーソンの一人である,女性地域リーダーのY氏を事例とする.係累のない移住者であったY氏が檜原村やA集落に定着できた背景には,次の2点があった.一つは,同じような境遇に置かれていた女性たちと一緒に,生活環境を変えていくために自主保育などの様々な活動に取り組んできたこと.もう一つは,Y氏の「地域を大事にする」ことを重視していることである.かつて地縁・血縁関係の強い「男社会」だった檜原村も,現在では移住者が比較的容易に地元住民の暮らしに馴染める土壌が醸成されているという.その契機の一つとして,彼らの一つ上の世代であるY氏らの取り組みがあったと捉えることができるだろう.そしてまた,このようなY氏の定着過程に,過疎山村集落の持続可能性の議論に求められる要素が見出せるのではないだろうか.
著者
杜 禹威
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
no.33, pp.29-41, 2012-11-01

1966年~1976年にかけて,社会主義中国では,史上に前例のない全国規模の「プロレタリア文化大革命」が10年にわたり起こった. 文化大革命によって,さまざまな社会制度(政治,経済,教育など)は,大きな変化を迫られ, 極度の混乱が生じた. この社会状況のもとで,男女老若または, 地位,階層を問わず,全地域の全住民がこの運動に巻き込まれ,公的場面においても, 私的場面においても,物の考え方,行動様式,職業生活,家族生活および個人生活,価値観念と信仰体系等々, 何らかの影響をうけたことは間違いない.そこで本稿では,文化大革命(1966年~1976年)に遭遇した世代の多くは,自身の文革での辛い経験が,子どもの教育達成をめぐって親の教育歴と社会階層との関連性を実証的データにもとづいて検討することを目的としている. そして,事例の分析に基づいて,文化大革命が「親世代」の人間形成や個人生活および家族生活にどのように影響を及ぼしたのかについて,インタビュー対象者の親たちにそれぞれの人生に与えた影響を分析し「親世代」にとって彼らの成長に影響を与えた文革の体験,生活環境及び価値観などの差異によって,彼らがこどもの教育にはそれぞれ期待を抱いたものの,実際には子どもの教育に対する働きかけや,教育投資が異なっていることがわかった. その結果が,子ども世代の現在の地位達成状況につながっている.