著者
太田 聡一郎
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.129, no.11, pp.37-60, 2020 (Released:2021-11-20)

本稿は、毒ガスの一種である催涙性ガスの戦間期日本における使用事例から、警察概念の援用が戦時国際法解釈・運用にどのような影響を与えたのか考察した。 第一次世界大戦後の国際社会では、毒ガスの戦時使用を国際条約で禁止しようと改めて試みられる一方で、治安維持やデモ制圧など催涙性ガスの警察使用がアメリカを中心に普及していった。日本陸軍はアメリカ軍人の議論の受容や一九三〇年の日本国内における催涙性ガスの警察使用への導入を通じ、催涙性ガスの警察使用を例外的に人道的と見做す発想を定着させた。 一九二五‐三四年に開催されたジュネーヴ一般軍縮準備会議・軍縮会議では、催涙性ガスの違法性や警察行為の位置づけが初めて問題化した。参加国の大多数が催涙性ガスを含む毒ガスの包括的禁止を求めたが、アメリカは催涙性ガス使用、特に警察使用の特例化を主張し、戦時使用は禁止する一方警察使用は容認するという催涙性ガスの特異な位置づけが条約案として確立していった。 軍縮会議と同時期に進行した第一次上海事変・満州事変において、日本陸軍は戦時国際法遵守の必要性と軍縮会議の議論との整合性を意識し、使用する化学兵器を煙幕に限局し対外的に声明するなど一定の配慮を行った。しかし関東軍‐陸軍中央は催涙性ガスの使用を「国内警察行為」と位置づけて法理的には問題ないと見なし、事変後満鉄警備などで実際に使用するようになる。また第一次上海事変の海軍や日中戦争の陸軍は、警察使用から戦時使用の合法性を導出することで催涙性ガス使用を正当化した。催涙性ガスの事例は、化学兵器を使いたいという陸軍内の軍事的要請と、催涙性ガスに関する国内外の法的位置づけを、事実上の戦争における「警察」概念の多義性によって合法的に結節しようとした試みだったと評価できる。
著者
太田 聡一
出版者
東北福祉大学
雑誌
東北福祉大学研究紀要 = Bulletin of Tohoku Fukushi University (ISSN:13405012)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.173-181, 2020-03-19

英語によるオーラルコミュニケーション能力を重視する昨今の英語教育の流れにあって,大学を含む教育機関における英語カリキュラムは,従来の訳読中心の授業から英会話を中心とした,学習者がより多く英語を聴き,発話を行う形式の授業へと変化している。一方で,大学等高等教育機関に在籍する障害学生の数は年々増加しており,平成28年度に施行された「障害者差別解消法」によって,障害を持つ学生の就学に際し,教育機関は合理的配慮をすることが努力義務とされた。聴覚障害のある学生にとって,オーラルコミュニケーションを中心とした英語の学習は多くの困難を伴うものであり,支援を提供する教員および各教育機関もまた,適切な支援を模索し試行錯誤を続けている。本論では聴覚障害学生がオーラルコミュニケーションを含む英語の授業に参加する際の支援について,そこに関わる複数の要素(聴覚障害学生,英語教員,音声字幕システム,ノートテーカー)を先行研究,および東北福祉大学での事例をもとに整理・検討し,将来の支援体制向上に向けた考察を行った。