著者
奥平 康照
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.6, pp.7-22, 2013-03

『山びこ学校』は出版直後から高い評価を受けた。教師たちはそこに新しい教育実践への希望を見出し、教育学者はその理論化こそ、これからの仕事だと考えた。さらに哲学者も社会科学者も、日本の民衆の内側から生れる思想と理論の可能性を、そこに読みとることができると考えた。しかし『山びこ学校』大絶賛は、それに見合うほどには理論的思想的成果をもたらすことなく、50年代後半になると急速に萎んでいった。当事者の無着さえも、「山びこ」実践から離脱していった。50年代後半から始まった急激な経済成長と、政府による教育内容の国家統制強化とに対して、日本の民主教育運動と教育学の主流は、「山びこ」実践とその思想を発展させることによって、対抗実践と理論を構築することができると見なかった。「山びこ」実践への驚きと賞賛は、戦後日本の民衆学校の中学生たちが、生活と学習と社会づくりの実践的主体になりえる事例を、直観的にそこに見たからであろう。しかし戦後教育実践・思想・理論は子どもたちを学習・生活・社会づくりの主体として位置づけることができなかった。
著者
奥平 康照
雑誌
人文研究 (ISSN:04913329)
巻号頁・発行日
vol.20, no.4, pp.331-339, 1968

現在ではもう既に, 経験主義教育論が, 実践の場においても, 理論の場においても, まともに正面にすえて批判されたり問題にされたりすることはほとんどないと言って良いだろう。たしかに第二次大戦後, それが教育理論(思想)のすべてでもあるかのように, 日本の教育界を包んだ経験主義, アメリカ新教育の直輸入, というレベルでの批判は既に終っているであろう。だが, 経験主義的思考は依然として教育についての考え方や実践の中に, ある力をもっている。……
著者
奥平 康照
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Human Studies (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.7-24, 2008-03

1950年前後から数年、生活綴方を核にあるいは基礎にした教育実践が全盛を極めた。厳しい労働をともなう貧しい生活への対峙と新生活への展望、家族と村の旧い共同体規制からの解放と新しい共同性の獲得、その二つが、この時代を特徴づける実践的課題であった。その実践課題に、生活綴方の方法はきわめて有効にはたらいた。しかし50年代後半に貧困からの脱出に可能性が現われ、旧共同体規制が衰弱し始めると、生活綴方実践は後退し、新しい実践の方向と方法がもとめられるようになる。そして教育実践の中心から「生活」が消えていく。当時の教育実践にとって「生活」とはなんだったのか。