著者
藤本 文朗 太田 富雄 加瀬 進 小川 克正 河相 善雄 玉村 公二彦 後藤 容子
出版者
滋賀大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1997

本研究は、障害児教育教員の免許制度(養成・採用・研修に関する懸案事項)を解決するため盲・聾・養護学校並びに都道府県教育委員会・教員養成大学の実情を把握することとともにこの制度についての歴史的研究と国際比較を通して、総合的な観点から免許制度と教師教育の在り方について立案することを意図した。(1)第3年次としてまとめの年で今後あるべき方向として障害児学校の教師には研修として総合的な障害児教育の基礎免許状(教員養成大学学部)を義務づけ、障害別の免許状は大学院専攻科レベルで取れるとしてそのカリキュラムを草案として示した。(2)又ベトナムホーチミン市に障害児教育師範大学(2年、現取対象)の創立、カリキュラム教師派遣に援助して発展途上国の教師教育について討議した。
著者
小川 克正
出版者
一般社団法人 日本特殊教育学会
雑誌
特殊教育学研究 (ISSN:03873374)
巻号頁・発行日
vol.32, no.4, pp.59-66, 1995

特殊教育の最初の用語例は、明治14(1881)年改正の文部省事務取扱規則に見られるが、その意味については従来、何を意味するか明らかでないとされてきた。従前の諸説を吟味し、この用語が使われている規程条文ならびに関連資料を分析し、専門学校ならびに実業学校及びに「盲唖院」を含む各種学校の教育を総称する概念として使用されていることを明らかにした。ほぼ同じ時期に文部省から刊行された翻訳辞典の『教育辞林』には類似の「特別教育」の用語が見られ、その用語法は特殊教育の用語例とも一致すること、この場合の原語はスペシャル・インストラクション(special instruction)であることを確認した。この新しい用語が文部省の事務分掌規程に導入された背景には、新設の農商務省との間に学校の監督権をめぐる係争があり、農業・商業・工業等の諸学校と専門学校ならびに各種学校の教育を総称する用語が必要であったことを併せて考察した。
著者
小川 克正
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.1964, no.9, pp.68-83, 1964-04-30 (Released:2009-09-04)
参考文献数
14

Man's existence is restricted by an antinomy-it is an existence which is temporally in via. To be a man (Menschsein) and to become a man (Menschwerden) - between these two states-lies a limitless distance and an endless number of problems. Education fof the fundamental direction of man, if it possible for him to be a man, will be restricted by the structure of this antinomy. That is to say, it must take place amid polarities which involve contradictory opposition and relations of strain -i. e. self and society, interiority and exteriority, eternal and temporal, freedom and authority.Formalistic education which treats man as a simle object (a technical production education) is opposed to Socratic education by communication. The latter takes hold of the roots of freedom in various and diverse individuals and at this point begins its appeal to reason in attempting to lead a person to open his eyes to self. True education takes its place between these two extremes. True education, while esteeming man's freedom and existential status, also considers the actuality of his being restricted by society. This antinomy is the framwork which not only makes possible true education but also sets the limits of directive education.
著者
小川 克正
出版者
岐阜大学
雑誌
治療教育研究紀要 (ISSN:09162682)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.15-34, 1995