著者
矢沢 静江 小池 保次 高島 文三
出版者
東京女子大学
雑誌
Science reports of Tokyo Woman's Christian University (ISSN:03864006)
巻号頁・発行日
vol.44, no.3, pp.1239-1272, 1994-03-15

東京女子大学善福寺キャンパスの植物調査を1986年より1993年まで行なった。その結果を「東京女子大学キャンパスの植物目録」としてまとめ640種を掲載した。園芸種については一部を記載した。「目録」は分類表に準じて記載し,更に便宜のために和名の五十音順で配列して花期,花色,草本,木本等を記入して「一覧」とした。1935年の目録との比較検討は今回行なわなかったが,杜の会が植えた樹木の一部についての追跡調査を緑の会の学生達が先輩たちを訪ねて1979年に行なったことがある。1979年の台風20号による被害で倒れた樹木の年輪からも,また昔の時代を知る人達の証言からも,杜の会の時代に植樹されたものがかなり残っていることが明らかである。このキャンパスの植生は,移転当初から,「ここに樹を植えて杜をつくろう」という教職員と学生の熱意によって形成されそれをひき継ぐ人達が各時代にいて,自分達のキャンパスとして守り育てようとする多くの人達の連繋によって今日に到ったと云えるだろう。寮の先生方のお蔭で,寮の近くにヒトリシズカやニリンソウ・ヤマブキソウなどの群落があり,また,東校舎の北側の大木の下にはギンランの群落が見られる。一方,近年になって,キンラン・サイハイラン・ジュウニヒトエ・フデリンドウなどは姿を消しかかってきている。キャンパスの植生の今後の課題としては,除草剤散布・大気汚染・人手不足・建築計画等の影響から,長期間かかってつくられた生態系をできるだけ保全し,大切な種を保護して,キャンパスの自然を調和のとれたものとして存続させて行くための方策を立てて,実行することが大切な事だと思う。この目録を作成できたのは直接,間接に前に述べたような多くの方達のお蔭によるものです。個人名はあげきれませんが,心より感謝したいと思います。欅の会・杜の会の方達とそれを支援して下さった多くの方達,そしてそれをひきついだ方達,植物研究会の方々,それからキャンパスの中で過された植物好きの歴代の寮の先生方と職員住宅に居られた職員の方達実際に植物の手入れを行なってきた歴代の職員の方達,生物研究会・緑の会の学生の方達,樹木地図を作成し現在の植生に心を配っている植物趣味の会の職員,植物の手入れや植樹等に努力して下さっている職員の方達,この数えきれない程多くの方達のお蔭で現在の豊かな植生があり,目録にのせることができました。おわりに心より感謝申し上げます。また調査には杉並区の植生研究会の方々に大変おせわになり,まとめにあたっても友人・学生の方々に御協力をいただき,ありがとうございました。
著者
小池 保
出版者
尚美学園大学
雑誌
尚美学園大学芸術情報研究 (ISSN:18825370)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.1-26, 2010-03

マスメディアの経営が、極めて苦しい。不況による打撃だけではない。「マス」広告によるコミュニケーションが、以前のようには効かなくなったことが大きい。論考ではまず、その背景となっている、意識と行動を激変させた「賢い生活者」のあり方に注目し、「クチコミ」というコミュニケーションが表舞台に登場してくる必然性について論じる。続いて、新たな状況に適合すべく、広告ビジネスの先端的クリエイターたちが始めた「コミュニケーション・デザイン」という最新の取り組みが、どんな有効性を持つか検証する。賢い生活者との、最高レベルのコミュニケーションを実現するために、例えば全国の郵便局までをも「メディア」に変えてしまうなど、自由かつキメ細やかにデザインされたコミュニケーションの創出が、どのような新たな時代を拓いてゆくのかについて展望する。
著者
小池 保
出版者
尚美学園大学
雑誌
尚美学園大学芸術情報学部紀要 (ISSN:13471023)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.47-67, 2006-11-30

かつての売り声は、なぜ日本人の心の原風景に流れるBGMとなり得たのか—— 心に響く表現が、どのように工夫されていたのか、音声分析を用いながら考察を重ねるうち、売り声が「市井の詩」となり得たいくつかの条件をはじめ、高いコミュニケーション力を備えていることが明らかになってゆく。やがて、拡声器で売り声を聞かせる時代が到来する。なぜ拡声器が用いられたのか、日本人の住まい方の構造変化にまつわる問題点が見えてくる。その点に注目しながら探るうちに、戦後に起こったコミュニケーション上のパラダイム・シフトとの関係が浮かび上がる。日本人に親しまれた売り声の文化は、事実上、消えてしまった。しかし、それは生活の片隅でさえずっていた小鳥がいなくなったというレベルの、ささいな出来事ではなかった。忍び寄る気体の毒性をいち早く知らせる、カナリアの死であったのかもしれない。