著者
平田 仁胤
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.2007, no.95, pp.71-88, 2007-05-10 (Released:2010-05-07)
参考文献数
20

In recent years, “representation learning, ” which assumes that knowledge presupposes representation, has been criticized. In this criticism “Wittgenstein'sparadox” has been used to point out the logical impossibility of “representation learning” : as long as the notion of “representation” is assumed, the paradox would happen inevitably and spoil “representation learning.” However, the paradox HERE is considered to be merely a theoretical fiction for it does not happens in normal cases, and hence, does not spoil learning. In view of the criticism, this paper attempts to show, by analyzing elaborately Wittgenstein's rule-following considerations, that “Wittgenstein's paradox” can not be seen simply as a fiction. In Wittgenstein's rulefollowing considerations, the notion of “inner-binding” and that of “outer-binding” are crutial. The former is a disposition that is built through “training”. This disposition enables one to judge the “sameness” and to be convinced of the necessity of that sameness. The latter is “institution” that is established through the repetition of “peaceful accordance”. The two bindings sometimes do not conflict with each other.This is exactly the case in which rule-following operates.“Inner-binding” has not been formed yet in an earlier stage of “rule” learning.Therefore “outer-binding” conflicting with the inner does not appear. But the two can come to differentiate themselves from each other as learning progresses and as the inner has been formed. The conflict between the inner> and the outer is equivalent to the case which “Wittgenstein's paradox” describes. Accordingly the possibility of differentiation exists latently and the paradox is not a theoretical fiction.The latent possibility of “Wittgenstein's paradox” indicates that learners are not in a position to distinguish the two. This suggests that learning is uncertain and learning theories are not transparent to learners.
著者
李 秀澈 何 彦旻 昔 宣希 諸富 徹 平田 仁子 Unnada Chewpreecha
出版者
環境経済・政策学会
雑誌
環境経済・政策研究 (ISSN:18823742)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.1-12, 2021-09-26 (Released:2021-11-02)
参考文献数
22

本稿では,「発電部門の石炭火力・原発の早期フェーズアウトは,日本経済と電源構成,そして二酸化炭素排出にどのような影響を与えるのか」という「問い」に対して,E3MEモデルを用いて定量的な回答を求めた.フェーズアウトシナリオとして,原発の場合,稼働年数40年に到達した古い原発からフェーズアウトし,石炭火力は発電効率の低い順から2030年または2040年までにフェーズアウトする2つのシナリオを設定した.そしてこのフェーズアウトシナリオが実現されたときに,2050年までの日本経済(GDP,雇用など),電源構成,発電部門二酸化炭素排出に与える影響について,E3MEモデルを用いて推定を行った.分析の結果,いずれのシナリオでも経済と雇用に悪い影響は殆ど与えないことが確認された.その要因として,再生可能エネルギー発電のコストが持続的に下落し,それが既存の石炭火力と原発を代替しても,経済への負担にはならないという事情が挙げられる.ただし,原発と石炭火力の代替電源としてLNG発電の割合が再生可能エネルギー発電の割合を大きく上回ることになり,発電部門における2050年の二酸化炭素排出量は,50%ほどの削減(2017年対比)に留まることも明らかになった.そこで本稿では,発電部門の脱炭素化のためには,規制的手法だけでなく,カーボンプライシングなど経済的措置の導入も必要であることが示唆された.
著者
平田 仁胤
出版者
岡山大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2016-04-01

本研究では、暗黙のうちに前提とされてきた「学習=個の作業」あるいは脳内にある表象を操作するといった図式を問い直し、学習のメカニズムに状況や他者が不可欠であることを指摘した状況的学習論を批判的に検討することによって、より具体的な学習論を提示することにある。これまで、ヴィゴツキー学派の1人であるユーリア・エンゲストロームの活動理論の検討、そして、それとウィトゲンシュタイン哲学との接続を試みてきた。その結果、異なる状況・文脈においても言語が通用するという原初的信頼の感覚に基づいて、新しい物語を紡ぎだすことで再組織化がなされること、教師の権力・権威概念がその過程において重要であることを明らかにした。平成30年度は、教師の権力・権威に基づく再組織化の過程について、ウィトゲンシュタイン哲学における世界像概念に依拠することによって、さらに精緻化することを試みた。英国ウィトゲンシュタイン学会では共同発表者の1人として”How to Alter Your Worldview: A Wittgensteinian Approach to Education”を発表し、また教育思想史学会のシンポジウム「教育学としてのウィトゲンシュタイン研究――現在の到達点と今後の展開――」では、報告者の1人として「どこからでもない眺め/どこにでもある風景――ウィトゲンシュタインと教育学についての覚書――」の報告を行った。これら2つの学会発表およびシンポジウム報告は現段階では論文化されていないものの、そこで得られた知見の一部を、坂越正樹監修、丸山恭司・山名淳編著『教育的関係の解釈学』(東信堂)の第12章「教育的関係の存立条件に対するルーマン・ウィトゲンシュタイン的アプローチ」として論文化した。