著者
文野 峯子
出版者
公益社団法人 日本語教育学会
雑誌
日本語教育 (ISSN:03894037)
巻号頁・発行日
vol.144, pp.15-25, 2010 (Released:2017-04-15)
参考文献数
43
被引用文献数
1

本稿では,教師自らが「あるべき姿」(横溝2009)に向けて変化し続けることを「教師の成長」と捉え,その実践に授業分析がどう貢献できるかを考察した。まず,日本語教室を対象とした授業分析の先行研究を概観した。次に,教師の成長には「自己主導性」(藤岡1998)が必要であり,自己主導性の獲得には教師自身が自分の授業を批判的に内省する授業分析が最適な方法であることを確認した。その上で,授業分析を教師の成長に役立てるために考慮すべき事柄を考えた。その結果,以下のような結論が導き出された。(1)システムや枠組みを利用することによって,より焦点化された体系的な観察が可能になる。(2)授業分析では,得られたデータを検討するプロセスが重要である。(3)データの検討過程では,さまざまな視点から解釈を試みる作業が有効である。(4)(3)の作業は,授業についてより深い理解をもたらすだけでなく,教師を思い込みから解放し,教師に自由と自信を与える可能性が高い。その結果,自己研修型の教師としての学びが期待できる。(5)授業分析や考察の作業は仲間との対話を通じて行うことでより効果的になる。
著者
文野 峯子
出版者
人間環境大学
雑誌
(ISSN:1348124X)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.35-51, 2003-03-20

近年社会言語学,教育学,心理学などの分野において,「学習」に関する新しい観方が注目されている.新しい学習観は,従来の「学習=情報処理の過程」という観方を批判し,教室における教授-学習過程を,教師と学習者がお互いの意図を伝え合い解釈し合うことによって協慟でつくりあげる動的なプロセスであるととらえる.本稿は,日本語教育の教室談話研究においても,学習観の見なおしとそれに伴う新たな研究方法が必要であることを指摘する.従来のカテゴリー分析に代わる新たな方法論導入の提案である.本稿は,まず62秒間の授業を分析することにより,日本語の授業が動的なプロセスであること,すなわち予め決められたカテゴリーに当てはめる分析方法ではその実態の把握が困難であることを確認する.分析の結果,明らかにされたのは以下の3点である.1)授業は教師からの一方向的な伝達過程ではなく,きわめて複雑なコミュニケーションであること 2)授業の複雑な構造は,参加者全員が協働でつくりあげ維持していること 3)教師・学習者という役割分担やその場が教室であるということは,やりとりを通して可視化されてくること 本稿はこれらの結果を踏まえ,日本語教室の談話の解明には,教室におけるやりとりを動的なプロセスとしてとらえる視点が重要であること,そして変化するプロセスそのものに焦点を当てその意味を詳細に解釈・記述していく研究方法が必要であることを主張する.
著者
宇佐美 洋 岡本 能里子 文野 峯子 森本 郁代 栁田 直美
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究 (ISSN:21889600)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.383-403, 2019-12-31 (Released:2020-03-10)

日本語教育関係者を対象に,フォーラム・シアター(FT)と呼ばれる演劇ワークショップを実施した後で,参加者に対するインタビューを実施し,各参加者にどのような変容があったかを分析した。その結果,ある参加者はFTへの継続的な参加を経て,ネガティブ・ケイパビリティ(すぐに答えを求めず考え続ける能力)を深化させていったことが確認されたが,一方でFTに明確な終着点を求めてしまう参加者もいたことが確認された。またある参加者は,FTでは「一人称的アプローチ」(自分の内観をそのまま他者に当てはめて理解しようとする)によって他者理解をしようとしていたが,その後他者から「二人称的アプローチ」(対象の情感を感じ取り,対象の訴え・呼びかけに答えようとする)を受けることで,一人称的アプローチから脱却していくプロセスが確認された。このことを踏まえ,この種のワークショップを運営する者に求められる配慮についても論じた。