著者
山元 淑乃
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究 (ISSN:21889600)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.129, 2017 (Released:2018-06-05)

本研究の目的は,アニメで日本語を習得した学習者が,日本語で表現する人物像(以下,発話キャラクタ)を,どのような背景と過程によって獲得したかについて,探索的な分析を試みることである。そのため,幼少期から日本のアニメを長時間視聴することで日本語を習得し,日本語と母語で異なる発話キャラクタを演出していると判断されたフランス人日本語学習者Cについて,その日本語学習についての語りを,質的に分析した。分析と考察の結果,Cの発話キャラクタ獲得の背景に,フランス(西洋)と日本(東洋)という対照が見いだされた。そしてCの日本語習得の過程は,アニメの長時間視聴と日本語一人芝居という個人的言語実践を通して,この対照のフランス側ではなく,日本側(アニメで見た日本)において自己肯定を目指し,発話キャラクタを継続的に探索し,獲得する過程であったことが示唆された。
著者
末松 大貴
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究 (ISSN:21889600)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.161-181, 2020-12-28 (Released:2021-04-14)

近年,SNSで自律的に日本語を学ぼうとする「新しい日本語学習者」が注目されている。しかしこれまで「新しい日本語学習者」の学習支援者に注目した研究は見られない。本研究では,「新しい日本語学習者」とその学習支援者が参加するFacebook上のあるコミュニティにおいて,「学習支援者が,その「コミュニティ」と「学習支援者という立場」についてどのように意識しているのか」という点について,比喩生成課題を用いて分析を試みた。その結果,コミュニティの他の学習支援者について,技術面・知識面の向上や新たな教育観の獲得という面と,学習支援者同士の曖昧な関係という2点を意識しているという特徴が見られた。そして,オンライン上の学習コミュニティにおいて学習支援者の関係性の構築のために,①.コミュニティ内での活動を通した日本語教育に関する「〇〇とは何か」というテーマの発見,②.「〇〇とは何か」というテーマを自身が考える従来のコミュニティとの比較,③.①と②を経て得た気づきを他の学習支援者と交換すること,以上3点が必要ではないかということを述べる。
著者
サトウ タツヤ
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究 (ISSN:21889600)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.2-11, 2018-12-31 (Released:2019-05-12)

ナラティブという概念の起源や,主として心理学においてナラティブという概念がどのように注目を浴びたのかについて概説する。また,ナラティブモードがもつ論理科学的モードとは異なる機能やこれら2つのモードの相補性について注意を促し,あわせて TEA(複線径路等至性アプローチ)を用いた研究の可能性についても論じていく。
著者
勝部 三奈子
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究
巻号頁・発行日
vol.17, pp.255-276, 2019

<p>本研究は,日本語教師同士のインタビューの断片を,社会構築主義的な立場から会話分析の行為連鎖と成員カテゴリー化装置という分析概念を用いて微視的に分析し,インタビューにおける質問と回答,説明の行為連鎖の中で用いられるカテゴリー化とその述部の現れ方を記述した。この分析によって,インタビューの説明の達成のために「職人」と「研究者」というカテゴリーとそれに結びつけられる述部が用いられていること,また限られたカテゴリーに関するリソースを一般化することによって所属の教育機関に紐づけられた日本語教師のステレオタイプの構築と分断が行われていたことが,可視化される形で明らかになった。ステレオタイプの構築は意図的ではなく,会話の進行の中で無意識に行われており,このことは日々行われる教師間の会話に内省を促すものである。</p>
著者
末松 大貴
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究 (ISSN:21889600)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.172, 2017 (Released:2018-06-05)

近年日本語教育において,教室や教育機関以外で学ぶ学習者に焦点を当てた研究の必要性が述べられている(舘岡,2015;柳田,2015;など)。しかし,そのような研究や実践はまだ十分になされていない。本稿は,Facebook上のあるコミュニティで日本語を使用・学習している「新しい日本語学習者」(高橋,2014,2015)に焦点を当て,「新しい日本語学習者」がどのような背景を持ち,そしてコミュニティのメリットやデメリットに対して,どのように評価しているかを明らかにしようと試みたものである。調査の結果,回答者の多くがコミュニティに対して肯定的な評価をしており,その理由の中にはオンラインコミュニティ特有の利点も含まれていた。その一方で,学習者が現状のコミュニティに対してさらに求めていることも明らかとなった。これらの結果から,「新しい日本語学習者」に関する研究を進めていく意義について筆者の考えを述べる。
著者
白石 佳和
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究 (ISSN:21889600)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.220-238, 2021-12-24 (Released:2022-02-14)
参考文献数
50

現在,俳句や連句を用いた言語教育実践が国内外でおこなわれているが,その実践を支える文学理論の検討が十分になされていない。本論文では,和歌に始まる座の文学の歴史を整理しつつ,座の文学とは西洋の「文学」概念と異なり文学「する」こと,文学活動そのものであるという理論・日本独自の文学のあり様を検討する。まず,座の文学の性格を,対話性,当座性,帰属性,民衆性の4点にまとめた。それを踏まえて座の文学の教育的側面に注目し,俳句・連句教育における最も重要な活動が対話の場である句会であることを示す。その上で,文学活動と教育活動を合わせ,越境して拡がる座の文学を「活動型文学」と呼ぶことを提案する。活動型文学は人と対話しことばでつながる文学活動である。特に,座の文学の典型である「連句」は,ダイナミック・アセスメントや協働学習,多文化共生を志向した活動として期待できる。本論文により,文学作品を対象とした言語文化教育ではなく,文学活動それ自体を言語文化教育とする「活動型文学」という新たな視点を提案する。
著者
三代 純平 佐藤 正則
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究 (ISSN:21889600)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.169-189, 2019-12-31 (Released:2020-03-10)

本稿は,日本語教育振興協会が1997年に開催した第1回日本語教育セミナー,通称「箱根会議」に関するインタビュー調査である。当時箱根会議に参加した11名の調査協力者の語りから,日本語学校にとって「箱根会議」がいかなる意味をもっていたのかを論じる。調査協力者に対するライフストーリー・インタビューから明らかになった箱根会議の意義は「日本語学校の連携」が生まれ,日本語学校の「社会的アイデンティティの確立」を共に目指すことが確認されたことである。そして,そのために手を取り合い「日本語教育の質の向上」に努めていく素地が整ったことである。箱根会議は,日振協と日本語学校の「管理する側・管理される側」という関係を乗り越え,管理される側であった日本語学校が主体的に自分たちを定位し,社会に働きかけるための象徴的な出来事であった。箱根会議の経験を一つの契機に,日本語学校は,国際交流の最前線を担う教育機関としての社会的アイデンティティを構築すべく歩みを進めるようになったのである。
著者
細川 英雄
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究 (ISSN:21889600)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.58, 2017 (Released:2018-06-05)

本稿では,人間の学としての言語文化教育学の歴史的な展開として,学習者主体からことばの市民への教育理念の変容を論じた。いわゆるコミュニケーション能力育成が目的化されてきた1970年代から80年代以降,90年代後半から打ち出された言語文化教育の思想は,これまでの言語教育の範疇を超え,ことばと文化の教育を人間科学として捉えようとする,言語教育上のポリティクスだったといえよう。1995年の「学習者主体」提案から20年,教育技術方法主義と文化本質主義に陥った日本語教育を捉えなおすための,自己・他者・社会をつなぐ理論的な枠組みとして,言語能力向上の先に存在する,人間形成の課題としての「ことばの市民」という教育概念の意味とその位置づけを提案し,その社会変革理念がどのように具体的な活動実践と結びついていくかという課題を,言語文化教育学のポリティクスとその実践の方向性として示した。
著者
山元 淑乃
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究 (ISSN:21889600)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.360-382, 2019-12-31 (Released:2020-03-10)
被引用文献数
1

本稿は,教育現場に浸透しているとされる「ネイティブスピーカー志向」の第二言語習得が抱える問題を背景に,「非ネイティブスピーカー志向」の第二言語習得の実態を探索的に解明することを目的とする。その一事例として,あくまで非ネイティブスピーカーとして適切な話し手であろうとする態度を一貫して保持してきた,ある日本人英語学習者Aの英語習得に関するライフストーリーを少年期まで遡り,その学習環境や志向がどのように影響し合って学習がなされたかを分析した。また学習の過程で,Aが英語でどのようなキャラクタをどのようにして獲得したかについても検討した。そして,それらを総合的に考察することにより,Aによる非ネイティブスピーカー志向の学習について以下の4つの特徴を記述した。(1) 第二言語でのキャラクタを意図的に設定して演出し,それを省察する。(2) 第二言語の文化に敬意を持ち,改まりと丁寧さを重視する。(3) 何語であるかに関わらず言葉を大切に,構造を正確に使用する。(4) 伝えたいメッセージを明確に持つ。
著者
藤谷 悠
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究 (ISSN:21889600)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.339-359, 2019-12-31 (Released:2020-03-10)

東浩紀の『ゲンロン0―観光客の哲学』(2017)によると,現代の世界は,ナショナリズムとグローバリズムなど,様々な局面で二項対立的な「二層構造」になっているという。本研究は,国際性という文脈のみに単線化された結果,「二層構造」を生み出す要因となっている複言語・複文化の物語を,「本来の姿」へと回帰させることを目指している。単線化した複言語・複文化の物語の例として,「移動する子ども」研究を批判対象とし,同研究が暗示する「移動する子ども」と「移動しない子ども」の二項対立的構造を概観しながら,その間に中間的文脈を作り出すことを試みる。そうすることで,同研究における「移動」概念を拡張的に再定義する。これらの目的に向けたナラティブな調査として,日仏「ハーフ」の人々を対象としてライフストーリー調査を行なった。それに加え,筆者自身の「ひきこもり」経験をオートエスノグラフィーとして記述し,それをハーフたちの語りと交差させる。そうして,「ハーフ=移動する子ども」と「ひきこもり=移動しない子ども」との間に「部分的つながり」を見立てることで,複言語・複文化の物語を複線的な「本来の姿」へと蘇らせるのである。
著者
嶋津 百代
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究 (ISSN:21889600)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.55-62, 2018-12-31 (Released:2019-05-12)

本稿は,学際的なディスコース研究において考察されてきたナラティブの捉え方を例として,言語教育におけるナラティブ研究・実践の新たな方向性を探るものである。そして,「いま,ここ」の文脈において「わたしたちはナラティブを通して何をしているか」という問いが,言語教育におけるナラティブの可能性を見出す出発点となることを示す。まず,従来のナラティブの捉え方やナラティブ研究の視点を研究の認識論や方法論から整理し,それらを踏まえて,言語教育に求められているナラティブ研究・実践の課題を明らかにする。次に,筆者が担当している日本語教員養成で行っている 2つのナラティブ活動 ―教師候補生の探究・省察・成長を目指すための活動,およびアイデンティティの呈示・構築が見て取れる対話で成り立つ活動 ―を紹介する。最後に,これらの活動の目的や成果を通して,日本語教育・教師教育において「語ること」の意味と意義について,筆者の考えを述べる。
著者
寅丸 真澄 江森 悦子 佐藤 正則 重信 三和子 松本 明香 家根橋 伸子
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究 (ISSN:21889600)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.240-248, 2018-12-31 (Released:2019-05-12)

本稿では,言語文化教育研究学会第 4回年次大会(2018年 3月)において筆者らが企画したパネル「留学生のキャリア意識とキャリア支援の『ずれ』を考える ―日本語学校・短大・大学(首都圏・地方)の留学生の語りから」における発表とディスカッションの内容を踏まえ,言語教育者の視点から,日本語学校,短期大学,四年制大学(首都圏・地方)における留学生のキャリア意識と現行のキャリア支援の「ずれ」のありようを報告し,その問題点を指摘する。まず,留学生の語りの事例から,各機関の留学生がどのようにキャリアを捉え行動しているのかを紹介し,言語教育の観点から留学生に必要とされるキャリア支援と実際に提供されているものとの「ずれ」を報告する。次に,「ずれ」の改善のため,言語教育者は留学生と教育機関の双方にどのように関わり,働きかけていけばよいのか,パネルで議論した内容を共有する。最後に,これらを踏まえ,「ずれ」を改善するための今後の課題を指摘する。
著者
八木 真奈美 池上 摩希子 古屋 憲章
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究 (ISSN:21889600)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.404-423, 2019-12-31 (Released:2020-03-10)

本稿は,研究は「生きるために学ぶ人々の要求に応えるもの」でなければならないという問題意識から,移住者が語ったナラティブをリソースとする教材を作成するに至ったプロセスとその意義,並びに作成した教材を使って行った実践について述べる。移住者が語ったナラティブを教材化する目的は,以下の3点である。すなわち,学習者個人のナラティブを(1) 社会に向けて開くこと,(2) それによって日本語教育に対する意味付けを変革すること,(3) それを学習者自身の未来につなげること,である。教材を作成し,実践を行った結果,実践後のワークシートやインタビューから,語りによる移住者へのエンパワーメントや移住者間での経験の共有などが見られた。また,教員養成講座での実践では,受講生の気づきが促され,未来の変化への期待が持たれた。
著者
村田 竜樹
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究
巻号頁・発行日
vol.18, pp.142-160, 2020

本稿は,技能実習生として来日し,地域の日本語教室に参加していた中国人技能実習生ジョさんのライフストーリーである。ジョさんがどのように実習生活における困難に対処してきたのか,その過程でどのように境界や価値観が変容したのか,そして技能実習生活に地域の日本語教室への参加がどのような意味を持っていたのかについて,ジョさんの語りから分析した。その結果,ジョさんは実習生活の中で,「子どもみたい」なわがままな自分から,価値観の相違を前提とし同じ目的に向けて理解し合う「大人しい」自分へと変容していた。また,ジョさんは職場で生じる問題に能動的に関与しており,その過程は,分断された職場を変革していく水平的学習の過程であった。その中で,地域の日本語教室と職場間の越境は「一人の人間として」他者と関わろうとするジョさんの実習生活そのものを支えており,職場を変革する水平的学習を支えるものであったことが明らかになった。
著者
田島 充士 古屋 憲章
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究 (ISSN:21889600)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.260-278, 2018-12-31 (Released:2019-05-12)

ロシアの文芸学者・M. M. バフチンのダイアローグ(対話)論を教育実践研究に応用するトレンドは,筆者が専門とする教育 ‐発達心理学において,すでに定着している。実際,バフチンは中等学校の教員として教鞭を執っていたこともあり,教育場面においてみられる具体的な諸現象に対する,彼の議論の解釈力・説明力はかなり高い。しかしバフチンのいう「ダイアローグ」は,慣れ親しんだ仲間同士の会話というよりもむしろ,異質な文化的背景を持つ他者同士のコミュニケーションを志向する概念である。このダイアローグ概念の特殊性を理解せずに,具体的な事象の説明に適用しては,バフチン理論が本来持つ,豊かなポテンシャルを活かしきることはできないように思う。本論では,異文化交流の可能性を拓くという視点から,バフチンの議論を読み解く。また関連する実践研究にも触れ,教育実践の豊かさを理解する上での,バフチン論の魅力について紹介する。
著者
牲川 波都季
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究 (ISSN:21889600)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.96-114, 2018-12-31 (Released:2019-05-12)

本研究は,外国人のグリーン・ツーリズム受入を成功させてきた,秋田県仙北市の農家 A夫妻を対象に,インタビュー調査からその他者認識の特徴を明らかにしようとするものである。ここで導出される他者認識の特徴は, A夫妻の成功の理由を示すとともに,外国人との接触や外国語・外国文化を学ぶ機会が限られていながらも,間近に外国人との出会いが迫った多くの日本人にとって,参照できる事例になりうると想定された。分析の結果,自らとは異質な存在であるからこそ,その他者と伝え合い出会い続けたいと願うという,他者認識のあり方が描き出された。ただしこの他者認識において,外国人であることに特別な重みは付与されていない。未知の一人ひとりと関係を作っていこうとする意志は,特定のカテゴリーを重視することからは生まれてこない。ここに外国人といった捉え方でない他者認識のあり方を育てることが,新たな言語文化教育の課題として立ち上がってくる。
著者
田村 直子
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究 (ISSN:21889600)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.63-83, 2018-12-31 (Released:2019-05-12)

毎年,大学院の授業で被爆者の証言ビデオのスクリプトを翻訳しているが,学生は非常に熱心に授業活動に取り組む。この学生の熱意は証言に内在する共感を呼ぶ力に起因すると思われる。本稿では被爆者を「歴史の証人」の一種と位置づけ,次の三つの側面を踏まえ,被爆者証言を証言というよりは,語りと捉える。被爆者証言とは,歴史学上は原爆投下に関する社会的・歴史的出来事について述べたものである。心理学的には,原爆の記憶を再構築し新たな自己を形成するという個々の被爆者の心的過程の結果である。社会学的には,自分の存在意義に関わる語りであり,当人の社会行動の前提となるものである。語りについて文学分析で提案されているナラティブ共感論で指摘されている特徴を被爆者証言の構成要素と翻訳過程の内部に検証したところ,被爆者証言にも証言の受け取り手の共感を呼ぶ力があることが分かった。語りの共感力には大きな可能性があるが,限界もある。語りに傾聴し,語りを深く理解し,受けとめた語りを自分の語りとして語り継ぐサイクルを促すべきだ。
著者
大河内 瞳 菅 智穂 杉本 香
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究 (ISSN:21889600)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.225-247, 2022-12-23 (Released:2023-01-29)
参考文献数
31

未就学児の子育てをしながら日本語教育に携わる教師であるという共通点を持つ筆者の私たちは,仕事と子育ての経験に向き合うために,語り聴く場を設けた。そこで自身の経験を語り,他者の経験を聴くことを通して,経験の捉え直しや日本語教師である自分についての理解が促されていった。このプロセスは,日本語教師としての自身のあり方を見出すプロセスであった。本稿では,私たちのうち1名に焦点を当て,彼女が仕事と子育てに関わる経験の見つめ直しから,日本語教師としての自身のあり方を見出していったプロセスを明らかにした。彼女は,「子育て=大変」に反発する思い,同じように反発した20年前の出来事の捉え直しを経て,多様性が普通に存在する社会を作りたい,また学生が自分を理解するのをサポートしたいという思いから,日本語教育の実践において声の獲得を目指していることを見出していったのである。
著者
中川 康弘
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究 (ISSN:21889600)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.84-95, 2018-12-31 (Released:2019-05-12)

語り手の多くが日本語非母語話者である日本語教育のナラティブ研究には,語り手に対する「虫のよさ」がつきまとう。本稿では好井裕明が『語りが拓く地平』(2013)において示した「虫のよさ」を再定義し,規範を批判的に問い直す運動過程を「生成変化」としたドゥルーズ/ガタリ(2010)の『千のプラトー』を手掛かりに,留学生 1名へのインタビューから聞き手である私の「構え」の省察を試みた。それにより,語り手に対峙する日本語教育研究者に,自らの立ち位置の再考の契機を与えるナラティブの可能性を示すことを目的とした。結果,留学生の語りに表れた葛藤をかわし,「構え」に固執することで,私自身が相手から気づきを得る生成変化の機会を逸していた。ここから,日本語教育研究者が陥りやすい「虫のよさ」の問題には,語り手の葛藤や疑問に自己を投影しながら共に解決に向かう過程に,生成変化をもたらす可能性を秘めていることがわかり,そこにナラティブ研究,実践の意義が導き出された。
著者
井濃内 歩 井出 里咲子
出版者
言語文化教育研究学会:ALCE
雑誌
言語文化教育研究 (ISSN:21889600)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.61-81, 2020-12-28 (Released:2021-04-14)
被引用文献数
1

本研究は,国内で急増する留学生とその家族が地域社会で参入する「公共空間」の一つ,保育園をフィールドに,保育園と外国人保護者とのコミュニケーション課題の実態を報告するものである。社会的文脈と不可分の動的実践として「ことば」をまなざす言語人類学の立場から,外国人保護者と園の対話を阻むものとして語られる「ことばの壁」が,相互理解には「英語」か「日本語」という共通「言語」が不可欠だとする言語イデオロギーや,わかってほしい事柄のすれ違いにより,双方に「わかりあえない」という観念が形成されている状態であることを論じる。課題解決の糸口として,現場の「ことば観」を解きほぐし,多様なコミュニケーション資源を柔軟に駆使した対話とかかわりあいの仕掛けづくりへの提案を行う。さらに,課題を抱える公共空間に調査者が「入る」こと,呼びかけに応答し,人々の声を聴くことそのものが,フィールドの変容とその協働的な再創造に繋がる可能性について考察する。