著者
川口 雅昭
出版者
人間環境大学
雑誌
(ISSN:1348124X)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.1-9, 2003-03-20

安政元年三月、吉田松陰はペリー刺殺を目的とした下田事件をおこし失敗する。しかし、その松陰が五年後には、「通信通市は天地の常道に候」と、一八〇度ともいうべき変容を見せるのである。その主因の一つは、和親条約締結以来、我国の属国化という危機状態は進捗しているという焦燥感であり、他は「西洋各国にては世界中一族に相成り度き由」とか、「遮て外と交を結ばざる国は取除かる由。取除きには干戈に非ざれば得ざるは固よりなり。(中略)二百年前葡萄牙・西斯班人御放逐なされたる頃と只今とは外国の風習大いに異なり」などという、国際社会の的確な認識による、国際感覚の成長であった。その間、彼は対話による日米間の懸案解決策さえ提案している。吉田松陰は、現在においても、幕末期における日本型原理主義の代表の一人のような先入観で語られることが多い。しかし、彼は上述したような柔軟な国際感覚を持ち合わせていたのである。今後、このような観点も念頭において松陰研究を進める必要があると考える。
著者
神谷 昇司
出版者
人間環境大学
雑誌
(ISSN:1348124X)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.1-11, 2009-03-31

平成十七年一年間の柏露軒茶会記の内、先回は風炉の時期である五月から十月までの道具組を記載しました。今回は十一月と十二月を取り上げます。十一月は炉の正月、炉開き・茶壷の口を解く口切の時期です。茶摘みは二月四日の立春から数えて八十八夜(五月二日)くらいから準備をして五月十日ころから始まります、抹茶は「藁下十日、簀十日」といって、茶摘みの頃から逆算して、その十日くらい前に藁をのせて、さらに十日ほど前には、茶畑に組まれた足場に簀を拡げておくのが標準的段取りです。摘み取られた生葉は蒸して乾燥して「荒茶」となる。荒茶を「茶撰り」にかけて「碾茶」ができる。碾茶は茶壷の中に半斤の紙袋に収められた数種類の濃茶(夫々茶銘を記す)と周りに薄茶を詰めて濃茶が湿気ないように包み込んで暗冷所に一夏貯蔵される。秋まで寝かせると熟成されて旨みを増します。いわゆる「口切」を迎える頃にもつとも適した風味になるわけです。この十一月に父八十八歳、母八十歳、合わせて百六十八歳の「いろは茶会」を催しました。また十二月の茶会記は、利休居士の孫、元伯宗旦の命日にあたる十二月十九日に毎年厳修する「遠忌茶会」を取り上げました。それぞれの亭主の思い入れを感じていただければ幸いです。
著者
吉田 喜久子
出版者
人間環境大学
雑誌
(ISSN:1348124X)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.17-28, 2007-03-31

宗教の死生観が問題とされる際、神道の場合は、現世を越える超越的価値をもたない所謂「現世主義」であるとされることはよくあるが、例えば仏教的立場からは、更にその現世主義に「心情的なニヒリズムの影」がつきまとっている、というような批判さえ提出されている。しかし、神道に対する「現世主義」という通念も、そこに「心情的なニヒリズム」を見出す捉え方も、神道における「いのち」を、人間の肉体的生命、乃至この世の生命というように誤解したところから生じている。人間も自然も、自分で生きているのではない、いのちに生かされて生きている、いのちの顕現である。そのようないのちとは、この世とあの世というような範疇のみならず、此岸とか彼岸といった、普遍主義的宗教の概念にも属せしめられない。神道の中核に「いのちの敬虔」を見た本居宣長の神道観は、そのことをよく表している。
著者
奥村 和美
出版者
人間環境大学
雑誌
(ISSN:1348124X)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.27-33, 2003-03-20

『萬葉集』の漢字表現に初学書である『千字文』がどのような意識のもとに利用されているのか、『千字文』の出典としてのありかたを考察する。まず、アメツチを「玄黄」(巻13-3288番歌)と記すことについては、一般的な訓詁の知識によるものであって『平字文』を特に典拠としたとは言えないことを明らかにする。次に、月のミチカケを「盈呉」(巻7-1270香歌、巻19-4160番歌)と記すことについては、『千字文』を出典とし、李暹注に典拠として示される『周易』の文脈を十分に理解した上で、その典拠を短く圧縮したところの一種の佳句のように利用したと捉える。また次に、吉田宜の書翰中の「年矢」(巻五)という表現については、『千字文』を出典とするのみならずその李暹注を通して『論語』をも踏まえると考える。このように注をあわせてみれば、『千字文』は、引用すべき原典の要約版のように使われていると言えるのであって、それは類書の利用に近い側面をもつ。つまり、『萬葉集』において『千字文』は佳字佳句から成る類書的性格の書物として利用されていたと言うことができる。
著者
文野 峯子
出版者
人間環境大学
雑誌
(ISSN:1348124X)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.35-51, 2003-03-20

近年社会言語学,教育学,心理学などの分野において,「学習」に関する新しい観方が注目されている.新しい学習観は,従来の「学習=情報処理の過程」という観方を批判し,教室における教授-学習過程を,教師と学習者がお互いの意図を伝え合い解釈し合うことによって協慟でつくりあげる動的なプロセスであるととらえる.本稿は,日本語教育の教室談話研究においても,学習観の見なおしとそれに伴う新たな研究方法が必要であることを指摘する.従来のカテゴリー分析に代わる新たな方法論導入の提案である.本稿は,まず62秒間の授業を分析することにより,日本語の授業が動的なプロセスであること,すなわち予め決められたカテゴリーに当てはめる分析方法ではその実態の把握が困難であることを確認する.分析の結果,明らかにされたのは以下の3点である.1)授業は教師からの一方向的な伝達過程ではなく,きわめて複雑なコミュニケーションであること 2)授業の複雑な構造は,参加者全員が協働でつくりあげ維持していること 3)教師・学習者という役割分担やその場が教室であるということは,やりとりを通して可視化されてくること 本稿はこれらの結果を踏まえ,日本語教室の談話の解明には,教室におけるやりとりを動的なプロセスとしてとらえる視点が重要であること,そして変化するプロセスそのものに焦点を当てその意味を詳細に解釈・記述していく研究方法が必要であることを主張する.
著者
神谷 昇司
出版者
人間環境大学
雑誌
(ISSN:1348124X)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.1-16, 2007-03-31

平成十七年一年間の我が家の茶会記を淡交社刊『なごみ』に連載しました。「年間の道具の取り合わせをみて、茶会に対する思い・客への心づかい・季節の移ろい・茶道具の妙味・茶道具周辺の時代背景などを感じていただけると思います。茶の湯は、亭主と客の二人称で観客のいない即興劇が、時間的経過の中で展開されます。この茶室空間は、亭主の「創意・工夫」によって、あるときは主客の緊張した空間にも、寛いだ華やかな空間にもなります。一月はお正月のおめでたい「初釜」を、厳寒の二月は逆勝手「大炉(だいろ)の茶会」、三月は「ひな祭り」(上巳(じょうし)の節句)、四月は「桜の花見茶会」と進み炉を塞いで、五月は畳の上に風炉・釜を置く「初風炉の茶会」を五月節句でとりあげました。六月は岐阜・長良川の「鵜飼の趣向」、七月は「七夕」、八月は「涼味の茶会」、九月は「月をテーマ」に、十月は風炉の最後の季節で「名残の茶会」、十一月は炉の正月、炉開き・茶壷の口を解く口切の時期です。ちょうど父八十八歳、母八十歳、足して百六十八歳の「いろは茶会」を取り上げました。最後の十二月では利休居士の孫、元伯宗旦の命日に厳修する「遠忌茶会」で締めくくりました。今回は一月から四月までとしました。それぞれの茶会における亭主の思い入れを感じていただければ幸いです。
著者
渡 昌弘
出版者
人間環境大学
雑誌
(ISSN:1348124X)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.43-51, 2008-03-31
著者
花井 しおり
出版者
人間環境大学
雑誌
(ISSN:1348124X)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.29-39, 2007-03-31

万葉集巻九に、「田辺福麻呂之歌集」出の、「過_二足柄坂_一、見_二死人_一作歌一首(足柄の坂に過きるに、死人を見て作る歌一首)」(9・一八〇〇)と題される歌がある。万葉集において、題詞に「見(視)_二死人(屍)_一」と見える歌は、いわゆる行路死人歌と称される。行路死人歌の歌群において、当該歌は、死人それ自体の描写が詳細であること、および死人の内面にも立ち入り、心情を想像することにおいて個性的である。本論では、そのような表現が、福麻呂に特徴的な見方である「直目」に見ること-単に「直に」見るということではなく、相手に価値的な「直に」というあり方で逢い、渾身の力で見ること-に由来すると解されることを論じる。
著者
菅原 太
出版者
人間環境大学
雑誌
(ISSN:1348124X)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.53-87, 2003-03-20

アンコール・ワットの壁面には、約2千体の女神像(デヴァター)が浮き彫りされていたという。通常、宗教美術の場合、同じ神格ならばそれが何体造られていたとしても、それらは全て共通の図像と表現様式をそなえているが、アンコール・ワットでは、これらの彫像の膨大な教と、寺院の広大な境内、その造築に費やされた年月、さらには、壁面彫刻に携わった彫工達の個性や表現欲求がその表現を変容させ、逸脱と多様化へと向かわせているようである。本稿では、女神像の彫られたアンコール・ワットの壁面の中から逸脱と多様化の顕著な例を取り上げ、統一された厳格な様式から彫工達の個性表現、洗練された公的表現から、より作者個人の潜在的欲望を露にしたプリミティヴなものへというように、創作エネルギーを保持しつつも変質し、多様化してゆく浮彫り像を、日本及びアジアの社寺からのいくつかの例との比較を交え、さらには現代日本文化とも照らし合わせながら見てゆく。