著者
斎藤 叶吉
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.32, no.8, pp.432-442, 1959-08-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
11

福島盆地について桑園減少と果樹園増加の傾向,両者の関係,各地域の内部構造について調査した.その主な結果は次のごとくである. 桑園増加は1920年頃まで行われ,その後は停滞か減少をつづけた.これは暖地の桑園増加におされた結果である. 1929年以降の桑園増減形式では,南部は戦後も残存が多いが,減少をつづける型,東部も残存多く,最近やや増加傾向を示す型,その他の地域には減少をつづける型があらわれる. 桑園は根刈か中刈が多いが,ここは兼用桑園の北限にあるため,根刈は葉が軟弱となり,能率が悪い.交互抜採の中刈桑園がよい. 盆地の桑園は現在,梁川付近の阿武隈川氾濫原に多いが,県全体の分布中心地は,その西の阿武隈山麓丘陵地にある.福島県の桑園分布の中心は東に動いた形勢がある. 果樹園の増加は各果樹の古くからの中心地から周辺に広がつた形をとつている. 1929年以降の増加傾向をみると,最大の増加地域は盆地の中央部にあらわれ,西部から西北部がそれについでいる.これらは桑園減少の大きい地域と一致する.未結果果樹園の分布も果樹園増加傾向と似ているから,現在福島盆地にみられる地域分化は,今後いつそう深められそうな状況がうかがえる. 最初りんごは水田,梨は開墾畑,桃は河畔や丘陵の畑に入つたが,戦後,りんごは水田・普通畑・桃畑,梨は普通畑,桃は桑畑と開墾畑に多く入る.農業統計からみると,盆地中央部の果樹地域では水田と桑園が果樹園化し,その他は桑園からであるが,桑園の減少した面積を果樹園と普通畑,ときには水田も加わつて,地域ごとに異なる割合でで蚕食している.開墾畑の果樹園化も考えられる. 藤田・保原・福島・微温湯を結ぶ線は,果樹作と他の形の農業との競合線にあたる.その線の内外で農業目標を異にし,内部溝造にも影響がおよんでいる. 盆地は農業の地域分化が明らかである.未結果果樹園率からみて,甲府盆地・長野盆地ほど果樹園化が活発でなさそうに思えるから,この地域分化は当分の間存続しそうである.
著者
斎藤 叶吉
出版者
一般社団法人 人文地理学会
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.16, no.4, pp.337-352, 1964-08-28 (Released:2009-04-28)
参考文献数
26
被引用文献数
4

本文は近世以降における桐生機業圏の復元と,その内部構造の変容を扱ったものである。桐生機業圏の形成は近世以降のことで,近世前期には旗絹献上に由来する桐生領54ヵ村がこれに属し,その内部は自蚕自糸自織の均一構造をもっていた。天正19年に桐生新町ができると,そこに開かれた絹市が機業の核となった。元文3年以後,西陣の織物技術や高機が伝来し,紋織が始まり,機業圏内部に問屋制家内工業,ついでマニュファクチュアが生じた。この間に,山中入が機業圏から離脱した。幕末近くになると,桐生新町に機業関連諸部門が集中し,機業圏の核心となった。機屋は桐生新町とその周辺,および南部一帯に特に集中してきた。また,機業圏の西部や北部は白絹,桐生新町周辺は糸染織物というように,2種の機業圏に分化してきた。明治初年は機業不振で,機業圏は以前よりやや縮少した。壬申戸籍を利用して調査すると,機業関連諸部門は桐生新町と境野に特に集中していた。機業形態では,桐生新町に機屋,その近在に機下職が集中していた。賃機を専業とする戸数は少ないが,農家の副業として広く行なわれた様子は,他の資料から推察できた。当時すでに着尺は桐生新町付近,帯地は機業圏南部,生絹はその西部といった,機業圏内部の地域分化がみられた。明治10年からは輸出織物が始まり,桐生は明治から大正にかけて最盛期を出現した。以前から生絹を作っていた西部・北部は輸出物を作るようになり,機業圏は輸出物生産が盛んになると広がり,不振になると縮まった。第二次大戦は桐生機業に壊滅的打撃を与えたが,戦後の復興は早かった。現在の機業圏は桐生市街地を核心とし,東部・南部は内需物生産地域で,工場と従属工場形態の製造業者が幅広い地帯をつくり,その外側に賃機地帯が狭くとりまいている。西部と北部は輸出物生産地域で,少数ながら大工場の製造業者が,主として桐生市街西郊に分布し,工場・従属工場形態の加工業者がこれをとりまき,広い賃機圏がさらにこれを囲んでいる。最近この機業圏内に変化が生じつつある。内需物生産地域では,企業合同による機業団地または大工場の設立が考えられている。輸出物生産地域では,賃機が農村青年の専業にかわる傾向がみえ,そのため,下職的機業者への転向を望んでいる。これらにはいずれも,簡単にゆかない問題が付随している。桐生機業は内にこれらの矛盾を抱き,外に織物の需要減問題と対している。これらの問題を克服することに,桐生機業の面目と発展とがかけられている。