- 著者
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服部 勇
- 出版者
- 福井大学
- 雑誌
- 福井大学地域環境研究教育センター研究紀要 : 日本海地域の自然と環境 (ISSN:1343084X)
- 巻号頁・発行日
- no.14, pp.99-115, 2007-11-01
福井県旧美山町芦見地区では近年いちじるしい人口流出に伴う過疎化,農業の衰退がおきている.地区全体の現在人口は200名ほどであるが,江戸時代はじめには1,000名近い人口があった.江戸時代を通じて芦見地区は大野藩の領地であったが,周囲を険峻な山々に囲まれ,ほぼ閉鎖社会であり,独自の共同生活社会を形成した.新文化は大野藩から峠越えに入ってきたに過ぎない.明治以降になると,西側の福井市との交流を求めるようになり,芦見道の整備と相まって,文化交流,産業交流,及び人的交流は獺ケ口を経由して福井市側と行われた.日本の国家政策や地方都市の都市化により,芦見地区の人口流出が始まった.都市へのあこがれ,農業収入の不安定さ,少子化,等がその原因であるが,さらに,道路の整備により,平常は都会で生活し,休日に農作業に芦見に来る人も増えた.道路整備が人口流出を導く例である.過疎は,若年層の流出により進展する.現在の芦見地区の年齢構成は極端に高年齢側に偏っており,農業従事者も高年齢の女性が中心となっている.働き手の減少は農地の放棄や植林による杉林化を導いている.現在の土地利用状況は,杉林が山から平地へ,奥地から中央部へ押し寄せていることを示している.農業に従事する高齢者へのインタービューでは,跡継ぎがいないこと,農業経営では生活できないことなどから,現在の高齢者が最後の農業従事者となるというようなあきらめの境地に浸っている.芦見地区も美山町も過疎の進展をただ黙って見つめていたわけではなかった.芦見地区には平成になってからも旧芦見小学校が新築され,森林体験キャンプ場やスキー場が開発された.芦見地区を過疎から守り,発展させる想いで造営されたこれらは,現在では壮絶な過疎との戦いの痕跡として残されている.過疎から逃れる方策はあるのだろうか.芦見地区の多くの人々は芦見地区に愛着があり,先祖からの田畑を守っていきたいと想っている.しかし,結局は芦見地区やその周辺に働く場があり,ある程度の生活が保障されないと芦見に住むことは困難である.芦見地区がなくならないための一つの方法は,現在の芦見道(県道31号)の両端側,すなわち獺ケ口側と大野市側を拡幅直線化,一部トンネル化し,国道158号の代替道路の役割を持たせることである.この道は福井市-大野市間の主要道路となり,いくつかの産業も入ってくると同時に地区外に出た住民も戻りやすくなる.しかし,芦見地区以外の人々の通行が増えることにより芦見地区が変貌していくことは避けられない.