著者
惠多谷 雅弘 鶴間 和幸 中野 良志 村松 弘一 小林 次雄 吉田 愛 福島 惠
雑誌
学習院大学国際研究教育機構研究年報 (ISSN:21890838)
巻号頁・発行日
no.3, pp.89-112, 2017-02-01

高分解能衛星データで秦始皇帝陵墳頂を通る南北中軸線の方位を計測すると,北方向は現在の真北からやや東偏している。この南北中軸線を方位図法投影した地球の三次元球体衛星画像上にプロットしたところ,その北方向は驪山北方約700 km に位置する陰山山脈烏拉山の最高峰近くに達した。またこの時,『史記』の記述で統一秦の東門がおかれた場所とされる胊県(現在の連雲港市)を通る東西線は,『三輔旧事』で秦西門との記述がある約1,100 km 西方の汧水(千河)を横切り隴山に達することも分かった。『史記』や『三輔旧事』の記述は統一前後の秦に当時の方位を意識した空間的概念が存在したことを示唆しているが,衛星画像の解析結果は秦帝国形成において胊県(東海),隴山(汧水),驪山(渭水),烏拉山(黄河)の山水を東西南北のランドマークとした壮大なグランドプランが存在した可能性を示唆している。
著者
村松 弘一
出版者
三田史学会
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.397-420, 2001-07

1 はじめに2 杜預上疏の歴史的背景3 水害対策としての陂の破壊 : 杜預上疏の検討(1)4 淮北平原における陂池開発 : 杜預上疏の検討(2)5 おわりに論文
著者
桐本 東太 村松 弘一
出版者
慶應義塾大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

本研究は古代中国における地理情報(Geographic Information)の作成と管理についての解明を試みるものである。戦国秦期の天水放馬灘秦墓出土の木製地図を分析の対象としてとりあげた。地図は西漢水流域を示していたと仮説を立て、当該地区の早期秦文化遺跡との関係、河川の分岐と距離の関係などを検討した。また、『山海経』『水経注』『穆天子伝』などの古代文献の検討から古代地理書の作成過程について研究した。
著者
村松 弘一
出版者
学習院大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2008

本研究では近代中国の古都・長安における文物保護の動きを『長安史蹟の研究』を著した足立喜六をめぐる様々な資料を通じて見ることが目的である。(1)足立の撮影した古写真と現代の遺跡の比較、(2)碑林の博物館化を通じて見た近代中国の政治権力と文化政策、(3)外国人による西安の文物の海外流出と現在の所蔵状況(米国・ペンシルバニア大学博物館、仏国・ギメ美術館)など様々な観点からの調査をおこなった。外国人が西安を訪れることによって発生した大秦景教流行中国碑流出未遂事件や唐太宗六駿流出事件などを通じて、一地方都市となっていた西安の文物に光があてられたが、複数の政治勢力が存在していた民国期においては、別々に文物保護を行っていたため、1944年なりようやく文物保護の拠点たる博物館が完成したことが判明した。なお、本研究を通じて、足立喜六氏遺品資料の調査が可能となったため、さらなる研究の深化が期待できる。