著者
松平頼暁 有馬 純寿
出版者
一般社団法人情報処理学会
雑誌
情報処理学会研究報告音楽情報科学(MUS) (ISSN:09196072)
巻号頁・発行日
vol.2006, no.133, pp.41-42, 2006-12-15

日本の電子音楽の歴史については、川崎弘二の同名の書の第一章に詳しい。同書の第二章には、私を含めた多くの関係者のインタビューが載っているが、それらは時とすると、殆ど「薮の中」状態になることもあって、現代史の読み方の難しさを表明している、と言えなくもない。この書にある他の人の見方もある程度、参照しながら、表記の題の下で、有馬氏の質問に答えたい。曰本のテープ音楽は、1950年代に始まっているが、私が関わっているのは1964年に完成した《transient'64》以来である。私は当時、既に小さな伝統と化していた、日本の電子音楽の枠から自由でありたいと考えていた。この頃既に、電子音楽と具体音楽の境界は暖昧になっていたが、私の次のテープ音楽《Assemblages》(1968)では両者の素材音が使われている。それ以前に、日本でもライヴ・エレクトロニック・ミュージックは始まっていて、私も、1967年以降、作曲している。《Accumulation》(1976)は典型的な例である。Expo'70では、私は《朝の音楽》と《杖はひるがえり》他でお祭り広場の音楽を担当した。あるいは初めてクラシックを聞く人もいたかも知れない-当然、その人達は現代音楽を知らない-大集団の立場を擁護する当局者達との対応に苦労した記'億のみ残っているのはやむを得ないことだ。ここでの巨大なテクノロジーは文字通り、ポータブルではなかったので、その後の私達作曲家にとって、どのような効果をもたらしたのか、直ちに指摘することはできない。Expo'70でもコンピュータはしばしば使われていたが-上記の私の作品の演奏はコンピュータで制御されていた-これ以後に徐々にテクノロジー音楽はコンピュータ音楽を意味する時代になってくる。1982年以降、私の多くの作品は、全面的あるいは部分的なコンピュータ・アシステッド音楽で、音素材がコンピュータによって計算されていろ。もっと積極的にコンピュータに依存した作品は、私の3番目(それ以後はまだない)のテープ音楽《Constellation》(1984)で、これはクセナキスのUPICシステムによっていろ。その後は、国立音楽大学の今井慎太郎氏の全面的なアシストを得て、ピアノとコンピュータのための作品《Cores》を作曲している(1997)。