著者
松村 寛之
出版者
史学研究会
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.272-302, 2000-03
著者
松村 寛之
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.272-302, 2000-03

個人情報保護のため削除部分あり本稿は、重要な近代思想の一つとして昨今注目されつつある優生学が、一九三〇年代から十五年戦争期にかけての日本でいかなる位相にあったかについて論ずるものである。この時代には、「日本民族衛生学会」の創設など、二〇世紀初頭以来日本に浸透してきた優生思想が政治的・思想的運動として本格化してゆくと同時に、他方で満州事変を契機とする陸軍の「国防国家」建設がはじまる。本稿ではこの「国防国家」と優生学の関係について、当時の優生学の中心的担い手であった医学者の古屋芳雄の思想と行動をてがかりに考察する。その際の筆者の論点は以下の二つに大約されるだろう。すなわち一つには、かつて白樺派の同人であった古屋が、「正常な科学」である優生学に傾倒する論理のなかに、「近代」のもつアクチュアルな問題性を観相することであり、いま一つは彼の思想の強い影響をうけつつ生成した「国防国家」の優生学を、ファシズムを「近代の病理」として認識する契機として位置づけることである。