著者
植田 康孝
出版者
一般社団法人 人工知能学会
雑誌
人工知能学会全国大会論文集 第31回 (2017)
巻号頁・発行日
pp.4C11, 2017 (Released:2018-07-30)

人工知能の進化により私たちの価値観や生き方が変わる。日本人は勤勉を尊ぶ価値観を根付かせて来たが、アニメ「おそ松さん」は6人兄弟が遊んで暮らす脱労働化生活を送る。「おそ松さん」的ライフスタイルとは、政府がベーシック・インカムを支給して物質的欲望を満たした場合、文化、芸術、旅行など「コト」についての関心を増やすことである。賃金が支払われるだけの労働を行う生き方に代わり、個性を大切にする生き方となる。
著者
植田 康孝
出版者
江戸川大学
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.26, pp.141-158, 2016-03

新しいメディアが新しい体験をもたらし,時として認識する方法を再編し人々の生活あるいは人生のあり方を変えることは,メディア史研究の源流の一つであるイニス,ハヴロック,マクルーハンらの第一世代,オングやメイロウイッツら第二世代のトロント学派によって提起されてきた。たとえば,最近のInstagram の急速な普及は,特にファッション分野において男性中心だった写真文化の「女子化」というメディア文化の変容をもたらしている。スマートフォンの普及に伴い,Instagram の月間アクティブユーザー数(MAU)は4 億人に増えTwitter の月間を超えLINEに次ぐ2 番目のアプリの位置を占めたことが報告されるが,本学学生の間においても,約6 割の学生が利用経験を有し,約9 割の学生が撮影した写真をネットに投稿した経験があることがアンケート調査で分かった。インターネットの面白いところは,作り込まれたテレビ番組を見るよりも,Instagram で流れて来る友人の近況の方が「エンタテインメント」になることである。更にInstagram が急速に広がった理由として,若者が好む「自己肯定感」がある。Instagram に投稿した意外な背景やイケてる自分が仲間に注目され認められれば,自信につながる。同じインターネットサービスであっても,ブログとは異なり,ネットワーク財としての性格が強いInstagram の場合,ネットワークを通じて拡散する傾向が強く,ユーザーの自信が増幅して投稿する誘因となりうる。特にファッション分野においては,モデルや女優が自撮りした数多くの写真をInstagram に投稿するようになっている。Instagram は,その日のファッションや訪れたカフェの写真を投稿したり,好きなモデルやタレントをフォローしたり,「おしゃれ」なイメージから大学生を中心に人気が拡大している。Instagram には,ファッションアイテムやコーディネート,ヘアアレンジ,メイクなど,多様なファッション関連写真が投稿される。Instagram はファッションに関する若者の興味関心を細分化することにより,多様化多彩化していくメディアである。一方でInstagram はそのメディア(中間)性を発揮して若者を結び付け,「想像の共同体」を育んだ。その疑似空間は時にお互いが切磋琢磨する学びの場となっている。ファッションモデルやファッションブロガーの大半がInstagram にアカウントを持っており,ファッションに関心がある若者はこれらモデルや有名人をフォローして,コーディネートを考える時にInstagram を参考にするようになっている。そのため,「ファッシニスタ」と呼ばれる美意識の高い先進的な若者がファッションに関する知識を得るメディアは,かつての店頭マネキン(1970 年代),テレビ・新聞(1980 年代),ファッション雑誌(1990 年代),読者モデルによるブログ(2000 年代)からInstagram(2010 年代)へと移行した。エンタテインメントビジネスでは,「演者」と「観客」の偏りで大きく2 つに人気構造が分かれる。たとえば,ジャニーズやAKB48 などアイドルは「異性間消費」である一方,ファッションにおけるInstagram は同性から支持を受ける「同性間消費」である。「異性間消費」は「疑似恋愛」の関係が観客から演者に取り結ばれる一方,「同性間消費」では観客から演者に「私もかくありたい」という憧れの構造が取り結ばれる。Instagram はその先進性がゆえにオールドメディア過ぎる人々には包摂と排除のメカニズムを有するが,ミレニアルズ(21 世紀世代人)にはメディア環境変化の必然である。
著者
植田 康孝
出版者
江戸川大学
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.27, pp.35-85, 2017-03

日本は,面積は世界60 位に過ぎないが,人口は世界10位,GDPはいまだ世界3位であり,「大きな力を持つ小さな島国」である。しかし,同じく小さな島国であるニュージーランドと日本の国民生活の質を示す「一人当たり名目GDP」は逆転し,年々その差を拡げつつある。伴い,多くの変化が見られるようになって来た。日本とニュージーランドは対極にあることが分かる。日本が貧しくなっているならば,ニュージーランドは豊かになっている。英国EU離脱や米国トランプ大統領就任が続く中,移民を上手く受け入れ自由貿易を推進するニュージーランドは今や「世界を元気づけ幸福に出来る唯一の例外」である。 ニュージーランドでは,2016年12月,49.5% という高い国民支持率を得ながらジョン・キー首相(1961 年8 月9日生まれ,55 歳)が「今が引き際」と辞任(政界引退)を表明し,副首相兼財務相のビル・イングッシュ氏にその座を禅譲する潔さが話題となった。一方,日本は,東京五輪準備で元首相が影響力を行使するなど,高度経済成長の頃を夢見て,客観的な判断を怠る姿を露呈した。日本の凋落は,幻想に縛られ,時代の転換期に付いて行けなくなっている前世代がもたらす「老害」に他ならない。「21 世紀に生きているのに,20世紀から抜け出せない感覚を抱いている」世代は,若い世代に居心地の悪さを与える。日本の若者は,職業が安定せず年金がもらえない不安があり,賃金も低いまま放置されている世代である。将来に不安があるため,晩婚化が進み社会に少子化をもたらす。民主主義はその参加者により決まるが,わが国が抱える病理は,参加者の大半が高齢者になっている点である。高齢者は自らの世代を最優先に考えて行動するため,年少世代が貧乏くじを引く羽目に陥いる。 2016 年末,テレビドラマ「逃げるは恥だが役に立つ(逃げ恥)」が若者を中心に人気沸騰したが,25 歳大学院修了で働きたい意欲を持つ主人公「森山みくり」(新垣結衣)が派遣切りされ月給19万4,000円で「家事のプロ」を目指さなければならない,「就職難」「晩婚化」という日本の若者が抱える現代事情を反映させたことが,広く「共感」を呼んだ。若者世代は社会や他人から必要とされたいアイデンティティ欲望を強く持つが,高学歴で「できる」若者が,「できない」高齢者の割を食う構図にあり,生き難いと感じる社会になっている。主人公が「ああ,誰にも必要とされないって,つら~い」とため息を付くところから,作品は始まった。 同じく大ヒットした「君の名は。」は,女子高生・三葉(上白石萌音)と男子高校生・瀧(神木隆之介)の「入れ替わり」という超常現象で結び付いた恋愛関係が山深い町に住む人々を100 年に1 度の彗星が近付く巨大災厄から救う大きな力になる。若者世代が活躍する場が狭められている日本において,「社会に役立つ存在になりたい」「他人から必要とされたい」という2つの欲求を同時に成就させる過程が若者世代の心を捉えた。 バブルを知らず大きな災厄のみを体験して来た若者世代は「もう日本は経済成長せず,下り坂を転がり続ける」と感づいており,「日本はどうなってしまうのか」と壮大な不安の只中にいる。東京五輪も無責任な高齢者たちが場当たり的に事を進める茶番を繰り広げ,大手メディアからの「みんなで」応援しようという「同調圧力」は悽まじい。推進するはずであった大手広告代理店は24歳の新入社員を過重労働やサービス残業,セクハラやパワハラで自殺に追い込んだ。SMAP が解散に至るまでの経緯は,若い挑戦者が年長者や既存システムにすり潰されて行く姿を映し出した。新しい時代を築くためには新しい発想が不可欠であり,若者世代が主役となるべきであるが、日本は若者世代が活躍する場が極めて狭い社会となっている。 「老人大国」日本と「若者の国」ニュージーランドでは将来性に大差があり,今後更に格差が拡がる見込みである。
著者
植田 康孝
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
vol.26, 2016-03-15

新しいメディアが新しい体験をもたらし,時として認識する方法を再編し人々の生活あるいは人生のあり方を変えることは,メディア史研究の源流の一つであるイニス,ハヴロック,マクルーハンらの第一世代,オングやメイロウイッツら第二世代のトロント学派によって提起されてきた。たとえば,最近のInstagram の急速な普及は,特にファッション分野において男性中心だった写真文化の「女子化」というメディア文化の変容をもたらしている。スマートフォンの普及に伴い,Instagram の月間アクティブユーザー数(MAU)は4 億人に増えTwitter の月間を超えLINEに次ぐ2 番目のアプリの位置を占めたことが報告されるが,本学学生の間においても,約6 割の学生が利用経験を有し,約9 割の学生が撮影した写真をネットに投稿した経験があることがアンケート調査で分かった。インターネットの面白いところは,作り込まれたテレビ番組を見るよりも,Instagram で流れて来る友人の近況の方が「エンタテインメント」になることである。更にInstagram が急速に広がった理由として,若者が好む「自己肯定感」がある。Instagram に投稿した意外な背景やイケてる自分が仲間に注目され認められれば,自信につながる。同じインターネットサービスであっても,ブログとは異なり,ネットワーク財としての性格が強いInstagram の場合,ネットワークを通じて拡散する傾向が強く,ユーザーの自信が増幅して投稿する誘因となりうる。特にファッション分野においては,モデルや女優が自撮りした数多くの写真をInstagram に投稿するようになっている。Instagram は,その日のファッションや訪れたカフェの写真を投稿したり,好きなモデルやタレントをフォローしたり,「おしゃれ」なイメージから大学生を中心に人気が拡大している。Instagram には,ファッションアイテムやコーディネート,ヘアアレンジ,メイクなど,多様なファッション関連写真が投稿される。Instagram はファッションに関する若者の興味関心を細分化することにより,多様化多彩化していくメディアである。一方でInstagram はそのメディア(中間)性を発揮して若者を結び付け,「想像の共同体」を育んだ。その疑似空間は時にお互いが切磋琢磨する学びの場となっている。ファッションモデルやファッションブロガーの大半がInstagram にアカウントを持っており,ファッションに関心がある若者はこれらモデルや有名人をフォローして,コーディネートを考える時にInstagram を参考にするようになっている。そのため,「ファッシニスタ」と呼ばれる美意識の高い先進的な若者がファッションに関する知識を得るメディアは,かつての店頭マネキン(1970 年代),テレビ・新聞(1980 年代),ファッション雑誌(1990 年代),読者モデルによるブログ(2000 年代)からInstagram(2010 年代)へと移行した。エンタテインメントビジネスでは,「演者」と「観客」の偏りで大きく2 つに人気構造が分かれる。たとえば,ジャニーズやAKB48 などアイドルは「異性間消費」である一方,ファッションにおけるInstagram は同性から支持を受ける「同性間消費」である。「異性間消費」は「疑似恋愛」の関係が観客から演者に取り結ばれる一方,「同性間消費」では観客から演者に「私もかくありたい」という憧れの構造が取り結ばれる。Instagram はその先進性がゆえにオールドメディア過ぎる人々には包摂と排除のメカニズムを有するが,ミレニアルズ(21 世紀世代人)にはメディア環境変化の必然である。
著者
植田 康孝
出版者
江戸川大学
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.26, pp.141-158, 2016-03

新しいメディアが新しい体験をもたらし,時として認識する方法を再編し人々の生活あるいは人生のあり方を変えることは,メディア史研究の源流の一つであるイニス,ハヴロック,マクルーハンらの第一世代,オングやメイロウイッツら第二世代のトロント学派によって提起されてきた。たとえば,最近のInstagram の急速な普及は,特にファッション分野において男性中心だった写真文化の「女子化」というメディア文化の変容をもたらしている。スマートフォンの普及に伴い,Instagram の月間アクティブユーザー数(MAU)は4 億人に増えTwitter の月間を超えLINEに次ぐ2 番目のアプリの位置を占めたことが報告されるが,本学学生の間においても,約6 割の学生が利用経験を有し,約9 割の学生が撮影した写真をネットに投稿した経験があることがアンケート調査で分かった。インターネットの面白いところは,作り込まれたテレビ番組を見るよりも,Instagram で流れて来る友人の近況の方が「エンタテインメント」になることである。更にInstagram が急速に広がった理由として,若者が好む「自己肯定感」がある。Instagram に投稿した意外な背景やイケてる自分が仲間に注目され認められれば,自信につながる。同じインターネットサービスであっても,ブログとは異なり,ネットワーク財としての性格が強いInstagram の場合,ネットワークを通じて拡散する傾向が強く,ユーザーの自信が増幅して投稿する誘因となりうる。特にファッション分野においては,モデルや女優が自撮りした数多くの写真をInstagram に投稿するようになっている。Instagram は,その日のファッションや訪れたカフェの写真を投稿したり,好きなモデルやタレントをフォローしたり,「おしゃれ」なイメージから大学生を中心に人気が拡大している。Instagram には,ファッションアイテムやコーディネート,ヘアアレンジ,メイクなど,多様なファッション関連写真が投稿される。Instagram はファッションに関する若者の興味関心を細分化することにより,多様化多彩化していくメディアである。一方でInstagram はそのメディア(中間)性を発揮して若者を結び付け,「想像の共同体」を育んだ。その疑似空間は時にお互いが切磋琢磨する学びの場となっている。ファッションモデルやファッションブロガーの大半がInstagram にアカウントを持っており,ファッションに関心がある若者はこれらモデルや有名人をフォローして,コーディネートを考える時にInstagram を参考にするようになっている。そのため,「ファッシニスタ」と呼ばれる美意識の高い先進的な若者がファッションに関する知識を得るメディアは,かつての店頭マネキン(1970 年代),テレビ・新聞(1980 年代),ファッション雑誌(1990 年代),読者モデルによるブログ(2000 年代)からInstagram(2010 年代)へと移行した。エンタテインメントビジネスでは,「演者」と「観客」の偏りで大きく2 つに人気構造が分かれる。たとえば,ジャニーズやAKB48 などアイドルは「異性間消費」である一方,ファッションにおけるInstagram は同性から支持を受ける「同性間消費」である。「異性間消費」は「疑似恋愛」の関係が観客から演者に取り結ばれる一方,「同性間消費」では観客から演者に「私もかくありたい」という憧れの構造が取り結ばれる。Instagram はその先進性がゆえにオールドメディア過ぎる人々には包摂と排除のメカニズムを有するが,ミレニアルズ(21 世紀世代人)にはメディア環境変化の必然である。
著者
植田 康孝
出版者
Waseda University
巻号頁・発行日
2004-02

制度:新 ; 文部省報告番号:甲1863号 ; 学位の種類:博士(国際情報通信学) ; 授与年月日:2004/3/15 ; 早大学位記番号:新3734
著者
植田 康孝 榎本 優奈
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
vol.30, 2020-03-15

近年,ストリーミングの台頭で音楽の聴き方が大きく変わりつつある。スマートフォンが変えた様々な生活スタイルの中でも,音楽は劇的に変化した消費行動の一つである。利用者の嗜好に合わせて人工知能が推薦曲を自動的に生成し,日々変化させる。ストリーミングを利用することにより,音楽消費が好みのアーティストや楽曲,アルバムを指定して聴くスタイルから,プレイリスト中心のスタイルへと大きく変化した。ストリーミングを使ってヒットするためには,プレイリストの活用が重要になる。そして,プレイリストに採用されるためには,繰り返し聴けるBGM にもなる楽曲となることを必要とする。色々なプレイリストに入る楽曲の方が再生回数を伸ばすには,メタルのような激しいサウンドの楽曲よりも,歌詞をじっくりと聴ける楽曲の方が適する。ストリーミングランキングにおいては,売り上げや動員よりも再生回数が指標となり,繰り返して何度も聴きたくなるシンプルな「楽曲の良さ」がヒットに直結する。レコード会社,アーティスト,芸能事務所,マスメディアの力が弱まり,歌詞や楽曲が重要となっている。この点がCD シングルランキングとの大きな違いである。 「あいみょん」も「トップ50」や「ネクストブレイク」など,各社の公式プレイリストに入ったことがストリーミングにおける人気に繋がった。「あいみょん」が人気となった最大の理由として,歌詞の良さが挙げられる。歌詞に彼女が得た人気の原因があり,ストリーミングという何度でも繰り返し聴きたくなる楽曲に有利なメディアと相乗効果を生んだことが,デビュー以降の急激な人気上昇を生み出した。本研究は,「あいみょん」の歌詞に着目,テキストマイニングにより歌詞を数量化したデータに考察を加えた。「あいみょん」の歌詞を分析すると,アーティストらしさが意識された語として「君」「僕」「あなた」「2 人」がすべての楽曲において多用されていることが分かった。
著者
植田 康孝 木内 英太 西条 昇 田畑 恒平
出版者
江戸川大学
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.25, pp.171-184, 2015-03

近年の大学教育において、特に学生集めに奔走する私学では、学生に分かり易い「現実」や「過去」を教育対象とする傾向がある。いわゆる「置きに行く」と呼ばれる行為である。しかし、本来「大学」とは長期的視座に立って時代や学生の一歩先、半歩先の方向性を提示する機関であるべきはずである。本稿は、このような反省に立ち、新たな時代概念として「インフォテインメント(Infotainment)」を提示して、概説するものである。「インフォテインメント(Infotainnment)=情報娯楽」とは,「エンタテインメント(Entertainment)=娯楽」と「インフォメーション(Information)=情報」を融合させた上位レイヤー概念である。アナログ文化に留まらず,「(デジタル)インフォメーション」と融合することにより,「エンタテインメント(Entertainment)」をより魅力あるものにすることが可能となる。「スマート(賢い)エンタテインメント」とも言うべき存在である。具体的には,初音ミクや末永みらい,プロジェクションマッピング,ライブ・ビューイング,AR(拡張現実)を用いた劇場演出などが挙げられる。一方でイノベーションの基に生まれる画期的な「(デジタル)インフォメーション」もスムーズに社会や市民に受け入れられる訳ではない。材料を削る切削加工,金型を用いた射出成形,板金やプレス成型などを代替する新しい製造技術として期待される「3D プリンター」も,フィギュアやキャラクターグッズ,アクセサリーなど「エンタテインメント」との融合を起点とすることにより,ユーザー・インターフェイスを格段に向上させる。「クール(カッコイイ)インフォメーション」とも呼ぶべき出発点はユーザーフレンドリーな存在である。平成27 年度カリキュラムから本学マス・コミュニケーション学科に創設される「エンタテインメント」コースは,これら「スマート・エンタテインメント」や「クール・インフォメーション」の上位レイヤーのコンセプトとして「インフォテインメント」を掲げ,これを学ぶものである。従来のアナログ中心の「エンタテインメント」教育や,効率性・利便性を中心とした工業的な「情報」教育とは,明確なる区別を目指すものであり,新たな時代の実践モデルを図る。平成26 年度においては,「プロジェクションマッピング」「3D プリンター」や「ユーストリーム中継」を用いた教育を実践し一定の教育効果を見た。平成27 年度は改組した上で,「人工知能(AI)ロボット」や「AR ウェアラブル端末」を用いた新たな「インフォテインメント教育」を導入する計画である。
著者
植田 康孝
出版者
江戸川大学
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.25, pp.185-193, 2015-03

2014 年3 月に国内上映が始まったディズニー映画「アナと雪の女王」は,興行収入で,「千と千尋の神隠し」(304億円),「タイタニック」(262 億円)に次ぐ歴代第3 位となったが,ヒット作以外は厳しいのが,日本における映画産業の現状である。2013 年の日本公開映画の1 本当たりの興行収入は1 億7,389 万円であり,1973 年以来40 年ぶりの低水準に落ち込んだ。興行収入総額は1,942 億円であり,3 年連続で2,000 億円を下回り頭打ちとなっている。このような中で,閑散期に映画館の上映室や座席を有効利用する策として考えられたのが,映画以外のコンテンツ配信である「ODS(Other Digital Stuff)」あるいは「AC(Alternative Contents)」とも呼ばれる「ライブ・ビューイング」である。「ライブ・ビューイング」は,音楽ライブ,スポーツイベントなどの中継,オペラやミュージカル,歌舞伎,落語など様々なジャンルに及ぶ。また,映画とは異なり鑑賞料金の価格を自由に設定することができることに加え,人気アーティストの生中継では満席に近い集客が期待できるため,映画上映では平均稼働率25% にしか座席が埋まらない映画館側にとってメリットがある。観客にとっても,入手困難で高額なチケットを購入しなくてもライブの臨場感を楽しむことができること,ライブ会場までの長距離移動が解消されること,ゆったりとした環境で視聴できることなどのメリットがある。
著者
植田 康孝
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
vol.28, 2018-03-31

アイルランド出身の劇作家ジョージ・バーナード・ショーは「老いるから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなるから老いるのだ」と残し,人は感情から老いることを諭した。明るい社会を構築するためには,夜遊びを楽しむ元気で健康な大人が必要であり,日本でも,「夜の活力」を維持する努力が欠かせない。高齢者は若者に比べ夜間の屋外活動時間が短いため,社会の高齢化に伴い日本の夜間経済(ナイトタイム・エコノミー)が縮小しつつある。訪日外国人客からは,日中には観光に忙しいが,夕食後は時間を持て余すため,日本の都市について「夜,遊べる場所が少ない」との不満が聞かれる。夕食後の午後8時から午前3時までの時間帯は飲食やカラオケが主体となっているが,訪日客の本時間帯における消費は少ない。欧米では,ミュージカルに音楽ライブやダンスなど,大人が深夜まで楽しめる「クラブ文化」が根付き,「ナイト・エンタテインメント」(「夜遊び経済」)が盛り上がって来ている。年間4,000億円とも言われる「ナイト・エンタテインメント」市場の創設に向け,ナイト・エンタテインメントを楽しむモデルケースが求められている。 本稿は,「子供向けエンタテインメント」に対する抑制された「遊び」に対する反発として,「遊び」の原点である「快楽」を求める「ナイト・エンタテインメント」の「飲酒」を取り上げる。時に「ナイト・エンタテインメント」に有用性は認められず,その享受者は後ろめたささえ感じて来た。実際,大衆が楽しむ多くの「ナイト・エンタテインメント」は低俗なものとして,高級文化に対置され,一段低く見なされた。なお且つ学術的研究の対象からも排除され,時に低級なものとして揶揄の対象となる傾向があった。映画や文学,スポーツなど「子供向けエンタテインメント」には有用性があるとされ,「ナイト・エンタテインメント」は堕落的,金銭浪費的であると捉えられた。 本稿で扱う「飲酒エンタテインメント」には,人口減少,少子高齢化,若者のお酒離れなどマイナストレンドが進む。エンタテインメントの選択肢が数多く存在する21世紀にあって,居酒屋での飲酒は現代人には時間的に長過ぎるエンタテインメントであり,衰退傾向にある。例えば,ビール市場は1994年をピークとして,近年は下落基調が継続し,ピーク時の4分の3になった。また,日本酒の消費量は直近40年間でピーク時の3分の1にまで減少している。しかし,近年,人工知能により大幅に品質改善が進み,SNSでの高い評価を受けて,国内需要の見直しに留まらず,日本製ワインや日本酒の輸出も増加傾向にある。ワインや日本酒の輸出増加の恩恵を受け,原料となるブドウや酒米の生産量も増加に転じている。飲酒エンタテインメントにおいて,人工知能技術の導入による技術革新を発端として,輸出→生産増→原料生産増加という経緯を経た「第6次産業化」が進行中であることは,ナイト・エンタテインメントに新時代(人工知能やロボットなどを上手に利用する「テック社会」)の到来を促している。
著者
植田 康孝

本研究の目的は, 2012 年6 月6 日に開票された「(第4 回) AKB 48 27th シングル選抜総選挙」について,ユニット化のメリットとロングテール構造を確認して, 且つインターネットの影響を実証するものである。本研究の実証結果より, 「総選挙得票数」に与える, 「ユーチューブ(政見放送) 再生回数」の弾性値は0.47,「Google+登録ユーザー数」の弾性値は0.97 であることが明らかとなった。劇場からスタートしたため, 元来, AKB 48のファンは自ら「参加したい」「発信したい」という欲求が高い。最大公約数を狙うマスメディアが提示する世界ではなく「自分の興味関心が高いメンバーに近い世界を構築したい」と考えるファンで構成されている。ところがテレビは時間的制約があるため, ファンのニーズを満たし得ない。一方, 制約がないインターネット上では,興味関心メンバー毎のコミュニティが形成され, ファンはマスメディアより満足度を高めることができる。 こうしたコミュニティが増殖するに従い, ファンが活用する情報メディアとしてマスメディアからインターネットへのシフトが進んだ。AKB 48 の場合, 従来のアイドルと異なり, テレビ番組や歌番組などマスメディアでの露出よりも, 「ユーチューブ(政見放送)」や「Google+」などのインターネットや, 秋葉原「ドン・キホーテ」8 階にある「AKB 48 劇場」やCD 購入者を対象とした「全国握手会」など「ライブ・イベント活動」の影響の方が大きいとかねてより指摘されていたが, 本稿での実証結果もこれを裏付けており, 今後のアイドル・プロモーションにおけるメディア選択の方向性の一つを示したと言える。
著者
植田 康孝 木村 真澄
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
vol.27, 2017-03-31

日本人は,鉄腕アトム,ドラえもんなど,いつの時代も人間そっくりのヒト型ロボットに憧れて来た。そして,その憧れは,近年,技術革新が著しい人工知能へと結び付く。人間のように動き,時に感情まで持つアンドロイド(ヒト型ロボット)は様々なSF マンガに登場するため,今やエンタテインメントには欠かすことが出来ない存在になっている。鉄腕アトムやドラえもんといった,ロボットを題材としたアニメが人気となった日本では,特にヒト型ロボットの研究が先行して来た。コミュニケーションが出来るヒト型ロボットは海外でも需要が高い。日本以外にも少子高齢化に悩む国では新たな労働力が必要となるためである。サービス業でロボットを利用すれば,生産性を向上して経済成長を促すことが出来る。日本は,福島第一原発,少子高齢化に伴う健康・医療,介護,労働力不足,地方経済の疲弊など数多くの課題を抱えるが,課題解決するためには人工知能(ロボット)の活用が不可欠である。課題先進国であるからこそ,人工知能の開発が進むチャンスである。 問題となるのは,ロボットが獲得する「自律知」である。人間が作り出す人工知能を搭載する最新のロボットは果たして「心」を持つことが出来るのか。「感情」や「自意識」を持った「人格」がロボットに宿るのか。議論の分かれ目は「感性」や「意識」,そして「精神」や「魂」といったある種の神秘性をロボットが持てるか,それともそれらがロボットには欠落するか,という点に尽きる。この問題は,ハリウッドのSF 映画における見方と日本アニメ文化の見方で大きく分かれる。西欧キリスト教文明では,心を持つのは人間だけに限定され,動物には心はないと考える。ましてやロボットのような無機物の「魂」には「心」も「魂」もないと考える。一方,日本人は,路傍の石やモノノケなど森羅万象あらゆるモノに「モノの気」があると考えて来た。もちろん森羅万象の「気」「魂」「心」「意識」「自我」には様々な階層があるが,自然に対するそのような見方の下では,人間以外の存在も「心」や「魂」を持てることを,日本人は自然に受け入れることが可能になっている。 「ドラえもん」や「鉄腕アトム」のような「自律知」を持った「汎用人工知能」を実現するためには,2つの問題を解決しなければならない。人工知能のシステムに価値観を「植え付ける」という技術的問題と,その価値観はどういうものにするべきかという倫理的問題である。道徳論はいわば,人類の永遠のテーマとして扱われて来た。何千年も前から議論が続いているが,私たちはいまだ道徳論に対する「正解」を見つけられずにいる。汎用人工知能として日常生活に溶け込むロボット「ドラえもん」にどのような倫理観を植え付けるべきかという正解を見つけることは,今後ともに議論の余地を残す。軍事ロボットを開発する米国や中国と異なり,ロボットを平和用途に限定して用いる日本が果たすべき役割は大きい。いつの時代も問われているのは人間の倫理観である。
著者
植田 康孝
出版者
一般社団法人 人工知能学会
雑誌
人工知能学会全国大会論文集
巻号頁・発行日
vol.2017, pp.4C11, 2017

<p>人工知能の進化により私たちの価値観や生き方が変わる。日本人は勤勉を尊ぶ価値観を根付かせて来たが、アニメ「おそ松さん」は6人兄弟が遊んで暮らす脱労働化生活を送る。「おそ松さん」的ライフスタイルとは、政府がベーシック・インカムを支給して物質的欲望を満たした場合、文化、芸術、旅行など「コト」についての関心を増やすことである。賃金が支払われるだけの労働を行う生き方に代わり、個性を大切にする生き方となる。</p>
著者
植田 康孝
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.27, 2017-03-31

日本は,面積は世界60 位に過ぎないが,人口は世界10位,GDPはいまだ世界3位であり,「大きな力を持つ小さな島国」である。しかし,同じく小さな島国であるニュージーランドと日本の国民生活の質を示す「一人当たり名目GDP」は逆転し,年々その差を拡げつつある。伴い,多くの変化が見られるようになって来た。日本とニュージーランドは対極にあることが分かる。日本が貧しくなっているならば,ニュージーランドは豊かになっている。英国EU離脱や米国トランプ大統領就任が続く中,移民を上手く受け入れ自由貿易を推進するニュージーランドは今や「世界を元気づけ幸福に出来る唯一の例外」である。 ニュージーランドでは,2016年12月,49.5% という高い国民支持率を得ながらジョン・キー首相(1961 年8 月9日生まれ,55 歳)が「今が引き際」と辞任(政界引退)を表明し,副首相兼財務相のビル・イングッシュ氏にその座を禅譲する潔さが話題となった。一方,日本は,東京五輪準備で元首相が影響力を行使するなど,高度経済成長の頃を夢見て,客観的な判断を怠る姿を露呈した。日本の凋落は,幻想に縛られ,時代の転換期に付いて行けなくなっている前世代がもたらす「老害」に他ならない。「21 世紀に生きているのに,20世紀から抜け出せない感覚を抱いている」世代は,若い世代に居心地の悪さを与える。日本の若者は,職業が安定せず年金がもらえない不安があり,賃金も低いまま放置されている世代である。将来に不安があるため,晩婚化が進み社会に少子化をもたらす。民主主義はその参加者により決まるが,わが国が抱える病理は,参加者の大半が高齢者になっている点である。高齢者は自らの世代を最優先に考えて行動するため,年少世代が貧乏くじを引く羽目に陥いる。 2016 年末,テレビドラマ「逃げるは恥だが役に立つ(逃げ恥)」が若者を中心に人気沸騰したが,25 歳大学院修了で働きたい意欲を持つ主人公「森山みくり」(新垣結衣)が派遣切りされ月給19万4,000円で「家事のプロ」を目指さなければならない,「就職難」「晩婚化」という日本の若者が抱える現代事情を反映させたことが,広く「共感」を呼んだ。若者世代は社会や他人から必要とされたいアイデンティティ欲望を強く持つが,高学歴で「できる」若者が,「できない」高齢者の割を食う構図にあり,生き難いと感じる社会になっている。主人公が「ああ,誰にも必要とされないって,つら~い」とため息を付くところから,作品は始まった。 同じく大ヒットした「君の名は。」は,女子高生・三葉(上白石萌音)と男子高校生・瀧(神木隆之介)の「入れ替わり」という超常現象で結び付いた恋愛関係が山深い町に住む人々を100 年に1 度の彗星が近付く巨大災厄から救う大きな力になる。若者世代が活躍する場が狭められている日本において,「社会に役立つ存在になりたい」「他人から必要とされたい」という2つの欲求を同時に成就させる過程が若者世代の心を捉えた。 バブルを知らず大きな災厄のみを体験して来た若者世代は「もう日本は経済成長せず,下り坂を転がり続ける」と感づいており,「日本はどうなってしまうのか」と壮大な不安の只中にいる。東京五輪も無責任な高齢者たちが場当たり的に事を進める茶番を繰り広げ,大手メディアからの「みんなで」応援しようという「同調圧力」は悽まじい。推進するはずであった大手広告代理店は24歳の新入社員を過重労働やサービス残業,セクハラやパワハラで自殺に追い込んだ。SMAP が解散に至るまでの経緯は,若い挑戦者が年長者や既存システムにすり潰されて行く姿を映し出した。新しい時代を築くためには新しい発想が不可欠であり,若者世代が主役となるべきであるが、日本は若者世代が活躍する場が極めて狭い社会となっている。 「老人大国」日本と「若者の国」ニュージーランドでは将来性に大差があり,今後更に格差が拡がる見込みである。
著者
田畑 恒平 植田 康孝
雑誌
Informatio : 江戸川大学の情報教育と環境
巻号頁・発行日
vol.13, 2016-03-15

最近話題となることが増えている「ドローン」は、無人飛行機(UAV= Uninhabited Aerial Vehicle)の呼称である。ドローンは、1950 年代に活躍した名女優マリリン・モンローがドローンのプロペラを取り付ける作業をしていた軍工場の広報誌に写真が掲載されたことをきっかけにハリウッドデビューを果たすなど、エンタテインメント分野との親和性が歴史上、非常に高い領域である。われわれ人間が暮らしているのは「3 次元」の世界であるが、現実には「高さ」方向の展開にはかなり制約があり、自由度はあまり得られて来なかった。コンサートやライブ会場において、アーティストは宙に浮く訳ではなく、あくまでクレーンやゴンドラが動く範囲内でしか自由に移動することができなかった。そのためエンタテインメント分野の行動様式も「2.5 次元」に留まっていたが、小型化され高度なフライトコントローラーを備えたドローンの出現により、本当の意味での「3次元」的な動きが可能になった。日本では、ラグビー五郎丸歩選手が所属する「ヤマハ発動機」が、農薬散布目的で市場をリードしてきたが、2013 年に大ヒットしたNHK の朝の連続ドラマ「あまちゃん」のオープニングで、海辺にいる主人公・天野アキ(能年玲奈)を空から追い掛ける映像にドローンが使用されたことで、急に注目されるようになった。また、近年では、グラミー賞を受賞した米国の4 人組ロックバンド「OK Go」のミュージックビデオ「OK Go: I Won't Let You Down」や、Perfume の「NHK 紅白歌合戦」におけるライブ演出など、映像効果や舞台演出として用いられるようになり、「3 次元」の世界を楽しんでもらえる環境が整備されてきた。3D 映画「STAND BY ME ドラエもん」では、スマートフォンで操作することによって上下左右360 度で視点を変えられ、実際にタケコプターで空を飛んでいるかのような体験をできるサイト「のび太と空中散歩」がインターネット上に公開された。映画においても、「007 スカイフォール」「トランスフォーマー」「アイアンマン3」などの作品でドローンが撮影に使用されるようになっている。テーマパークのディズニーランドは、複数のドローンでつり下げられた大きな操り人形を動かす新たなアトラクションの特許を取得済みであり、今後導入することを計画している。 一昔前に枕詞として頻繁に用いられた「放送と通信の融合」は最近では死語になった。スマートフォンの普及により誰もが自ら情報発信できるようになった現在、メディアに拘っているのはメディアの内側に閉じ籠もった人達だけであり、もはや「放送」や「インターネット」といったメディアの区別は意味を持たない時代になっている。しかし、そういう時代であればこそ、メディアに囚われない「差別的コンテンツ」が比較優位性を獲得できる。植田・木内・西条・田畑[2015]は、「エンタインメント」と「インフォメーション」を融合させた上位レイヤー概念として、「インフォテインメント(Infotainnment)」を定義したが、ドローン(無人飛行機)は音楽ライブやテーマパークなどエンタテインメントを「2.5次元」から「3次元」へと拡張してくれる存在であり、「インフォテインメント」を実現する「比較優位ツール」と言える。江戸川大学マス・コミュニケーション学科エンタテインメントコースは、平成27 年度において、「ドローン(無人飛行機)」を用いた教育を導入し、新たな時代へのエンタテインメント企画や演出面で教育効果を得たため、本稿に事例紹介する。
著者
植田 康孝
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.29, 2019-03-15

アイドルグループの一部はメンバーを次々と変えるが,人気グループはメンバーの誰かが卒業・新加入を繰り返して新陳代謝することにより,その変化に柔軟に対応し,進化を遂げることに成功している。メンバーやファンは寂しさを感じながらも,新たな出発点を経てグループは更に強くなって行く。以前のアイドルの「解散」「引退」宣言は,どれも悲壮であったが,近年の「卒業」「活動休止」「充電」発表には悲壮感はなく,清々しいくらいに前向きとなっている。ヴァーチャルコミュニケーションを継続することにより,ファンとの関係をそのまま継続することが出来,様々な経験をした後で芸能活動に復帰したりするケースも増えている。 2017 年9 月27 日,安室奈美恵が1 年後の引退を発表すると,「安室ロス」を嘆くファンが続出した。2018 年9 月16 日,平成を代表する歌姫であった安室奈美恵は,ファンに,社会に,音楽界に大きな足跡を残し引退した。閉塞した時代,現状の自分や社会への不満など暗い話題の多かった「平成」に,安室奈美恵は女性の憧れの「アイコン」になった。地位にしがみつかない清々しい引退劇を目に焼き付け,感謝の思いを伝えようとファンは「社会現象」と呼ばれる程に共鳴した。平成が終わる前に,平成を象徴する歌姫はステージを去った。そして,嵐が活動休止する。平成元年6 月に「歌謡界の女王」美空ひばりが亡くなり,昭和が美空ひばりと共に去ったことを想起させる。 このような社会的な注目を浴びて惜しまれつつ去っていく人がいる一方,人知れず去っていく者,業界から追われる人など 「有名人の引き際」は千差万別である。毎年多くのタレントを輩出するアイドルは,引退や卒業が多い。ブレイクする一握りのアイドルに隠れ,ひっそりと消えて行くアイドルは少なくない。「アイドル戦国時代」と言われたブームは収束,メジャーアイドル,インディーズアイドル共に,卒業(引退),解散,活動休止が増え,多くのファンを悲嘆に暮れさせている。昨今も「SMAP ロス」「福山ロス」「堀北ロス」「アムロス(安室ロス)」「さや姉ロス」「なあちゃん(西野)ロス」「嵐ロス」などのショック(精神的な空洞)現象が指摘された。「行動経済学」では,損は得をした場合より2 倍の心理的な負担が掛かるとされる。推しメンの卒業という損失が回避することが出来なかった場合のファンに掛かる心理的負担は極めて大きい。本稿においては,複雑な「アイドル」パンデミック現象を,仮に経済学の前提に当て嵌めて,単純に数理モデル化した場合における定量化評価を行うことを試みる。「パンデミック」と呼ばれるほどに大きな社会現象でありながら,これまで未整理のまま論じられることが多かった「アイドル」の「ファン心理」に関して,多くのレポートや著書に欠落した部分を学術的に補完する。
著者
田畑 恒平 植田 康孝
雑誌
Informatio : 江戸川大学の情報教育と環境
巻号頁・発行日
vol.13, 2016-03-15

ネット動画、CG 映像、アニメ、ゲーム、メディアアート、映画、テレビなど、現代のデジタル社会の中で、映像文化が占める位置づけはますます重要且つ緊密になっている。このような状況の中で、ウェアラブル端末の登場は、「現実空間」に位置する人間と、ビッグデータとして「ヴァーチャル空間」に蓄積される映像との関係を変えてしまう革命である。ウェアラブル端末によって実現する「AR 空間」や「VR 空間」は、新たなプラットフォームになる可能性がある。Vine からInstagram などのSNS、ゲーム実況からウェアラブル端末などのゲームは、「映像に何が映っているか」ではなく、「映像でいかにコミュニケーションするか」を重要とする、「映像コミュニケーション」時代の到来を示す。「グーグル・グラス」や「アップル・ウォッチ」のようなウェアラブル端末が普及した近未来においては、映像を撮影する条件は常に「ヴァーチャル空間」に記録されるようになる。我々が映像を見る時、更には映像を撮る時、「ヴァーチャル空間」は無意識のうちに表出される人間の特徴を余さず捉え記録する。「プレイステーションVR」向け「サマー・レッスン」では、キャラクターからも見られているという「緊張感」を常にプレイヤーに与える。プレイヤーが「ヴァーチャル空間」を覗く時、「ヴァーチャル空間」はプレイヤーに様々な映像を提示するが、プレイヤーは引き換えに自分の「反応」を「ヴァーチャル空間」に提供しなければならない。ヘッド・マウント・ディスプレイを装着し、周囲を見渡すと、頭の向きを変える行為もデータとして「ヴァーチャル空間」に与え分析されることになる。アルバート・アインシュタインは100 年前に発表した「一般性相対理論」で、「空間」と「時間」は連続体(「時空」と呼んだ)であると論じたが、2016 年2 月11 日、「時空のさざ波」である「重力波」の直接観測が報告された。ドローンが「3 次元」世界の「高さ」方向の制約を開放するものであるとしたら、ウェアラブル端末は縦、横、高さの「3次元」に「時間」軸を加え、「3次元→4次元」を実現するものである。 江戸川大学マス・コミュニケーション学科エンタテインメントコースは、「ウェアラブル端末」を学生が近未来の方向性を考える上で適した課題であるとの認識の下、平成27年度の演習・実習に導入した。「現実空間」と「ヴァーチャル空間」の境目(マジックサークル)は崩れ始め、かつては夢物語であった4次元的な製品やサービスが実現する。「現実」と「ヴァーチャル」を織り交ぜて、面白いモノ、便利なモノを生み出す。「今までにない時代が見えてくる、違った4 次元世界が見えてくる」ようになり、社会や経済を刷新する仕事に携わるすべての人々が持つべき視点であり、「現実空間」に閉じて生きることはもはや許されない時代となる。今までの情報革命は、あくまでもモニターの向こう側、つまり情報空間の中でのみ生活が便利になった程度だった。AR、VR の普及で今後は、情報が現実さえも凌ぐ社会になる。米IDC の調査によれば、2020年には500億台の機器がネットに接続し、2013年(44兆バイト)から10 倍の440 兆バイトのビッグデータが作られる。ICT技術の進歩により、2045 年には「ヴァーチャル空間」(コンピュータの能力)が「現実空間」(人類の能力)を凌ぐという説がある。このような世の中は、プライバシー問題、セキュリティ問題を深刻にするという懸念も根強いが、社会に出る若者に必要な知識を身に付けさせることが「大学」の責務であるとすれば、ICT の力を前向きに捉え使いこなす「英知」を育成することが、文部科学省が国立大学に教員養成系や人文社会科学系の学部・大学院の統廃合や社会的要請の高い分野への転換を迫る、「人文系の大学で教えている学問のほとんどがもはや時代遅れになっている」という指摘を受けるなど昨今厳しい批判に晒されている文系学部が目指すべき「大学教育」となる。
著者
植田 康孝

2013 年のダボス会議でも紹介されたように、大学によるインターネット上の教育が台頭している。大学による講義のオンライン配信は以前からあったが、所属学生だけが対象で、形式も単に動画を配信するものが一般的であった。それに対し2012 年から米国で本格的に普及した「ムークス(MOOCS)」は、登録さえすれば誰でも無料で受講できる上、参加している世界の大学から講義を選択できる。日本の場合、「コンテンツ」という用語が用いられる場合、エンタテイメント系や文芸系に関するものが主であることを前提とするが、近年、多くの先進国において教育コンテンツが重要になっている。欧米の知識体系を基盤とした教育コンテンツがインターネットを通じてグローバル、オープン、ソーシャルに展開されていく中、日本の教育コンテンツは「ガラパゴス状態」に陥りつつある。たとえば、電子書籍について議論される場合においても、日本ではエンタテイメントや文芸を中心としたコンテンツの議論がなされるが、欧米では大学における専門教育のようにターゲット層が明確となっていて知識体系が整備されている分野に関する教材から展開されることが多い。欧米の多くの大学は、講義や教材をインターネット上に公開しており、学生にとって、自分ペースで学習できる、分からないことを世界中にいる学生が手助けしてくれる、一方的に講義を聴くのではなくアクティブに参加できる、という利点を有している。オンライン上で無料・安価で受講できる教育革命は経済力の差や地理的なハンディキャップを取り払う。先進国で進む大学のオンライン化は大学、教員、学生の3 者に「大学および大学教育の価値とは何か」という根源的な問いを突き付けている。
著者
植田 康孝
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
vol.28, 2018-03-31

「ナイト・エンタテインメント」は,「子供向けエンタテインメント」に対し,自律的にナイトタイムに楽しむ「大人向けエンタテインメント」を指す。「子供向けエンタテインメント」は,大人の世界への入口に位置付けられる。子供たちは,従来,大人たちの様々な行為を観察して遊びの世界に取り入れることで楽しんで来た。子供は,仲間が集まって行う「子供向けエンタテインメント」から,工夫することの面白さや社会のルールを学ぶ。子供の遊びで良く使われる「~ごっこ」という名称は,「~ごと」には,「真似る」「仮託する」という意味を内包する。 「ナイト・エンタテインメント」は,このような「子供向けエンタテインメント」から独立する。本稿は,「子供向けエンタテインメント」に対する教育的な「遊び」とは遊離した形態で,「遊び」の原点である「快楽」を求める「ナイト・エンタテインメント」の一つである「ギャンブル」を取り上げる。現代社会は,貧富の格差が固定化して社会の閉塞感に溢れ,「夢を持ち難い時代である」と言われる。そのため,ギャンブルで夢やファンタジー,非日常性を見たい人が増える背景が確実に存在する。確率から考えると明らかに非合理的行動に捉えられる「宝くじを購入する」人が現在も少なからず存在することが,それを示す。 商業カジノは依然として,世界的に成長が著しいエンタテインメント分野であり,世界の100カ国以上で開業されているが,日本においても解禁されることが議論されている。カジノには,負の側面があることも見逃すことが出来ない。これまで10年以上に亘って何度も導入が試みられながら挫折を重ねて来たのは,ギャンブルに対して国民の根強いアレルギーがあることを背景とする。お酒,エロスを含め嗜好的な色彩が強い「ナイト・エンタテインメント」は,倫理面から批判されることも多い。ここに,経済学で良く知られた「合成の誤謬」が発生する。ミクロ経済の個人行動として道徳的なことでも,みんなで行うとマクロ経済では困難な状況を招くことを指す。例えば,倹約や借金をなくす行為は,個人的な道徳観では良いこととされるが,みんなでやると消費が落ち込み,不況になり,結果,みんなの所得が少なくなり,失業が発生する。政府の借金である国債をゼロにしようとすると,超緊縮財政になり,国民経済は大きなダメージを受ける。「借金をしない方が良い」という個人の道徳心は,ビジネス面においてはマイナス面が大きい。個人や企業の借金を増やしたこと自体を道徳的に批判することは,マクロ経済的観点からすれば筋違いとなる。同様に「ナイト・エンタテインメント」を消費することは,個人的な道徳心に反しても,厳しく批判したり否定したりすることは「合成の誤謬」につながる。 カジノは概して,他のエンタテインメントと同様にビジネス面で機能することが実証されている。映画館,プロスポーツチーム,遊園地と同様,消費者が進んで支出するサービスを提供する娯楽に過ぎないが,カジノなどギャンブル全般を不道徳であると見做し,偏見を持っている人は多い。このような主張は,良く言えば極めて単純,悪く言えば短絡的に捉えられる。日本は,「サッカーくじ」導入の際も,子供への悪影響など机上の空論を議論して,時間を費やした苦い過去を持つ。カジノも同様の側面があり,イメージではなく,正確にメリットとデメリットの両面を,学術的に把握する段階に来ている。