著者
植田 康孝 菊池 魁士
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
vol.27, 2017-03-31

近年,目覚ましい技術成長を遂げている人工知能は,あらゆる産業を革新すると期待される。しかし,その影響の範囲は広過ぎるため,2030 年に到来すると予想される,人工知能が人間の能力を上回る「シンギュラリティ」以降の「人工知能社会」の具体的な将来像をイメージし難い,と指摘されることもしばしばある。イメージを助けてくれるのがSF(サイエンス・フィクション)作品である。現代の多くの人の中にある「人工知能」のイメージは,学問としての人工知能でも,技術としての人工知能でもなく,数多くのSF 映画やアニメ作品を通して形成されて来たイメージである。 スター・ウォーズ,ターミネーター,アイアンマンなど,SF 映画はいつの時代も人間そっくりの人造物(ロボット,アンドロイド)に憧れて来た。そして,その憧れは,「人工知能」に結びつく。人間のように動き,時に感情まで持つアンドロイド(ヒト型ロボット)は様々なSF作品に登場するため,欠かすことが出来ない存在になっている。SF 作品「スター・ウォーズ」が世界中に愛され続けているのは,ロボットが圧倒的な存在感を有しているからである。壮大な銀河の戦いの中で,安らぎとユーモアを与えてくれる。「スター・ウォーズ」シリーズには数多くのロボットが登場するが,1 作目(1977 年)で観客にとって最も印象に残ったのが「C-3PO」と「R2-D2」という2つのロボットである。「R2-D2」は宇宙船の操縦や機械の操縦をするロボットであり,登場人物たちの危機を何度も助ける。ただし言葉を話すことが出来ないため,「C-3PO」が代わりに話す役割を担う。「C-3PO」は通訳・式典用ロボットであり,機械語を人間に通訳したり,様々な種族の言葉や儀礼に精通し種族間の仲立ちをしたりする。映画ではこの2 体を主人公ルーク・スカイウォーカーが購入したことから,ロボットは帝国軍と反乱軍の戦いに巻き込まれて行く。「フォースの覚醒」から登場した「BB-8」は,大小2つの円から生まれたロボットであり,そっぽを向いたり,二度見したり,猛スピードでコロコロ疾走する。「R2-D2」の半分の大きさで,頭部と分離したボール型のボディが転がりながら移動する姿は,「かわいさ」を醸出する。結果,「BB-8」は,作品の中で一,二を争う人気キャラクターとなった。2016年12月16日に公開された「ローグ・ワン」では,ヒト型ロボット「K-2SO」が,反乱軍の将校キャシアン・アンドアの相棒として初登場した。何かと一言多いキャラクター設定である。「スター・ウォーズ」シリーズに登場する,これら人工知能「C-3PO」「R2-D2」「BB-8」「K-2SO」は,あくまでも人間がコントロールできる「道具知」と位置づけられる。映画「スター・ウォーズ」で描かれる人工知能は,「人間中心」のキリスト教観を基盤として,人工知能(ロボット)はあくまでも人間がコントロールできる存在であり,日本のSF 作品で描かれる「自律知」(汎用人工知能)のロボットと性格を異にする。「道具知」(特化型人工知能)とは,「自律知」(汎用人工知能)と対照する表現であり,人工知能の評価を「いかに便利な道具か」という視点でその知能の有無を評価する立場から捉えられ,「道具としての知的さを実現するために知的な情報処理モジュールを数多く組み込まれて構成されるロボット」である。
著者
植田 康孝
出版者
江戸川大学
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.28, pp.85-105, 2018-03

アイルランド出身の劇作家ジョージ・バーナード・ショーは「老いるから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなるから老いるのだ」と残し,人は感情から老いることを諭した。明るい社会を構築するためには,夜遊びを楽しむ元気で健康な大人が必要であり,日本でも,「夜の活力」を維持する努力が欠かせない。高齢者は若者に比べ夜間の屋外活動時間が短いため,社会の高齢化に伴い日本の夜間経済(ナイトタイム・エコノミー)が縮小しつつある。訪日外国人客からは,日中には観光に忙しいが,夕食後は時間を持て余すため,日本の都市について「夜,遊べる場所が少ない」との不満が聞かれる。夕食後の午後8時から午前3時までの時間帯は飲食やカラオケが主体となっているが,訪日客の本時間帯における消費は少ない。欧米では,ミュージカルに音楽ライブやダンスなど,大人が深夜まで楽しめる「クラブ文化」が根付き,「ナイト・エンタテインメント」(「夜遊び経済」)が盛り上がって来ている。年間4,000億円とも言われる「ナイト・エンタテインメント」市場の創設に向け,ナイト・エンタテインメントを楽しむモデルケースが求められている。 本稿は,「子供向けエンタテインメント」に対する抑制された「遊び」に対する反発として,「遊び」の原点である「快楽」を求める「ナイト・エンタテインメント」の「飲酒」を取り上げる。時に「ナイト・エンタテインメント」に有用性は認められず,その享受者は後ろめたささえ感じて来た。実際,大衆が楽しむ多くの「ナイト・エンタテインメント」は低俗なものとして,高級文化に対置され,一段低く見なされた。なお且つ学術的研究の対象からも排除され,時に低級なものとして揶揄の対象となる傾向があった。映画や文学,スポーツなど「子供向けエンタテインメント」には有用性があるとされ,「ナイト・エンタテインメント」は堕落的,金銭浪費的であると捉えられた。 本稿で扱う「飲酒エンタテインメント」には,人口減少,少子高齢化,若者のお酒離れなどマイナストレンドが進む。エンタテインメントの選択肢が数多く存在する21世紀にあって,居酒屋での飲酒は現代人には時間的に長過ぎるエンタテインメントであり,衰退傾向にある。例えば,ビール市場は1994年をピークとして,近年は下落基調が継続し,ピーク時の4分の3になった。また,日本酒の消費量は直近40年間でピーク時の3分の1にまで減少している。しかし,近年,人工知能により大幅に品質改善が進み,SNSでの高い評価を受けて,国内需要の見直しに留まらず,日本製ワインや日本酒の輸出も増加傾向にある。ワインや日本酒の輸出増加の恩恵を受け,原料となるブドウや酒米の生産量も増加に転じている。飲酒エンタテインメントにおいて,人工知能技術の導入による技術革新を発端として,輸出→生産増→原料生産増加という経緯を経た「第6次産業化」が進行中であることは,ナイト・エンタテインメントに新時代(人工知能やロボットなどを上手に利用する「テック社会」)の到来を促している。
著者
植田 康孝
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
vol.27, 2017-03-31

「シンギュラリティ(技術的特異点)」とは,人工知能が人間の能力を超える時点を言う。ヒトは自らの学名を傲慢にもホモ・サピエンス(賢明なヒト)と名付けたが,ホモ・スタルタス(愚かなヒト)になる瞬間である。近年の急激な技術進化により「シンギュラリティ」はもはや夢物語とは言えなくなっている。英オックスフォード大学のニック・ボイスロム教授の調査では,「シンギュラリティ」が到来しないと回答した人工知能分野の研究者は僅か10% に過ぎなかった。厚生労働省発表に拠れば,2016 年に生まれた子供の数(出生数)が98 万1,000 人となり,初めて100 万人を割り込んだ。出産に携わる20 ~ 39 歳の女性は2010 年(1,584 万人)から2014 年(1,423 万人)の4 年間で160万人以上減るなど構造的な問題であり,今後も進展する。団塊世代のピーク1949 年には269 万,第2 次ベビーブームのピーク1973 年には209 万人もいたから,半分以下の激減である。猛スピードで少子高齢化が進展する日本では,特定職種における労働力不足が深刻化している。人手不足を解消する,という社会的要請に応じる形で,人工知能の浸透が進む。人工知能に置き換えられる労働人口の割合はアメリカ(47%)やイギリス(35%)と比べて,日本(49%)が最も高い。これは,労働者が比較的守られて来た日本で,置き換えが遅れていたためである。人工知能の進化によって,産業構造や人の働き方が激変する。伴って,近い将来,私たち生活者の価値観や生き方が大きく変わるようになる。人工知能によって労働や生活における問題の大半が解決された場合,人間はどのような悩みを持つ存在になるのか。人工知能の進化は,人間の拠って立つ軸,例えば,信念や価値観,行動の判断基準を変えることを迫る。日本人は子供の頃から「働かざるもの食うべからず」と教えられ,「勤勉」を尊ぶ価値観が日本人の精神には深く根付いて来た。しかし,2016 年女性人気が爆発した深夜アニメ「おそ松さん」は,6 人の兄弟が揃って定職に就かず,遊んで暮らす「脱労働化生活」を送る。全員同じ顔と性格を持つ6 つ子が登場していた原作に対し,それぞれに細かくキャラクタを設定し声優の割り当てを別としたことにより,キャラクタごとに「推し松」と呼ばれる熱狂的な女性ファンが続出し,社会現象となった。人間は,2030 年に到来すると予想される「シンギュラリティ」以降には,仕事を減らすための人工知能が増え,「おそ松さん」的脱労働化生活を送るようになる。「おそ松さん」的ライフスタイルとは,ある程度,物質的な欲望を満たした場合,「モノ」の充足を超えて,文化や芸術,旅行,あるいは自分自身の想い出など,「コト」についての関心を増やすことである。政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るために必要とされる現金を支給する「ベーシック・インカム」制度の導入により,お金のために労働する,お金を使って消費するという生活から少しでも自由になることを可能にする。社会のために必要な「仕事」を人工知能が肩代わりしてくれるのであれば,賃金が支払われるだけの「労働」を行うことを中心とした生き方よりも,個性を大切にする生き方の方が余程「人間らしい」と言える。過去の常識に振り回されることを防いで,創造的な行動を行うことが,「おそ松さん」的「脱労働化生活」を実現することである。歴史家ホイジンガが説いた「人間はホモ・ルーデンス(遊ぶ存在)」の体現である。
著者
植田 康孝 菊池 修登
出版者
江戸川大学
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.27, pp.141-165, 2017-03

世界的な人工知能研究者のレイ・カーツワイルは,人工知能が人間の情報処理能力を上回る特異点「シンギュラリティ」に至ると,人間生活は後戻りできないほど変容する,と指摘する。現時点で,人工知能の脅威を間近に感じるところで生活している人は少ない。2030 年と推定される「シンギュラリティ」が到来すると,私たち一人一人今の将棋界のトップ棋士のように失職リスクやアイデンティティについて嫌でも考えさせられるようになる。本稿は,そのような近未来の私達の状況を先取りした将棋界について考察する。将棋に限らず,人工知能があらゆる分野で人間を凌駕する時代(「シンギュラリティ」と呼ぶ技術的特異点)になり,私たち人間は,人工知能の存在をどう受け止めれば良いのか。それは,翻って人間の本質,存在意義を問う問題でもある。「SF だけの話だろう」と疑う一方で,オセロ,チェスから将棋へ,今や囲碁まで,コンピュータがプロ棋士に勝つ現実が生まれている。人工知能の発達は留まるところを知らず,いつ誰が,現在の棋士が置かれているような状況に立たされるとも限らない。将棋界がヒントになることもあるはずである。 「人工知能」とは何か。「人間の知能とは何か?」が研究されていないため,「人工知能」に関する明確な定義はない。人工知能を研究する開発者は人間のような知性を持った人工物(コンピュータ)を作ることを目指している。「人工知能研究者は常に出来ないことに取り組んでいる」という「命題」は正しい。「人間に出来て機械に出来ないこと」を機械に出来るようにする研究が「人工知能」である。そのため,「機械に出来るようになったこと」は「人工知能」の定義から抜けて行く。コンパイラ,数式処理,オートコンプリート,かな漢字変換などは,かつて「人工知能」であったが,現在は「人工知能」とは呼ばれない。「人工知能がトップ棋士より強くなった」ということになれば,「将棋」と「囲碁」は「人工知能」の研究テーマから抜けていくことになり,いずれ「人工知能」と呼ばれなくなる。かつて飛行機で,自動操縦と人間の操縦のどちらが信頼できるのかという議論があったが,現在ではほぼすべてが自動操縦で済むようになっている。いずれ自動車も自動運転になって行くと予想される。「将棋」で人工知能が人間と対局する「電王戦」において,人工知能が人間の能力を上回る「シンギュラリティ」に対し,棋士,ファンの間に「受容」する側面と「焦燥」する側面が両立する。電王戦によって,将棋ファンが増える,新しい棋譜が生まれるなどの「受容」面がもたらされる一方,「チェス」「囲碁」とは異なる精神(作法)の不在や棋士のアイデンティティにつき「焦燥」する面がある。 人工知能が発達しても,人間の聖域として「創造性」が残されると指摘する人が少からずいるが,実は「創造性」においてこそ,人工知能が人間を凌駕する領域であることが,将棋界から分かって来る。バリエーションやコンビネーションを駆使し,これまでトップ棋士が指さなかった新手が次々と生まれている。同様に芸術家たちが手掛けて来なかった独創性の高い音楽や絵画や詩を作ることも人工知能であれば,可能であることが分かって来ている。将来的には美的センスを理解し創造する人工知能が出現することは間違いない。むしろ,人間の感性の幅が狭いため,人工知能による独創的な作品を受け入れられかどうかの方が課題となる。ヒトは自らの学名を傲慢にもホモ・サピエンス(賢明なヒト)と名付けたが,ホモ・スタルタス(愚かなヒト)になる瞬間である。
著者
植田 康孝
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
vol.28, 2018-03-31

「ナイト・エンタテインメント」は,「子供向けエンタテインメント」に対し,自律的にナイトタイムに楽しむ「大人向けエンタテインメント」を指す。「子供向けエンタテインメント」は,大人の世界への入口に位置付けられる。子供たちは,従来,大人たちの様々な行為を観察して遊びの世界に取り入れることで楽しんで来た。子供は,仲間が集まって行う「子供向けエンタテインメント」から,工夫することの面白さや社会のルールを学ぶ。子供の遊びで良く使われる「~ごっこ」という名称は,「~ごと」には,「真似る」「仮託する」という意味を内包する。 「ナイト・エンタテインメント」は,このような「子供向けエンタテインメント」から独立する。本稿は,「子供向けエンタテインメント」に対する教育的な「遊び」とは遊離した形態で,「遊び」の原点である「快楽」を求める「ナイト・エンタテインメント」の一つである「ギャンブル」を取り上げる。現代社会は,貧富の格差が固定化して社会の閉塞感に溢れ,「夢を持ち難い時代である」と言われる。そのため,ギャンブルで夢やファンタジー,非日常性を見たい人が増える背景が確実に存在する。確率から考えると明らかに非合理的行動に捉えられる「宝くじを購入する」人が現在も少なからず存在することが,それを示す。 商業カジノは依然として,世界的に成長が著しいエンタテインメント分野であり,世界の100カ国以上で開業されているが,日本においても解禁されることが議論されている。カジノには,負の側面があることも見逃すことが出来ない。これまで10年以上に亘って何度も導入が試みられながら挫折を重ねて来たのは,ギャンブルに対して国民の根強いアレルギーがあることを背景とする。お酒,エロスを含め嗜好的な色彩が強い「ナイト・エンタテインメント」は,倫理面から批判されることも多い。ここに,経済学で良く知られた「合成の誤謬」が発生する。ミクロ経済の個人行動として道徳的なことでも,みんなで行うとマクロ経済では困難な状況を招くことを指す。例えば,倹約や借金をなくす行為は,個人的な道徳観では良いこととされるが,みんなでやると消費が落ち込み,不況になり,結果,みんなの所得が少なくなり,失業が発生する。政府の借金である国債をゼロにしようとすると,超緊縮財政になり,国民経済は大きなダメージを受ける。「借金をしない方が良い」という個人の道徳心は,ビジネス面においてはマイナス面が大きい。個人や企業の借金を増やしたこと自体を道徳的に批判することは,マクロ経済的観点からすれば筋違いとなる。同様に「ナイト・エンタテインメント」を消費することは,個人的な道徳心に反しても,厳しく批判したり否定したりすることは「合成の誤謬」につながる。 カジノは概して,他のエンタテインメントと同様にビジネス面で機能することが実証されている。映画館,プロスポーツチーム,遊園地と同様,消費者が進んで支出するサービスを提供する娯楽に過ぎないが,カジノなどギャンブル全般を不道徳であると見做し,偏見を持っている人は多い。このような主張は,良く言えば極めて単純,悪く言えば短絡的に捉えられる。日本は,「サッカーくじ」導入の際も,子供への悪影響など机上の空論を議論して,時間を費やした苦い過去を持つ。カジノも同様の側面があり,イメージではなく,正確にメリットとデメリットの両面を,学術的に把握する段階に来ている。
著者
植田 康孝 廣田 有里

本稿は,音楽業界で起きているAKB48 のWTA(Winner Takes All:勝者の市場独占)状況と至ったメカニズムを分析することを目的とする。ネットワーク外部性,収穫逓増,経路依存性が働かないはずの音楽ソフト市場において,WTA 現象に至ったメカニズムの解明を試みた。解明にあたっては,社会学,人文学,経済学のアプローチを援用した。分析を行った結果,音楽ソフト市場においてWTA 現象が観察された。更に,AKB48 が歌う歌詞のテキストデータにテキストマイニングとコレスポンデンス分析を施した結果,東日本大震災や福島原発事故などの社会危機の状況下,経済的にも社会的にも心理的にも挫折した若者に対して,AKB48 が発する歌詞の中に,「希望」や「ポジティブ」を示す語句が多く含まれ,共起頻度が高いことが観察された。AKB48 は震災以降,歌詞の内容,曲調,支援活動を含めて価値あるシステムとなる「エコシステム」を人々に提供している証左である。
著者
植田 康孝

2012 年は大学生にとって大きな変革の年となった。彼らが常用する「コンピュータ」は姿形を一変し、タッチ操作のスマートフォンで様々なインターネットサービスを利用する風景が当たり前になった。従来の情報行動の主役だったパソコン、娯楽や暇潰しの主役だったテレビは、完全にその座から滑り落ちた。この変革は更にSNS の栄枯盛衰という形で大きなうねりとして、学生のコミュニケーションスタイルも一変させた。 311 以降、国民の間に急速に広まった「絆」重視ブームは、コミュニケーションを求める風潮を生み出したが、大学生には特に顕著に見られる傾向となっている。2011 年6 月からサービスを開始したスマートフォン向け無料通話アプリ「ライン(LINE)」は大学生のコミュニケーションツールとしてすっかり定着した。学生は、電話やメールで行っていたことをLINE というスマートフォンのアプリを通じて行っている。2013 年1 月中旬に本学学生約200 名に対して行ったアンケートで73.3% のツイッター、50.3% のフェイスブックを上回り、LINE の利用率は79.1% となっていることが分かり、大学生への定着の証左となった。 ライン(LINE)は、一つのコミュニケーションツールでしかないが、コミュニケーションを求める大学生気質は強まっている。