- 著者
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武中 桂
- 出版者
- 東北社会学会
- 雑誌
- 社会学年報 (ISSN:02873133)
- 巻号頁・発行日
- vol.37, pp.49-58, 2008-07-17 (Released:2013-12-27)
- 参考文献数
- 5
「環境保全」を目標にひとつの空間に多様な立場から人々が働きかけるとき,その空間に求める役割の違いから対立が生じる場合がある.一方,本稿で事例とする蕪栗沼は,地域住民と自然保護団体が求める役割は異なるが,現在,そこに際だった対立はない. かつての蕪栗沼は,草刈り,魚獲り,狩猟の場など,沼の周辺集落の人々の生活の場であった.昭和40年頃を境に,生活における人々と沼との具体的な関係は次第に希薄になったが,沼の周辺水田で耕作する彼らにとって,蕪栗沼は今も「遊水地」として必要である.反面,天然記念物であるマガンの飛来を理由に,自然保護団体は「マガンのねぐら」としての重要性を指摘する.特に1996年,沼の全面掘削の是非をめぐり,地域住民は賛成/保護団体は反対というように,両者間の相違が顕著に現れた. だが,2005年に蕪栗沼と周辺水田がラムサール条約に登録されたのを受け,保護団体が沼への人為的介入の必要を考えはじめた.彼らの認識の変化は,「遊水地」として沼を機能させるために人為的介入を求める地域住民の見解と一致する.これを地域住民の側から捉えると,彼らの発言や作業が,結果的に「マガンのねぐら」として沼のあり方を問う保護団体の理念にも応じているということである.このような地域住民の姿勢は,単に生活における必要な行為としてではなく,ラムサール条約登録湿地に対して,そこで自分たちが築いてきた「歴史」を埋め戻す営為であると提示することができる.