著者
由比 ヨシ子 浅沼 アサ子 伊東 清枝
出版者
昭和女子大学
雑誌
學苑 (ISSN:13480103)
巻号頁・発行日
vol.770, pp.74-80, 2004-12-01

本報では,食品,調理,献立作成,食品の分量知識について調査AとBの比較を行った。1)食品の利用法に関しては,小学校5年〜中学校3年に至るまで,伝統的な食品の正答率はAが高くBでは低かった。逆に比較的新しい食品であるバターやハム,ソーセージ等に関しては,Bが高くAが低下傾向を示した。しかし,伝統的な食品であっても,家庭科の調理実習教材として取り上げられている"にぼし,かつおぶし,とうふ"についてはA・B間の有意差もなく正答率もかなり高かった。加工食品の原料に関しては,利用法と同様に伝統的な食品の正答率はAが高く,Bでは特に"にぼし,きなこ,しん粉,やきふ"が低かった。にぼしは,利用法の設問で高い正答率を示したが,その原料に関しては小学校5年〜中学校3年に至るまで理解度に変化は見られず平均5%前後であった。またハムやソーセージ,バターについてはやはりBが高い傾向を示した。2)調理では,まず青菜のひたしの作り方を見ると,正答率は全体に低く,A・B間の有意差も見られず,中学校3年で約50%程度である。また,その他の野菜を見ると,更に低く中学校3年女子ですら40%に満たない状況であり,調理法の知識に関しては高いとはいえない。3)献立作成に関しては,みそ汁の実と昼食の弁当のおかずを選択するものである。みそ汁の実については中学校全段階において,Bが圧倒的に高く,献立作成と栄養素の働きを結びつけた指導の成果がうかがえた。昼食の弁当のおかずに関しては,調査当時状況の中では設問自体が適切ではなかったようである。4)食品の分量に関する知識は,A・Bとも正答率は低く,それぞれにマイナス要因が考えられた。つまりAでは,計量単位の不統一と計量指導が不十分であった。Bでは計量指導後の応用や活用の機会が不足していることが上げられる。特にBにおいては,中学校3年になっても50%の正答率も得られない状況から,まず食生活の指導の課題でもある"なにをどれだけ食べたらよいか"の具体化のためにも指導法の研究が必要であったであろう。
著者
浅沼 アサ子
出版者
東京家政学院大学
雑誌
東京家政学院大学紀要 (ISSN:02866277)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.1-11, 1977-05-01

酒井氏考案の家庭管理能力測定問題により女子高校生,教学生,家政学部学生,主婦を対象として調査した。その結果を家庭科教育との関連から考察し,家庭管理能力の形成の状態をとらえ,能力養成のための学習指導のあり方を求めた。6項目の管理行為別得点は年齢順に高く,合計得点では四者間の母集団平均における有意差はなかった。行為別では<計画>は高校生等に指導効果がみられ,主婦は6項目の行為能力中最低であった。<調整,制御>は四者とも得点が高く早期から形成される能力と思われる。<教示,指導,評価>は主婦と高校生等との間に有意差があり,比較的おそく形成される能力と思われる。10項目の管理客体別得点は年齢順に高く,合計得点では四者間の母集団平均における有意差はなかった。客体別では<愛情,気質,知識・技能>は主婦の得点が高く高校生との間に有意差があった。この能力は20歳前後から形成されると思われるが,学校での指導によって高められる可能性が多い。<衣服,食物,住居>は高校生等の得点が高く早期から形成される能力と思われる。家庭科の指導効果によるところが大きいと考えられる。<体力>は四者とも得点は中位であり,体力の制御に優れていた。<時間>は主婦の得点が10客体中最低であり,高校生等も得点が低い。<金銭>は主婦の得点が10客体中最高であり,高校生等も比較的に得点が高い。主婦と高校生間に有意差があった。<家庭設備・公共施設>は四者とも得点が低く主婦との問に有意差があった。余暇の増大に伴ってこの能力の養成がのぞまれる。以上のことから家庭科において家庭管理能力を養うには,できるだけ実技や経験を通して指導し,その指導過程において6項目の管理行為の能力を高めること,部分管理から総合管理への具体的な指導をすること,精神的,人的な管理能力の養成にさらにつとめること等が,学習効果を高めるうえに必要と考えられるのである。終りに本調査にご協力いただいた皆様に厚く謝意を表する。
著者
浅沼 アサ子
出版者
東京家政学院大学
雑誌
東京家政学院大学紀要 (ISSN:02866277)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.13-22, 1982-12-20

昭和16年から終戦までの女子中等教育制度の大改革は昭和18年1月の「中等学校令」によるもので,性別と普通教育,実業教育を問わず皇道の道による国民精神の養成と,国民としての中等教育による錬成の二つの柱に統一されたのである。このことは女子中等教育にとって「婦徳の涵養」に優先して男女共通の教育目標が定められたことであり,また従来の実業教育にとっても,産業重視の施策によって教育目的の上で同格となったのである。このうち高等女学校の教科は国民科,理数科,家政科,体練科,芸能科の基本教科と修練とし,増課教科を加えた。家政科は従来の「家事」を家政,育児,保健と分化し,「裁縫」を被服として衣生活を総合的に扱い,すべて戦力増強につなげたところにこの改革の特色がみられる。次に実業教育では,昭和18年1月の「実業学校規定」で教育を産業の実際に適合させ,女子には婦徳の涵養も付加された。教科は国民科,実業科,理数科,体練科芸能科及び女子に家政科を加え,修練との二つの柱によって構成された。このような改革の中で農村及び家庭生活の向上に直接関係ある家政科が重視され,教育課程が地域の実状によって弾力的に運営された。また商業教育はその目的を転換して軍需生産経営従事者を養成し,女子は男子に代われる職業人と皇国女性育成のため,女子商業教育は奨励された。次に学校教育における戦時非常措置については,戦時体制下の要員の補給を急ぐため,昭和18年4月から中等学校の修業年限5年が4年に短縮され,同20年度からは学校の授業は停止された。また学徒の勤労動員等については18年6月「学徒戦時動員体制確立要綱」が発せられ,女子では食糧増産,幼稚園保育所,共同炊事場の設置,保育に従事し,報国団を結成,通達により育児,保健,理数科,実業科が重視された。同19年3月「決戦非常措置要綱」が発せられ,食糧増産,工業作業,学校の工場化により作業場は「行学一体」の道場と化した。学校工場に関する当時の記録によれば1か月の勤労日数は27日〜29日で報償金は月額25円〜40円であった。同20年3月「決戦教育措置要綱」が発せられ,初等科を除き4月1日から1か年学校の授業は停止することになった。同5月「戦時教育令」が公布され,学徒隊,連合隊を組織し,戦時即応態勢を取ることになった。看護教育に関する非常措置については,同18年12月「女子中等教育卒業者ニ対スル看護免許ニ関スル件」の通達が発せられ,同19年1月「女子中等学校ニ於ケル看護ニ関スル件」通達で女子の特性により戦時救護に従事させるため,既設施設を活用し,修練の時間に看護手技等を習熟させ,看護婦の免許が付与されることになった。昭和13年3月「国民総動員法」が制定されて以来7年5か月の間に,生徒の勤労は「行体一致」の精神のもとに人的資源として戦力の重要な一部分となったが,このような環境の中で,国家に対する滅私奉公と勤勉,忍耐力は培われていったが,それが自発性によるものではなく超国家主義体制の中での押しつけの教育であったところに,人間形成上きわめて重大な問題を残したと思われるのである。このようにして学校教育における戦時非常措置は,男女生徒を皇国民として人的資源の立場から平等にしたが,その施策にあたっては時局の要請に対して男女の特性に応じた勤労を推進したのである。そして昭和期終戦までり女学校教育は,学校工場における軍服縫製の例にもみられるように,15歳の女学生においてすでに女子の特性となり得るだけの家政的な面での技術的能力を発揮した。ここにこの時代の女子教育の特色を見出すことができると思われるのである。