- 著者
-
渡辺 美樹
- 出版者
- 名古屋大学
- 雑誌
- 萌芽研究
- 巻号頁・発行日
- 2006
病的な痩身は、1873年にガル卿が神経性拒食症という病気であると明言する前から、イギリス小説の中で女主人公がかかる病の一種として描き出されていた。その最も古い例としては『クラ リッサ』が挙げられる。医学的な命名が遅れた原因として、拒食症という神経性障害が肺結核を併発しやすいことが挙げられる。両者の因果関係が理解されないまま、この二つの病気が混同されやすかったのである。肺結核が不治の病から治癒可能な病にかわり、拒食症が1970年代に再発見されてからは、文学作品における拒食症の描かれ方は変化していく。痩身を理想とする人々の増加と共に、拒食症が精神の病であると認識されるようになったことによる変化である。例えば、アトウッドは『食べられる女』の中で拒食症へと突き進む女性の心理を描き出し、臨床心理医レベンクロンは、拒食症に苦しむ少女に向けて一種の処方箋として『鏡の中の少女』を提示した。またジョージやウォルターズは、女性の異常な大食を犯罪の動機を示す目印として利用した。摂食障害は女性の病としてリアリスティックな小説の中で現在もなお描き出されているのである。『嵐が丘』の最後の場面で、拒食死したヒースクリフやキャサリンが死後子供の幽霊として彷徨っていることが語り手ロックウッドによって語られているが、ヒースクリフが食屍鬼と罵られることやキャサリンが死後もそのままの姿形を保っていたことから、この作品を吸血鬼の物語として読み解くこともできる。1897年の『ドラキュラ』以来、つまり精神科医の権威が吸血鬼の好敵手となって以来、吸血鬼についても一種の摂食障害として解釈することが可能となった。人血以外の食物を受けつけない異食症という摂食障害である。またその一方で、『トワイライト・サガ』や『銀のキス』といった現代の吸血鬼物語群の中にも拒食症と女性とのつながりを見て取ることができる。よって19世紀に小説の中で女性の病として語られた拒食症は現代文学の中にも生き続けているといえよう。