著者
澤田 唯人
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.460-479, 2015 (Released:2017-03-31)
参考文献数
23

精神科臨床では近年, 「境界性パーソナリティ障害 (Borderline Personality Disorder)」と診断される人々の急増が指摘され, その高い自殺リスクや支援の難しさが問題視されている (朝日新聞「若年自殺未遂患者の半数超『境界性パーソナリティ障害』 : 都立松沢病院調査」2010年7月27日). 本稿の目的は, こうしたボーダーライン当事者が生きる現代的困難の意味を, インタビュー調査に基づく語りの分析から照らしだすことにある. 見捨てられ不安や不適切な怒りの制御困難による衝動的な自己破壊的行為を, 個人の人格の病理とみなす医療言説とは裏腹に, 当事者たちはそれらが他者との今ここの関係性を身体に隠喩化した意味行為であることを語りだしていく. この語りを社会学はどのように受けとめることができるだろうか. 本稿では, これら衝動的な暴力や自己破壊的行為が比喩的な意味の中で生きられるという事態を探るうえで, 個人に身体化された複数のハビトゥスと, 現在の文脈との出逢いにおいて生じる「実践的類推 (analogie pratique)」 (B. ライール) に手がかりを求めている. そこに浮かび上がるのは, 流動化する現代社会にあって, 自己をめぐる認知的な水準の再帰性 (A. ギデンズ) よりも一層深い, ハビトゥスの移調可能性を再帰的に問われ続けた, «腫れもの»としての身体を生きる当事者たちの姿である.
著者
澤田 唯人
出版者
三田社会学会
雑誌
三田社会学 (ISSN:13491458)
巻号頁・発行日
no.19, pp.34-54, 2014-07

1. はじめに : 「物語生成の条件」への問い2. 「語りの生成」事例 : 痛み・感情・他者という経験3. 経験世界の隠喩的な成り立ち4. 「語りの生成/再編成の条件」 : 新たな物語が生まれるとき5. おわりに : 生きた隠喩の社会学へ特集 : 生きられる経験/当事者/当事者研究
著者
澤田 唯人
出版者
日本社会学理論学会
雑誌
現代社会学理論研究 (ISSN:18817467)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.41-53, 2013

本稿は、感情社会学批判の文脈のなかで主題化されてきた「生きられた感情」の存在論的地位を明らかにし、その行為論的意義を提示するものである。感情社会学は、人間の内なる「自然」とされてきた感情現象に働く「集合的な管理や規則」の存在を可視化することで、感情の「社会性」を謳ってきた。けれども、こうした営みが(同じく自然科学の枠組みである)「刺激-反応図式」のもとで理解されてきた「感情的行為」類型の再定式化へと向けられることはなかった。それは、個々人に「生きられる感情」という問題圏の浮上と無関係ではない。感情社会学の理論構成における行為主体は、意識的に自らの感情から距離をとり、それをものとして管理することのできる「理性的な強さ」を負荷されてきたのである。しかし、我々はむしろ自らの感情を直接的に生きること、すなわち感情的であることを余儀なくされた存在でもあろう。現象学的理解によれば、意識それ自体の「情感性(affectivité)」とは、世界内存在の根本様態であり、それは身体と意味世界との「隠喩的な接触関係」において成立している。こうした地平から、ハビトゥスに基づく習慣的行為を「身体と意味世界との図式的な調和関係」として捉えるN. クロスリーの議論を参照するならば、感情的行為とは、馴染みの無い現実に直面し、意味世界との身体図式的な関係が不協和に陥ることで体現される、有意味な「隠喩的行為」であることが示唆される。
著者
澤田 唯人
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.460-479, 2015

<p>精神科臨床では近年, 「境界性パーソナリティ障害 (Borderline Personality Disorder)」と診断される人々の急増が指摘され, その高い自殺リスクや支援の難しさが問題視されている (朝日新聞「若年自殺未遂患者の半数超『境界性パーソナリティ障害』 : 都立松沢病院調査」2010年7月27日). 本稿の目的は, こうしたボーダーライン当事者が生きる現代的困難の意味を, インタビュー調査に基づく語りの分析から照らしだすことにある. 見捨てられ不安や不適切な怒りの制御困難による衝動的な自己破壊的行為を, 個人の人格の病理とみなす医療言説とは裏腹に, 当事者たちはそれらが他者との今ここの関係性を身体に隠喩化した意味行為であることを語りだしていく. この語りを社会学はどのように受けとめることができるだろうか. 本稿では, これら衝動的な暴力や自己破壊的行為が比喩的な意味の中で生きられるという事態を探るうえで, 個人に身体化された複数のハビトゥスと, 現在の文脈との出逢いにおいて生じる「実践的類推 (<i>analogie pratique</i>)」 (B. ライール) に手がかりを求めている. そこに浮かび上がるのは, 流動化する現代社会にあって, 自己をめぐる認知的な水準の再帰性 (A. ギデンズ) よりも一層深い, ハビトゥスの移調可能性を再帰的に問われ続けた, «腫れもの»としての身体を生きる当事者たちの姿である.</p>
著者
岡原 正幸 高山 真 澤田 唯人 土屋 大輔
出版者
三田社会学会
雑誌
三田社会学 (ISSN:13491458)
巻号頁・発行日
no.21, pp.65-79, 2016-07

論文1. アートベース・リサーチ(ABR)と社会学2. ライフストーリー・インタビューの経験を表現すること3. 他者理解をめぐるアートと社会学4. アートと社会学の交差5. アートベース社会学(Arts-Based Sociology)へ