著者
瀬谷 貴之
出版者
東北大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2001

本年度の研究は、解脱上人貞慶が勧進状を起草し、その弥勒信仰から、強く関与したとされる興福寺北円堂鎌倉再興事業の実態について主に明かにした。まず、解脱上人貞慶関係の基本史料(『讃仏乗抄』『祖師上人御作抄』『解脱上人小章集』など)について調査・再検討した。その結果、北円堂再興造営は、貞慶により南都仏教に宣揚・確立された、釈迦(舎利)=弥勒という思想・信仰に基づくものであることがわかった。その理由としては、次ぎの(1)〜(3)が挙げられる。(1)北円堂本尊弥勒仏の頭部には、唐招提寺舎利を込めた弥勒菩薩像を納めた厨子が、板彫五輪塔に挟まれ納入される。(2)弥勒仏脇侍の無着像は宝筐とされる布に包まれた持物を持つが、これは本来舎利瓶とみられる(これについては同じく脇侍の世親像についても言える可能性が高い)。(3)北円堂それ自体の特徴として、屋根に頂く大きな火炎宝珠形があるが、これも当時の宝珠形舎利容器と共通する。そして、これら北円堂再興造営に、釈迦・舎利信仰の強い影響がみられ、造形に反映されているという事実は、現在、興福寺南円堂に安置される鎌倉初期の四天王像が、本来の仏師運慶一門によって制作された北円堂像ではないかとされる学説の有力な手掛かりとなる。なぜなら同四天王像のうち多聞天像は、その持物である舎利塔をことさら高く掲げる。また一般に多聞天(北方天)は、陰陽五行説に基づき身色を黒色系とするが、現南円堂像は、その身色を白肉色とすることを特徴とし、これも当時の南都仏教界において、貞慶によって唱えられていた舎利の色を「白玉色」とする思想に影響を受けたものとみられる。以上のことから、現南円堂四天王像は・貞慶の思想的影響を受けた北円堂像の蓋然性が濃いのだが、その詳細については今後の研究課題としたい。
著者
瀬谷 貴之
出版者
神奈川県立金沢文庫
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2008

本研究は、現在の奈良地方(南都)で古代以来行われた、利益や奇跡をもたらす仏像である霊験仏への信仰が、その模刻などを通して全国各地へ広まりヽ日本彫刻史に大きな影響を与えていることを明らかにした。また特に鎌倉時代初期に活躍したヽ我が国で最も著名な仏師でもある運慶の造像活動が、実はこの南都を中心とした霊験仏信仰とも密接に関わっていることも明らかにした。研究成果の一部は、神奈川県立金沢文庫の展覧会においても広く一般に公開することが出来た。
著者
有賀 祥隆 浅井 和春 山本 勉 武笠 朗 長岡 龍作 津田 徹英 泉 武夫 瀬谷 貴之 井上 大樹
出版者
東北大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2006

三か年の期間中に、東北(岩手・宮城)、関東・甲信越(群馬・千葉・東京・神奈川・山梨)に加え、範囲を関西(京都・奈良)と中国地方(広島)にも一部広げ、都合、寺院・神社24ヶ所、34件46躯1箇1片、公共機関6ヶ所、8件20躯1双1柄、個人1ヶ所、1件1躯の物件を調査し、詳細な写真と基礎データを収集した。この成果は刊行準備中である。
著者
瀬谷 貴之
出版者
神奈川県立金沢文庫
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2011

本研究では、運慶やその関連作品が、霊験仏信仰と密接に関わっていたことを指摘した。霊験仏信仰とは特別の由緒を持ち、利益をもたらすと考えられた仏像への信仰である。運慶による造仏は単に芸術的に優れていただけではなく、霊験仏信仰と結びつくことにより、多大な影響を与えたことを明らかにした。具体的には、運慶による建久八年(1197)の京都・東寺講堂諸尊像の修理時の「仏舎利発見」について検討した。そしてこの修理で、運慶や運慶作品へ霊験性が付与されたことを指摘した。また建保七年(1216)の鎌倉・大倉薬師堂の運慶による造仏が、霊験説話と結び付き、後の鎌倉における造仏に多大な影響を与えたことなども解明した。