著者
田中 雄次
出版者
熊本大学
雑誌
熊本大学社会文化研究 (ISSN:1348530X)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.67-90, 2006-03-31

この論考は、ハリウッドにおいて生涯重要な位置を占め続けたルビッチの幾つかの作品と、1920年代にハリウッドへ進出したF.W.ムルナウの作品、ドイツ最初の近代的なプロデューサーであり、映画のビジネスとしての要請と芸術上の要請を結びつけるすべを熟知していたE.ポマーのハリウッドでの活動、それにハリウッドで数本の作品に出演し第1回のアカデミー賞男優賞を獲得した名優E.ヤニングスの活動を中心に、ドイツ国民映画がハリウッドでの影響下でどのように変容したかを検討することに主眼を置く。
著者
田中 雄次 加藤 幹郎
出版者
熊本大学
雑誌
萌芽研究
巻号頁・発行日
2002

ワイマール映画史にとって最も重要な出来事のひとつが、ドイツ最大の映画社ウーファとアメリカの大手映画社パラマウント社とメトロ・ゴールドウィン・メイヤー社との間に取り交わされた<パルファメト>協定であった。研究代表者(田中雄次)と研究分担者(加藤幹郎)は、この協定のもつ歴史的意義を明らかにするために、海外(ドイツおよびイタリア)および国内(国立フィルムセンター)での調査研究をふまえつつ、論文化する作業を行った。平成14年度は、研究分担者に予定していた加藤幹郎がフルブライト奨学金によるアメリカでの映画研究のため参加できなかったために、研究代表者一人がドイツの国立映画研究所および東京のフィルムセンターでの調査研究と文献調査を行ない、その成果として論文「ワイマール映画のなかの女性たち」(『女と男の共同論』所収)を発表した。平成15年度は、8月にアメリカでの留学から帰国した加藤幹郎を研究分担者に加え、加藤のアメリカでの研究成果の報告と研究代表者のそれまでの研究成果の突き合わせを行なった。さらに研究分担者は、2003年10月にイタリアの無声映画研究シンポジウムに参加してドイツを含む1920年代ヨーロッパの無声映画の研究資料を収集して帰国した。研究分担者はその研究成果を研究代表者の勤務する熊本大学を訪問して報告し、その内容について双方で討論し検討した。その成果は、研究代表者の論文「ドイツの<アメリカ化>と国民映画の諸問題-<パルファメト>協定の歴史的意義」(『熊本大学社会文化研究2』・2004)で発表し、2004年秋までに刊行予定である研究分担者の著書『「ブレードランナー」論序説』(筑摩書房・2004)において公表される。今後は、<パルファメト>協定成立に至るまでのワイマール時代初期(1919-1923)の映画界の混乱した状況の詳細な分析と、<パルファメト>協定が形骸化していくワイマール時代後期(1928-1931)に製作されたドイツ映画の分析に重点をおいて研究を継続したいど考えている。
著者
田中 雄次 加藤 幹郎
出版者
熊本大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

1.本研究の目的:1919年-1933年におけるワイマール期のドイツ国民映画の変容と展開を、主要な作品の分析とともにハリウッドとの関係において検討することであった。2.実施した研究計画の概要(1)2006年および2007年の7月に研究代表者と研究分担者が、熊本大学においてそれぞれの年度の研究に関して事前調査の打ち合わせを行った。(2)研究代表者は、2006年度及び2007年度の8月下旬から9月上旬にかけてドイツのフランクフルト映画博物館及びベルリンの映画博物館において学芸員の協力を得て、主要な研究対象であるワイマール中期(1924-1927)の映画作品に関する資料収集を行った。研究分担者は、おもに東京国立近代美術館フィルムセンターとアテネフランセにおいて、フィルムセンター研究員の板倉史明氏の協力を得てワイマール後期(1928-1933)の映画研究を行った。(3)研究代表者は、2007年12月1日(土)に開催された第3回日本映画学会(於:京都大学)において、「ドイツ国民映画の典型としての『ニーベルンゲン』(1922-1924)」の講演を行った。3.研究の意義とその重要性:研究代表者は2008年3月に『ワイマール映画研究-ドイツ国民映画の展開と変容』(熊本出版文化会館)を出版した。本書は、日本におけるワイマール映画に関する本格的な研究であり、今後の研究の基本図書になりうると確信している。
著者
田中 雄次
出版者
熊本大学
雑誌
文学部論叢
巻号頁・発行日
vol.96, pp.7-35, 2008-03-07

Das primare Ziel des Nibelungen-Films war nicht Unterhaltung und Abenteuer, sondern "das deutsch Volk ... sollte sich ruhig schauend beschenken lassen, empfangend erleben und damit neu gewinnen, was ihm, dem Volk als Ganzem, angeblich nur blasse Erinnerung war: das Hohelid von bedingungsloser Treue" (Harbou). Die Inszenierung ist auf die "sinnliche Evidenz der Bilder" (Heller) angelegt. Die monumentalen Bauten oder die direkte Einfuhlung von Menschen in die Filmarchitektur sowie die statuarischen Bewegungen und Charaktere der Haupthelden unterstutzen die grundlegednde kunstlerische Aussage des Films. In der Verfilmung Langs geht es darum, vier unterschiedliche Welten miteinander zu kontrastieren : die "uberfeinerte Kultur" am Hof zu Worms, die "gespensterhaft-elfische" des jungen Siegfried, die "bleiche, eisige Luft" in Brunhilds Isenland und die "asiatische" Welt des Hunnenkonigs Etzel. "Es musste mir also darauf ankommen", so Lang in einem der zahlreichen programmatischen Aufsatze vor der Premiere, "in einer Form, die das Heilig-Geistige nicht banalisierte, mit den Nibelungen einen Film zu schaffen, der dem Volke gehoren sollte". "Dem Deutschen Volke zu eigen" lautet auch die Widmung, die dem Film vorausgestellt ist.