著者
田村 和紀夫
出版者
尚美学園大学
雑誌
尚美学園大学芸術情報研究 (ISSN:18825370)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.71-82, 2015-03-31

モーツァルトとダ・ポンテがボーマルシェの台本に加えたもっとも大きな変更は、伯爵夫人の2曲のアリアの追加だった。 騒がしいドタバタ劇の中で、これらの音楽は静寂な時をもたらし、個人の内面世界への展望を開く。こうしてオペラは新たなパースペクティヴを獲得することになった。モーツァルトはこれらの2曲のアリアでかつて作曲したミサ曲の旋律を導入し、 宗教的な世界へ接近した。 特に第2アリアでは 「アニュス・デイ」 から 「ドナ・ノビス」 への転換をそのままアリアに移し換えた。 これは 「祈り」 から 「行動」 への転換にほかならず、 伯爵夫人が現実を生きる決意の表現とするのである。 こうしてオペラ 『フィガロの結婚』 はフランス革命を準備した啓蒙主義時代が産み落とした作品から、 苦難多き現実世界を生きるあらゆる人と時代のための傑作へと普遍化されたのである。
著者
田村 和紀夫
出版者
尚美学園大学芸術情報学部
雑誌
尚美学園大学芸術情報学部紀要 (ISSN:13471023)
巻号頁・発行日
no.10, pp.69-87, 2006-11

1955年はロックンロール元年の年ともいわれる。ビル・ヘイリーの《ロック・アラウンド・ザ・クロック》が大ヒットし、ロックンロール旋風が吹き荒れることになったからである。ヘイリーは1951年からの一連のレコーディングで、カントリーとリズム・アンド・ブルースの融合を目指していた。《ロック・アラウンド・ザ・クロック》は1954年にリリースされたが、この時はほとんど注目を浴びることもなかった。だが翌年、映画『暴力教室』で使われ、空前のヒットとなったのである。どうしてこのようなことが起きたのだろうか。その理由は、音楽それ自体に内在するというよりは、時代にあったといえよう。50年代前半のアメリカは戦後の好景気に沸き、マッカーシズムの「赤狩り」が猛威をふるった時代だった。ハイスクールは保守的なイデオロギーに封印され、ティーンエイジャーは高度に発展した資本主義経済がもたらした消費社会に投げ込まれた。こうした軋轢のなかで、《ロック・アラウンド・ザ・クロック》は世代の徴となり、その産声となったのだった。
著者
田村 和紀夫 Wakio TAMURA 尚美学園大学芸術情報学部
雑誌
尚美学園大学芸術情報研究 = Journal of Informatics for Arts, Shobi University (ISSN:18825370)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.53-63, 2014-03-31

モーツァルトのオペラ・ブッファ『フィガロの結婚』K.492 はオペラの歴史に画期的な一頁を開いた。バロックのオペラ・セリアは、登場人物の感情を表現することによって、劇を形成していた。しかし『フィガロの結婚』では、盲目的な「欲望」が劇を動かす。この全く新しい劇的原理を明らかにしたのが、ケルビーノのアリアである。この論文では、ボーマルシェの原作との比較を通じて、ダ・ポンテとモーツァルトの「改作」の意味を検証する。そしてそこから『フィガロの結婚』がもつ画期性を具体的に解明し、バロック・オペラからの決定的な訣別の軌跡を辿る。Mozart's opera buffa "The Marriage of Figaro" K.492 became a epoch-making work in the history of operas. The opera seria in the baroque era had formed a drama by expressing the various emotions of characters. However, in "The Marriage of Figaro", it is a blind "desire" thatdevelop the play. The aria of Cherbino revealed this completely new dramatic principle. This study, through the comparison with Beaumarchais's original play, intends to clarify the meaning of"adaptation" of Da Ponte and Mozart., and to verify the decisive progress of "The Marriage of Figaro" that made the farewell to baroque operas.