著者
田辺 繁治 Shigeharu Tanabe
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.26, no.4, pp.533-573, 2002-03-29

この論文は,人類学において日常的実践がいかに理解され,またいかにその理論的枠組みの中に適切に位置づけられるかを,特にプルデューの実践理論に焦点をあてながら論じる。ブルデューが持続的かつ移調可能な実践の発生母体としてのハビトゥスを概念化するにあたって,人類学的主体と観察され記述される人びととを同一地平に置ぎながら論じたことはきわめて重要な意義をもつだろう。人類学者の理論的実践と人びとの日常的実践を接合するこの先鋭的な試みは,レヴィ・ストロース的構造人類学と現象学的社会学の双方を批判することによって達成され,「再帰的人類学」と呼ばれる新たな研究の地平を開くことになった。この再帰的位置において,人類学者は構造的な制約の中で自由と「戦略」をもって実践を生みだすハビトゥスを検討するにあたって,自らの知識が前もって構成された特権的な図式でしかないことを理解する必要に迫られる。この論文はブルデューのハビトゥス概念の成立過程を明らかにするとともに,そのいくつかの問題点を指摘しながら,今日の再帰的人類学における理論的諸問題に取り組むためのより適切な展望を開こうとする。
著者
田辺 繁治
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.73, no.3, pp.289-308, 2008-12-31

本稿は日本文化人類学会第42回研究大会(2008年6月1日、於京都大学)における第3回日本文化人類学会賞受賞記念講演の内容を書き改めたものである。その目的は、1960年代末から今日にいたる私自身の人類学研究をふり返りながら、人びとが想像的、再帰的な実践のなかでコミュニティを構成していく過程を考察することにある。ここではコミュニティとは、すでにそこに存在するものばかりでなく、人びとの欲望、想像や思考の展開のなかで実践的に創られていくという視角から考える。そこでまず1970年代以降に現れたブルデューやレイヴ/ウェンガーらの実践理論を批判的に検討しながら、コミュニティが多様な権力作用のなかで形成されることに注目する。ここでいう権力作用とは他者にたいする外部からの支配だけでなく、イデオロギーや言説のように、人びとの認知様式や価値評価に影響をおよぼし、秩序の承認へと導く効果を含んでいる。そうした権力作用にたいする抵抗あるいは闘争を描くことは20世紀末の民族誌の重要なテーマであり、そこには西欧近代の主体概念とは異なったエージェンシーの躍動が浮き彫りになった。私が取り組んだ北タイの霊媒カルトやエイズ自助グループの研究も、病者や感染者たちがコミュニティのなかで自己と他者、権力の諸関係を想像的、再帰的な実践をとおして創りなおしていく過程に焦点をあてるものであった。彼らの実践の資源となるのは合理主義的知であるよりは、むしろコミュニティに埋め込まれた自分たちの<生>にかかわる解釈学的知である。しかし他方、近年の社会的マネージメントの展開において、こうしたコミュニティのなかに形成される共同性そのものが、国家、企業、NGOなどを含む多様な権力が介入する回路や標的となっていることに注目しなければならない。そこでフーコーの統治性の概念は、権力がそうしたコミュニティの枠組みをとおして介入し、自己規律化するフレキシブルな主体を構築していくことを分析するにあたって有効だと考えられる。このようにして人びとが想像力によってコミュニティを新たな共同性として構成してゆく道筋は、統治テクノロジーの作用による自己規律化と重なりあっているのであり、人類学はそうした重層的過程にアプローチする必要があるだろう。
著者
田辺 繁治 田辺 繁治
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.43, no.3, pp.391-442, 2019

Since the 1990s, 'animism' has become a refreshing focal point amonganthropologists working in North and South America and, to a certainextent, South East Asia, focusing on its ontological bases of humans andnon-humans. In these ontological and 'perspectivist' studies, animism isoften illustrated by the capacity of metamorphosis attributed to human andnon-human beings who have a similar interiority despite having differentbodies. What we have often detected in South East Asia, especially inNorthern Thailand, are that such unique metamorphic relations are extendedbetween humans and non-humans of various kinds including spirits, souls,cannibal ogres, and aborigines.This study analyses the complicated processes involved in the propitiationof the ancestor spirits of the aboriginal Lawa through sacrificing abuffalo, cooking, communal eating, and spirit possession by mediums in thePu Sae Ña Sae spirit cult held annually in the forest of Chiang Mai. In theritual process of this grandiose cult, it is quite evident that the NorthernThai princes, now the government officials, as the ritual sponsors whoembody Buddhist moral superiority could successfully propitiate Pu Sae ÑaSae, the aboriginal spirits. However, for the participating villagers in thecult, the external and potentially dangerous power of the spirits is manipulatedin the expectation of deriving practical results, such as well-being,health, and timely rain.This paper thus illustrates the way in which the sacrificial cult is constructedon the basis of the interactions within the animic regime to attaincertain purposes, simultaneously and intrinsically involving the reproductionof the conventional social order and legitimate authority. The animicregime is here subjugated under the domination of a political power. 1990 年代以降,「アニミズム」は,南北アメリカはもとより,さらに東南アジアで研究する人類学者たちの間でも新たに注目されるようになり,人間および非人間の存在論的基盤に焦点が当てられるようになった。そうした存在論的,あるいは「遠近法主義的」な研究では,しばしばアニミズムは変態する能力の実例と見なされる。この能力は,異なる身体を備えるが,類似する内面性を持つとされる人間および非人間の双方に備わるものと考えられるのである。われわれが東南アジア,特に北タイにおいてしばしば見出してきたものは,精霊,魂,人食い鬼,原住民などを含む多様な人間および非人間の間に広がる特有な変態の諸関係である。 この論文は,チェンマイの森の中で毎年開催されるプーセ・ニャーセ精霊祭祀に焦点を当てながら,水牛供犠,調理,共食,霊媒の精霊憑依などを通して実践される先住民ラワ(Lawa) の祖霊に関わる祭祀の複雑な過程を分析する。この巨大な祭祀の儀礼過程では,北タイの君主たち,あるいは今日では政府の役人たちは儀礼のスポンサーとして仏教道徳の崇高性を体現し,先住民の精霊プーセ・ニャーセを鎮めることになる。しかしそれとは逆に,この祭祀に参加する多くの村人たちは,外在的で潜在的には危険な力である精霊が,幸福,健康,および恵みの雨など実利的な結果をもたらしてくれることを期待するのである。 そこでこの論文では,供犠がアニミズム秩序の中の相互作用を基盤としながら特定の目的を実現するために構築されてきたと考える。しかし同時に,それが本質的に,伝統的な社会秩序と正統的な権威の再生産に関わるものであることを明らかにする。そこではアニミズム秩序は,政治的権力の支配のもとに従属してしまうのである。