著者
秋葉 和温
出版者
社団法人日本獣医学会
雑誌
日本獸醫學雜誌 (ISSN:00215295)
巻号頁・発行日
vol.22, no.5, pp.309-PLATE I, 1960-10-30

鶏の Leucocytozoon 病(L. caulleryi)は北海道と東北の一部の県を除いた各県に分布すると共に, 台湾, 印度支那, 泰, エジプドにも存在している. またその種類も5種類記載されている. しかし, その中間宿主は何れの種類においても未だ明らかにされていない. 私は今回, ワクモ (Dermanyssus gallinae), アカイエカ (Cnlex pipiens pallens) とニワトリヌカカ (Culicoides arakawae) の3種の吸血ダニならびに昆虫について媒介試験を試みた結果, ニワトリヌカカ体内に Zygote, Oocyst, Sporozoite が多数例に認めることができると共に, Sporozoite のみられたニワトリヌカカ乳剤を雛の静脈内接種により13羽の人工感染雛を得ることができた. また gametogony の出現は14日前後で末梢血液塗抹標本で検出しえた. これらの成績からニワトリヌカカが L. caulleryi の中間宿主であることが明らかになった.
著者
秋葉 和温
出版者
養賢堂
雑誌
畜産の研究 (ISSN:00093874)
巻号頁・発行日
vol.69, no.3, pp.267-272, 2015-03

○和歌山市: (1) 近畿地区獣医師大会に出席した。宇治→京阪電車で淀屋橋→ここから御堂筋線で難波→南海線で和歌山駅→バスで県庁前の市民会館。終了後,和歌山城に登る。(2) 鳥取のクラス会が和歌山市の教職員宿舎で開かれ出席した。有馬先生も元気に出席された。その前に少し南の三井寺に参拝した。翌日,和歌の浦方面,北の根来(ねごろ)寺にお参りした。昼食後に解散となり,私は粉河寺,華岡青洲の家などを訪れ,五条→大和高田→奈良→宇治→黄檗下車,バスで帰宅した。○高野山: 陸軍獣医部の紫陽会主催の会合が高野山の宿坊であり,その世話を奈良県在住の小山方玄君がしたというので,出席した。宇治→近鉄特急で吉野口→ここからJRで橋本駅→ここで南海電鉄で高野山口下車→バスで会合の宿坊に行く。1泊した。何箇所かのお寺を拝観し,奥の院にもお参りした。ここで高野槙を購入した。500円だった。この木は今も我が家の庭にある。行きに吉野口でのJRへの乗り換えに時間がかなりかかったので,帰りはコースを変えた。このほうが,料金も安かった。南海電鉄で難波→御堂筋線で淀屋橋駅→京阪電鉄に乗り換え三室戸駅→バスで帰宅した。
著者
秋葉 和温
出版者
養賢堂
雑誌
畜産の研究 (ISSN:00093874)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.485-492, 2013-04

1906年(明治39年)の春,Lissabonで開かれたIntemationaler Medizinischer Kongressに出席し,たまたま重症を発して帰り,直ちにHamburgのEppendorf(エツペンドルフ)病院に入院した。その病気の原因は遠くさかのぼって,彼の自家実験にあったもので,激烈な肛門周囲炎を起こしたのであった。大腸の膿瘍は腹腔に溢れ,Notoperation(救急手術)のかいもなく,同年6月20日(1906年6月22日‐高田)昇天,彼の霊はこの世を去った。わずかに35歳の壮者は,わが学術界に大きな足跡を残して,昇天したのである。Hamburgの研究所より出版した615SeiteのSammelausgabeは,この天才的研究者の最後を飾るものである(1911出版)。この若い堅実な学者を失ったのは,測り知れぬ人類の不幸,かつ大きな損失で,世界の学界はみなこの不幸を悲しみ弔ったのであった。トーマス・D・ブロック著,長木大三・添川正男訳「ローベルト・コッホ」の236ページにはノーベル賞の項で,「1905年(明治38年)にはフリッツ・シャウディン(1871‐1906)が受賞者として指名されていた。シャウディンは原生動物について重要な報告を出していたが(その中のいくつかはのちに誤りとわかった),1905年春,エリッヒ・ホフマン(1866‐1959)と協力し梅毒の病原体としてスピロヘータ・バリダ(のちにトレポネーマ・パリドムと命名)を発見したと報告した。1905年4月末,当時パストウール研究所長であったエリー・メチニコフはシャウディンの指名についてノーベル賞委員会へ書簡を出した。私はシャウディンの仕事を高く評価はするが,ノーベル賞の候補者として支持することはできません。私は多年にわたりコッホを受賞者として推薦してきましたが,コッホが受賞しないかぎり,他の候補者を支持することはできません。私の意見では,ローベルト・コッホの医学への貢献は,他のすべての可能性のある候補者よりもはるかに超越したものであります。」と記載されている。そして「ノーベル賞委員会もついに決意した。1905年12月12日,彼の誕生日の翌日,コッホは受賞した。(当時の金額で15万ドイツマルク)。"ドイツ医学週報"には次のように記述されている。「"これ以上受賞にふさわしい人は考えられない"」と。
著者
秋葉 和温
出版者
養賢堂
雑誌
畜産の研究 (ISSN:00093874)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.303-309, 2009-02

鶏のロイコチトゾーン症と小倉喜佐次郎獣医学博士との関係、そして知り得た日本統治下の台湾の獣医畜産事情。今まで述べてきたように小倉先生や森下薫先生の台湾時代の様子が、少し明らかになったところで、次の疑問が湧いてきました。朝鮮総督府血清製造所(釜山)や満洲の獣疫研究所(奉天)などは、歴代所長や研究者名も、研究報告も、皆さん、かなり知っておられると思います。しかし、台湾に関しては、私自身は、板垣先生と、小倉先生との関係、石谷先生と台北帝大との関係などの、ほんの少ししか知っていないというのが実情でした。私はロイコチトゾーン症の調査研究を通じて、マラリアについての文献を読みましたが、その手懸りは森下先生の「マラリア原虫の生物学及び疫学に関する研究」(昭和38年)で、これから多くのものを学びました。その中には医学関係の研究者について、台湾医学会雑誌、その他に報告された文献が多数紹介されています。
著者
秋葉 和温
出版者
養賢堂
雑誌
畜産の研究 (ISSN:00093874)
巻号頁・発行日
vol.67, no.7, pp.775-780, 2013-07

私は媒介者検索のため,7月22日に久保田さんの家の離れにお邪魔した。幸いにも,久保田さんの離れを井野専務夫妻が借りておられて,私を泊めて下さるというのである。有り難いことであった。しかも,この離れの裏にはバタリー鶏舎があったので,この離れに血液塗抹や染色用具,携帯顕微鏡,接種用ヒナなどを置き,裏の鶏舎で作業して,その処理を,この離れの部屋の座り机の上ですることができたので,大変好都合であった。お邪魔して最初は,裏の鶏舎に入り,まず糞の状態を見る。緑色をした便を見つけたら,顔を上げて鶏冠の状態を見るのである。鶏冠が白っぽくなっていれば,その鶏は貧血しているのである。このようにして緑色便と貧血の見られる鶏を数羽,探し出して,血液塗抹をとった。離れに帰ってメタノール固定し,ギムザ染色をして顕微鏡で検査して,II期とV期の原虫が同時に見られるような鶏を選び出したのである。V期の原虫のみしか見られない鶏では,すぐ消失してしまうかもしれない,II期とV期の原虫が同時に見られるような鶏はV期の,すなわちガメトサイトの出始めであることを示していて,ニワトリヌカカに吸血させるのに好都合であったからである。
著者
秋葉 和温
出版者
養賢堂
雑誌
畜産の研究 (ISSN:00093874)
巻号頁・発行日
vol.69, no.3, pp.267-272, 2015-03

○和歌山市: (1) 近畿地区獣医師大会に出席した。宇治→京阪電車で淀屋橋→ここから御堂筋線で難波→南海線で和歌山駅→バスで県庁前の市民会館。終了後,和歌山城に登る。(2) 鳥取のクラス会が和歌山市の教職員宿舎で開かれ出席した。有馬先生も元気に出席された。その前に少し南の三井寺に参拝した。翌日,和歌の浦方面,北の根来(ねごろ)寺にお参りした。昼食後に解散となり,私は粉河寺,華岡青洲の家などを訪れ,五条→大和高田→奈良→宇治→黄檗下車,バスで帰宅した。○高野山: 陸軍獣医部の紫陽会主催の会合が高野山の宿坊であり,その世話を奈良県在住の小山方玄君がしたというので,出席した。宇治→近鉄特急で吉野口→ここからJRで橋本駅→ここで南海電鉄で高野山口下車→バスで会合の宿坊に行く。1泊した。何箇所かのお寺を拝観し,奥の院にもお参りした。ここで高野槙を購入した。500円だった。この木は今も我が家の庭にある。行きに吉野口でのJRへの乗り換えに時間がかなりかかったので,帰りはコースを変えた。このほうが,料金も安かった。南海電鉄で難波→御堂筋線で淀屋橋駅→京阪電鉄に乗り換え三室戸駅→バスで帰宅した。
著者
秋葉 和温
出版者
養賢堂
巻号頁・発行日
vol.68, no.7, pp.771-776, 2014 (Released:2014-09-25)
著者
秋葉 和温
出版者
養賢堂
雑誌
畜産の研究 (ISSN:00093874)
巻号頁・発行日
vol.69, no.6, pp.557-561, 2015-06

長崎市: (1) 九州支場長として鹿児島に赴任してすぐ,長崎県担当の九州地区獣医師大会で研究業績発表会が長崎市で開かれた。私は支場長として,昭和58年10月11日~13日まで長崎市に出張し,県の指定していた長崎グランドホテルに2泊し,獣医畜産学会助言者として講評した。鹿児島空港→長崎空港→リムジンに乗り1時間位で長崎市内に着いた。終了後,グラバー邸を訪れた。シーボルトの鳴滝塾について県の職員の方に聞いたが,ご存知なかったので,訪れることができなかった。帰りは汽車を利用した。(2) 平成12年は日蘭交流400周年に当たるので,長崎,平戸などで記念特別展が開かれていた。畜産の研究,69巻5号の宇和島,卯之町,松山市の項に記載したように,司馬遼太郎の著書,「坂の上の雲」,「花神」そして「胡蝶の夢」など,こんなにも面白くて,参考になる読み物があったのだろうかと,感激と興奮に包まれながら,それぞれ一気に読んだものである。松山では「坂の上の雲」の正岡子規,夏目漱石,秋山好古,秋山真之などについて,現地を訪ね,資料の収集を試みた。
著者
秋葉 和温
出版者
養賢堂
雑誌
畜産の研究 (ISSN:00093874)
巻号頁・発行日
vol.67, no.7, pp.775-780, 2013-07

私は媒介者検索のため,7月22日に久保田さんの家の離れにお邪魔した。幸いにも,久保田さんの離れを井野専務夫妻が借りておられて,私を泊めて下さるというのである。有り難いことであった。しかも,この離れの裏にはバタリー鶏舎があったので,この離れに血液塗抹や染色用具,携帯顕微鏡,接種用ヒナなどを置き,裏の鶏舎で作業して,その処理を,この離れの部屋の座り机の上ですることができたので,大変好都合であった。お邪魔して最初は,裏の鶏舎に入り,まず糞の状態を見る。緑色をした便を見つけたら,顔を上げて鶏冠の状態を見るのである。鶏冠が白っぽくなっていれば,その鶏は貧血しているのである。このようにして緑色便と貧血の見られる鶏を数羽,探し出して,血液塗抹をとった。離れに帰ってメタノール固定し,ギムザ染色をして顕微鏡で検査して,II期とV期の原虫が同時に見られるような鶏を選び出したのである。V期の原虫のみしか見られない鶏では,すぐ消失してしまうかもしれない,II期とV期の原虫が同時に見られるような鶏はV期の,すなわちガメトサイトの出始めであることを示していて,ニワトリヌカカに吸血させるのに好都合であったからである。
著者
秋葉 和温
出版者
養賢堂
雑誌
畜産の研究 (ISSN:00093874)
巻号頁・発行日
vol.67, no.6, pp.673-678, 2013-06

1957年(昭和32年)のロイコチトゾーンの感染鶏の病性鑑定は山梨の住吉種畜場の例で終わった。この年は感染鶏の見られる養鶏場で,ライトトラップを使用して吸血昆虫を採取して乳剤とし,健康鶏に接種した。これは,その中には,きっと媒介者がいるであろう,媒介者がおれば,その中にはスポロゾイトを持っているものも,きっといるであろう,したがって,採取した昆虫の乳剤を接種すれば感染するであろうと考えたからである。しかし,1羽の感染鶏もえられなかったのである。どうしてであろうか。ウイルス学では感染耐過した動物の血清の中には中和抗体と称せられるものが存在する。この抗体はウイルスと結合し,中和するので,感染が防止される。これと同じような現象が起きているのであろうか。すなわち,ロイコチトゾーンの感染鶏群には,すでに感染耐過した個体もいるわけで,このような耐過鶏の血液を吸ったニワトリヌカカとスポロゾイトを持ったニワトリヌカカ,このヌカカは見た目では未吸血ヌカカと判定されるが,これと区別することなく,一緒に乳剤としたため,スポロゾイトが存在していたとしても,耐過鶏の血液を吸ったものの中の抗体によって中和されたようになって,感染力を失ったため,感染しなかったのではなかろうかと考えたのである。
著者
秋葉 和温
出版者
養賢堂
雑誌
畜産の研究 (ISSN:00093874)
巻号頁・発行日
vol.63, no.10, pp.1037-1044, 2009-10

鶏のロイコチトゾーン症と小倉喜佐次郎獣医学博士との関係、そして知り得た日本統治下の台湾の獣医畜産事情。劉書彦:台湾総督府における農業研究体制に「適地化」展開過程-台北帝国大学理農学部を中心に-、東京:お茶の水女子大学大学院博士論文、甲447号。これはお茶の水女子大学の大学院生の学位授与・受賞歴の中の11番目に掲載されている。この文献は2005年9月15日、次の文献は2005年3月24日となっていて、順番が異なるのではと思われるが、後者の文献に、前者の文献が引用されていることから、この順番に配置することにしたのです。