著者
竹内 幸絵 Yukie Takeuchi
出版者
同志社大学社会学会
雑誌
評論・社会科学 = Hyoron Shakaikagaku (Social Science Review) (ISSN:02862840)
巻号頁・発行日
no.145, pp.59-90, 2023-05-31

「映像・デザイン研究『饒舌の映像-テレビ・コマーシャル・フィルム』」は,草月アートセンターが主催し,1968年に東阪で6日間開催された催事である。本稿はこの開催経緯とかかわった人物,内容詳細と広告界の反応に注目し,そこに表れている関係性を歴史化することを目的としている。「饒舌の映像」の企画者は今村昭という電通の広告制作者いしがみみつとしだったが,今村は石上三登志名で前衛映画の評論家としても活動していた。石上の活動拠点が1960年代の日本の前衛芸術運動を牽引する中心的な存在だった草月アートセンターだった。今村は石上の経歴を用いて「饒舌の映像」を文化催事として企画した。米国と日本の傑作テレビCM集,日本の5名の代表的制作者の作品集などが上映され,鈴木清順,筒井康隆,サトウサンペイ,野坂昭如,竹村健一らが登壇したシンポジウムも併催された。入場料500円を徴収したにもかかわらず毎回満員となった。複数のメディアがこれに驚きをもってとりあげた。反響は広告界の構造転換を促進し,長く君臨していたグラフィック・デザイナー団体の解散を加速させた。「饒舌の映像」は今村・石上というふたつの顔を持つ人物を介した前衛芸術とテレビCMの交点であり,これ以降テレビCMの社会的・文化的価値についての議論が本格化したと考えられる。
著者
竹内 幸絵
出版者
同志社大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2021-04-01

テレビCM放映は1953(昭和28)年に始まったが、「昭和30年代」に入った当初は戦前からの技術的・人的蓄積があったグラフィック広告界が隆盛し、テレビCM界の地位は低かった。しかし当該10年の後半に至って広告メディアとしての両者の社会的地位は転倒する。この現象は、テレビCMを中心に起きた「見て理解する」から「感覚的に受け入れる」への視覚性の画期であったと思われる。本研究は今日の視覚メディアの原点としても重要な本現象を、大量の実広告資料、関係者の聞き取り、雑誌などの周辺資料をもとに多角的な視座から検証し解明を目指す。同時に成果をもとに、メディアの視覚性を歴史認識に取り込む方法論の構築を検討する。
著者
竹内 幸絵 Yukie Takeuchi
出版者
同志社大学社会学会
雑誌
評論・社会科学 = Hyoron Shakaikagaku (Social Science Review) (ISSN:02862840)
巻号頁・発行日
no.140, pp.55-78, 2022-03-31

本稿の目的は,黎明期の「フィルムによる広告」の実態を明らかにし,それへの当時の社会認識とその後の広告への接合について考証することにある。最初の広告の「上映」は明治24(1891)年の「廣告幻燈会」だった。その後明治42(1909)年に特設会場での無料イベントにおいて初めて「動く広告」が上映された。この際の広告は戦後のPR広告と近い性質を持っていた。観客に広告を広告として視聴する態度がまだ十分に育っていなかったため,上質な演目に広告を埋め込む「広告映画番組」であることが求められたからである。一方映画館においては昭和初期に,番組内で商品を扱う「タイアップ広告」映画が上映されたが長くは続かなかった。業界関係者の「動く広告」への期待は大きく活発に議論がされ,昭和初期には実験的な短編広告動画も制作された。特設会場での「広告映画番組」の上映は昭和初期まで長期間継続した。これは昭和14(1939)年に施行された映画法が定めた「文化映画」という新たな属性に「広告映画番組」がニュース映画などと一体的に包摂されていく土壌となった。
著者
竹内 幸絵 佐藤 守弘 熊倉 一紗
出版者
同志社大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2016-04-01

研究2年目はまず広告業界誌『プレスアルト』の冊子体に記載されていたリスト情報を元に、広告作品の詳細来歴情報(広告主やデザイナー、印刷手法など)についての文字起こしを行なった。情報は5619作品分取得することができた。次にこの文字情報と、初年度撮影済の広告現物スナップ写真(画像情報)6183枚との照合作業を行い、画像情報に適切な文字情報を紐づけて行く作業を行った。およそ8割の画像情報について合致させることができた。最後にデータベースソフトを用いてこの結果を管理する仕組みを構築し、文字情報(例えば企業情報やデザイナー名)から関連する画像情報を呼び出すなどの一括検索が可能な形式に生成した。一方このデータベースとは別に、現存またはコピーが確認できている冊子体298冊の全ページのPDF化を行った。これは脆弱な冊子の記事を研究時に確認閲覧可能とするために必要な作業であった。広告印刷物というエフェメラメディアの研究では、たとえ現物が残っていたとしても制作年すら同定が難しく、まして印刷形式や色数、紙の質などの確定は著しく困難である。この不確かな状況がこれまで広告研究の推進を阻害して来たといえる。本研究の固有性は、破棄され後世に残りにくい広告の実物が現存すること、そしてのみならず、その制作時の来歴が冊子体により明確であるという点にある。従って今回の研究では、数千点の作品画像情報に明確な来歴情報を紐づけて整理することが大きなひとつの目標であった。この当初のねらいの基礎部分を上記の二つ基礎のデータを二年度までに制作することで実装した。すなわちデータベースで数千の作品の検索を行い、その作品のさらなる詳細情報を冊子から読み取るという研究環境を整えることができた。