著者
高柳 匡 西岡 辰磨 笠 真生
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.69, no.6, pp.361-369, 2014-06-05 (Released:2019-08-22)

重力を含む全ての力を統一すると期待される超弦理論は,AdS/CFT対応と呼ばれる重力理論と場の理論の等価性(ホログラフィー原理)を予言する.近年,この考え方を量子多体系の物理や物性物理学へ応用する動きが高まっており,高温超伝導体などに代表される強相関量子多体系において,普遍的と期待される性質が重力理論を用いて盛んに解析されている.その中でも特に「エンタングルメント・エントロピー」と呼ばれる,量子多体系の量子状態の量子的なもつれを測る指標が注目を集めている.ホログラフィー原理に基づくと,量子臨界点にある量子多体系のエンタングルメント・エントロピーは,反ド・ジッター空間中の「曲面の最小面積」で与えられる.従来の複雑な計算方法と異なり,このホログラフィック公式は相互作用する系に適用可能な新たな解析方法である.一方,量子情報理論および数値物性理論では,量子系の波動関数を,しばしばテンソルネットワークと呼ばれる形式で表示し,波動関数に含まれるエンタングルメントの見積もりが行われる.ホログラフィー原理とテンソルネットワークは,一見何の関係もないように見える.ところが最近の研究では,テンソルネットワークを用いて異なったエネルギースケールでのエンタングルメントの記述を考えると,自然に反ド・ジッター空間中の曲面の構造が現れることがわかってきた.このように,エンタングルメント・エントロピーを通じて,量子多体系,量子重力理論,量子情報理論の間の関係性が明らかになりつつある.特に,ホログラフィック公式とテンソルネットワークの類似性は,重力理論における時空そのものが量子エンタングルメントの集合体であるという,全く新しい見方を提起している.本記事では,ホログラフィック公式を中心に,この3つの分野におけるエンタングルメント・エントロピーに関する最近の発展を解説する.まず2節では量子多体系のエンタングルメント・エントロピーを導入し,強劣加法性などの基本的性質について述べる.また,エンタングルメント・エントロピーのスケーリングが,量子多体系の種々の相を区別するのに有効な指標であることを見る.次の3節では系のエネルギースケールを変えたときのエンタングルメントの変化を考察する.特に系が持つ「有効自由度」はエネルギーが低くなるにつれ減少するはずだが,そのような有効自由度を測る関数が,エンタングルメント・エントロピーを用いることで具体的に構成できることを示す.4節ではまずホログラフィー原理の具体例であるAdS/CFT対応を解説し,重力理論を用いたエンタングルメント・エントロピーのホログラフィック公式を導入する.その後,この公式が重要な性質である強劣加法性を満たすことを確認し,AdS/CFT対応で記述される非フェルミ流体に触れる.最後に5節ではMERAと呼ばれる,繰り込み群の考え方に基づいた量子多体系のテンソルネットワーク波動関数を紹介し,MERAとAdS/CFT対応におけるホログラフィック公式の類似性を考察する.
著者
初貝 安弘 笠 真生 丸山 勲
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

現代物理学においては「対称性の破れ」とそれを記述する「秩序変数」の概念が基本的であると考えられてきた。主たる現代物理学の目的の一つはこれらを用いた物理的な「相」の分類、理解であったと言えよう。特にその相の質的変化としての「相転移」においては臨界点における局所的ゆらぎ時空間的な発散的振る舞いの正確な記述のために局所的場の理論を用いた繰り込み群ならびにその再帰的階層的概念が極めて有効であり、Landau-Ginzberg-Wilsonによる一つの認識論的パラダイムが構築されるに至った。一方近年の研究の進展により、量子効果が古典論に対する摂動であるにとどまらず、新たな物質相としての「量子相」が広く存在することが認知されるに至った。物性論に例をとれば種々の量子ホール相、強相関電子群におけるスピン液体相、近藤格子系等における量子液体相、整数スピン鎖におけるHaldane相等がその典型例となる。これらは、如何なる対称性の破れを伴わず、古典的秩序変数によっては特徴づけることのできない古典的対応物の存在しない真に量子的な新物質相である。これらの相は「量子液体相」と近年総称され多くの興味をあつめている。これらの新奇な「量子相」「量子液体相」の存在とその重大な意義の認識は上述の古典的パラダイムからのパラダイムシフトの必要性を強く示唆し、あらたな自然法則の理解、発見を要求する。その要求に応えるべく提案されたのが、「トポロジカル秩序」「量子秩序」の概念であり、共同研究者とともに、私もその概念形成を行ってきたものである。このトポロジカル秩序の概念はLGWを越えた新しいパラダイムを目指すものではあるがその正確な定義は現在、まだその建築途上にあるといえる。以上を歴史的背景として本研究において私は量子系の特徴である「幾何学的位相」を用いたベリー接続を直接の手段とし、ベリー位相、チャーン数等により多体の電子論、物性論におけるトポロジカルな秩序変数を構成する理論的提案を行い、それに基づく大規模数値計算機による具体的な数値計算により、シングレット液体相の分類、グラフェンでの量子ホール相の確定等に成功した。また一般化されたVBS状態等におけるエンタングルメントエントロピーを具体的に計算することによりその量子液体相における意義をまた明確にした。