- 著者
-
藤岡 里圭
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.197, pp.127-143, 2016-02-29
百貨店が成立するまで,小売業は呉服や小間物といった業種ごとに店が形成されていた。したがって,婚礼のための商品を買い求める際,複数の専門店を買い回りながら多くの商品を短期間で購入しなければならなかった。しかし,百貨店が陳列販売を導入し,取扱商品を呉服だけでなく雑貨などにも拡大したことによって,ひとつの店舗内で業種の異なる複数の商品を購入できるワンストップショッピングが可能となった。ワンストップショッピングは,消費者の商品探索の費用を削減し,短期間で複数の商品を購入しなければならない婚礼需要にとっては非常に有効であった。しかし,百貨店の成長とともに店舗面積が広がり,取扱商品が拡大すればするほど,ワンストップショッピングは可能でありながら必要な商品を見つけるための時間が増加し,消費者は商品を効率的に探索することができなくなった。そこで,三越は,御婚礼調度係を設置し,消費者のワンストップショッピングが有効に機能するよう売場を再編成したのである。大正時代,消費市場が飛躍的に拡大したことによって,百貨店は都市部だけでなく地方都市でも設立されるようになり,また,都市の百貨店が通信販売や出張販売を行うことによって,地方の消費者も百貨店を利用することができるようになった。その中で,婚礼は,百貨店の既存顧客だけでなく,地方客や都市部のこれまで百貨店を利用していなかった消費者にまでターゲットを広げる貴重な機会であった。そして,この婚礼支度という大きな需要に的確に応えた百貨店は,売上高を増加させていったのである。ところが,第一次世界大戦後の景気低迷によって,婚礼需要が抑制されると,自らの立場に相応しい支度をしたいけれども,ある一定の予算内で収めたいという中間所得者層の顧客に対して,三越は,婚礼支度の標準を示し,必要以上の出費を抑える工夫を施した。つまり,百貨店は,顧客層を下方に拡大しながら成長するマーケティング戦略を採用したのである。