著者
藤永 壯 高 正子 伊地知 紀子 鄭 雅英 皇甫 佳英 高村 竜平 村上 尚子 福本 拓 塚原 理夢 李 陽子
出版者
大阪産業大学
雑誌
大阪産業大学論集 人文科学編 (ISSN:02871378)
巻号頁・発行日
no.122, pp.99-123, 2007

本稿は,在日の済州島出身者の方に,解放直後の生活体験を伺うインタビュー調査の第4回報告である。かつて私たちは3回分の調査報告を『大阪産業大学論集 人文科学編』第102〜105号(2000年10月,2001年2月,6月,10月)に掲載したが,メンバーの就職,留学などの事情でしばらく活動を中断していた。その後,2005年より新しいメンバーを加えて調査を再開させることができ,その最初の成果が本稿ということになる。なおこの調査の目的や方法などは,「解放直後・在日済州島出身者の生活史調査(1・上)」前掲『大阪産業大学論集 人文科学編』第102号,に掲載しているので,ご参照いただきたい。今回の記録は,東大阪市在住の李健三さん(仮名)のお話をまとめたものである。李さんは1937年,大阪市のお生まれだが,ご両親は,韓国・済州道済州市朝天邑新村里(現行の行政地名)のご出身である。また,インタビューには妻の張玉蓮さんが同席してくださった。張さんは1934年,済州道済州市禾北洞(現行の行政地名)のお生まれである。(済州道は2006年7月1日より「済州特別自治道」となり,北済州郡は済州市に,また南済州郡は西帰浦市に統合された。したがって現行の行政地名は,前3回の調査報告時から変更されている場合がある。)インタビューは2006年4月29日,東大阪市の李さんのご自宅で,藤永壯・高正子・伊地知紀子・鄭雅英・皇甫佳英・高村竜平・福本拓・塚原理夢の8名が聞き手となって実施し,これに村上尚子が加わって,テープ起こしと第1次編集をおこなった。李さん,張さんに第1次編集原稿をチェックしていただき,テープ起こしに際しての不明箇所を確認するため,2007年2月19日,藤永が再度李さん宅を訪問した。鄭と伊地知が全体の整理と校正,村上と藤永が用語解説,鄭と高がルビ校正,福本が参考地図の作成,藤永が最終チェックを担当した。なお李さん,張さんご夫妻の三女・李陽子さんには,インタビューに同席していただき,確認作業でも多大なご協力をいただいたため,記録者の一員としてお名前を掲載させていただくことにした。以下,凡例的事項を箇条書きにしておく。(1)本文中,文脈からの推測が難しくて誤解が発生しそうな場合や,補助的な解説が必要な場合は,[ ]で説明を挿入した。(2)とくに重要な歴史用語などには初出の際*を付し,本文の終わりに解説を載せた。なお前3回の調査報告からかなり時日が経過しているため,今回は以前掲載した用語も再掲することとした。(3)朝鮮語で語られた言葉は,一般的な単語や固有名詞などの場合には漢字やカタカナで,特殊な単語や文章の場合はハングルで表記し,日本語のルビをふった。(4)インタビューの際に生じたインタビュアー側の笑いや驚きなどについては,〈 〉で挿入した。
著者
藤永 壯 伊地知 紀子 高 正子 村上 尚子 福本 拓 金 京子
出版者
大阪産業大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

本研究では、在日済州島出身者へのインタビュー調査や現地踏査を中心に、第2次大戦直後の時期の在阪朝鮮人の生活状況を復元しようとした。インタビューの記録は研究代表者の勤務先の学会誌に掲載中であり、またそのうち一部を翻訳し韓国で単行本として出版した。また研究の成果を、済州4・3平和財団、琉球大学、朝鮮史研究会などの主催する学術会議で報告し、その一部は研究論文として発表している。
著者
藤永 壯
出版者
大阪産業大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002

本研究では「帝国」日本の直轄植民地であった台湾と朝鮮において、公娼制度が成立する過程を検討した。両者の制度成立に至る事情は大きく異なっているし、また内容においてもさまざまな違いが見られる。しかし日本の公娼制度を祖型とし、性病検診制度や集娼政策の実施など、基本的性格を貫徹させている点は共通していた。植民地期台湾への公娼制度の導入は、日本の領有直後の1896年からはじまり、1900年前後には自由廃業運動の影響を受けた制度の手直しが実施された。当初、貸座敷・娼妓に対する取締法令は地域ごとに違っていたが、1906年に全島的に統一された。一方、植民地化以前の朝鮮においては、日本人居留民を対象とする公娼制度・密売春取締政策が日本領事館により実施されていた。朝鮮保護国化後には、「貸座敷」「娼妓」などの語の使用をさけつつ、実質的に公娼を許容する制度が実施された。台湾と同様、朝鮮の公娼制度も各地域で違っていたが、「併合」後の1916年に統一された。公娼制度の確立にともない、朝鮮人接客女性は日本警察当局の定める「芸妓」「娼妓」「酌婦」という分類にあわせて再編成された。朝鮮において公娼制度が確立した第1次世界大戦の時期に、朝鮮人接客業者が朝鮮外に移動する現象が起こっていた。1920年代初めから、朝鮮人娼妓は台湾へも渡航をはじめ、台湾の朝鮮人娼妓数は1930年には台湾人を上回り、40年前後には台湾全体の娼妓数の約4分の1を占めるに至った。娼妓許可の最低年齢が16歳と最も低年齢であった台湾に、日本人だけでなく朝鮮人の女性たちも渡航していったのである。そして台湾における朝鮮人接客業の存在は、やがて日中戦争期に、大量の朝鮮人「慰安婦」が台湾を経由して華南地方の戦地に送り込まれる状況を生み出すことになる。
著者
藤永 壯 高 正子 伊地知 紀子 鄭 雅英 皇甫 佳英 高村 竜平 村上 尚子 福本 拓 塚原 理夢 李 陽子 フジナガ タケシ イジチ ノリコ タカムラ リョウヘイ ムラカミ ナオコ フクモト タク ツカハラ リム / Takeshi FUJINAGA Jeongja KO Noriko IJICHI Ahyoung CHUNG Kayoung HWANGBO Ryohei TAKAMURA Naoko MURAKAMI Taku FUKUMOTO Rimu TSUKAHARA Yangja LEE
雑誌
大阪産業大学論集. 人文科学編
巻号頁・発行日
vol.122, pp.99-123, 2007-06

本稿は,在日の済州島出身者の方に,解放直後の生活体験を伺うインタビュー調査の第4回報告である。かつて私たちは3回分の調査報告を『大阪産業大学論集 人文科学編』第102~105号(2000年10月,2001年2月,6月,10月)に掲載したが,メンバーの就職,留学などの事情でしばらく活動を中断していた。その後,2005年より新しいメンバーを加えて調査を再開させることができ,その最初の成果が本稿ということになる。なおこの調査の目的や方法などは,「解放直後・在日済州島出身者の生活史調査(1・上)」前掲『大阪産業大学論集 人文科学編』第102号,に掲載しているので,ご参照いただきたい。今回の記録は,東大阪市在住の李健三さん(仮名)のお話をまとめたものである。李さんは1937年,大阪市のお生まれだが,ご両親は,韓国・済州道済州市朝天邑新村里(現行の行政地名)のご出身である。また,インタビューには妻の張玉蓮さんが同席してくださった。張さんは1934年,済州道済州市禾北洞(現行の行政地名)のお生まれである。(済州道は2006年7月1日より「済州特別自治道」となり,北済州郡は済州市に,また南済州郡は西帰浦市に統合された。したがって現行の行政地名は,前3回の調査報告時から変更されている場合がある。)インタビューは2006年4月29日,東大阪市の李さんのご自宅で,藤永壯・高正子・伊地知紀子・鄭雅英・皇甫佳英・高村竜平・福本拓・塚原理夢の8名が聞き手となって実施し,これに村上尚子が加わって,テープ起こしと第1次編集をおこなった。李さん,張さんに第1次編集原稿をチェックしていただき,テープ起こしに際しての不明箇所を確認するため,2007年2月19日,藤永が再度李さん宅を訪問した。鄭と伊地知が全体の整理と校正,村上と藤永が用語解説,鄭と高がルビ校正,福本が参考地図の作成,藤永が最終チェックを担当した。なお李さん,張さんご夫妻の三女・李陽子さんには,インタビューに同席していただき,確認作業でも多大なご協力をいただいたため,記録者の一員としてお名前を掲載させていただくことにした。以下,凡例的事項を箇条書きにしておく。(1)本文中,文脈からの推測が難しくて誤解が発生しそうな場合や,補助的な解説が必要な場合は,[ ]で説明を挿入した。(2)とくに重要な歴史用語などには初出の際*を付し,本文の終わりに解説を載せた。なお前3回の調査報告からかなり時日が経過しているため,今回は以前掲載した用語も再掲することとした。(3)朝鮮語で語られた言葉は,一般的な単語や固有名詞などの場合には漢字やカタカナで,特殊な単語や文章の場合はハングルで表記し,日本語のルビをふった。(4)インタビューの際に生じたインタビュアー側の笑いや驚きなどについては,〈 〉で挿入した。