著者
藤永 壯 高 正子 伊地知 紀子 鄭 雅英 皇甫 佳英 高村 竜平 村上 尚子 福本 拓 塚原 理夢 李 陽子
出版者
大阪産業大学
雑誌
大阪産業大学論集 人文科学編 (ISSN:02871378)
巻号頁・発行日
no.122, pp.99-123, 2007

本稿は,在日の済州島出身者の方に,解放直後の生活体験を伺うインタビュー調査の第4回報告である。かつて私たちは3回分の調査報告を『大阪産業大学論集 人文科学編』第102〜105号(2000年10月,2001年2月,6月,10月)に掲載したが,メンバーの就職,留学などの事情でしばらく活動を中断していた。その後,2005年より新しいメンバーを加えて調査を再開させることができ,その最初の成果が本稿ということになる。なおこの調査の目的や方法などは,「解放直後・在日済州島出身者の生活史調査(1・上)」前掲『大阪産業大学論集 人文科学編』第102号,に掲載しているので,ご参照いただきたい。今回の記録は,東大阪市在住の李健三さん(仮名)のお話をまとめたものである。李さんは1937年,大阪市のお生まれだが,ご両親は,韓国・済州道済州市朝天邑新村里(現行の行政地名)のご出身である。また,インタビューには妻の張玉蓮さんが同席してくださった。張さんは1934年,済州道済州市禾北洞(現行の行政地名)のお生まれである。(済州道は2006年7月1日より「済州特別自治道」となり,北済州郡は済州市に,また南済州郡は西帰浦市に統合された。したがって現行の行政地名は,前3回の調査報告時から変更されている場合がある。)インタビューは2006年4月29日,東大阪市の李さんのご自宅で,藤永壯・高正子・伊地知紀子・鄭雅英・皇甫佳英・高村竜平・福本拓・塚原理夢の8名が聞き手となって実施し,これに村上尚子が加わって,テープ起こしと第1次編集をおこなった。李さん,張さんに第1次編集原稿をチェックしていただき,テープ起こしに際しての不明箇所を確認するため,2007年2月19日,藤永が再度李さん宅を訪問した。鄭と伊地知が全体の整理と校正,村上と藤永が用語解説,鄭と高がルビ校正,福本が参考地図の作成,藤永が最終チェックを担当した。なお李さん,張さんご夫妻の三女・李陽子さんには,インタビューに同席していただき,確認作業でも多大なご協力をいただいたため,記録者の一員としてお名前を掲載させていただくことにした。以下,凡例的事項を箇条書きにしておく。(1)本文中,文脈からの推測が難しくて誤解が発生しそうな場合や,補助的な解説が必要な場合は,[ ]で説明を挿入した。(2)とくに重要な歴史用語などには初出の際*を付し,本文の終わりに解説を載せた。なお前3回の調査報告からかなり時日が経過しているため,今回は以前掲載した用語も再掲することとした。(3)朝鮮語で語られた言葉は,一般的な単語や固有名詞などの場合には漢字やカタカナで,特殊な単語や文章の場合はハングルで表記し,日本語のルビをふった。(4)インタビューの際に生じたインタビュアー側の笑いや驚きなどについては,〈 〉で挿入した。
著者
福本 拓
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.83, no.3, pp.288-313, 2010-05-01 (Released:2012-01-31)
参考文献数
45
被引用文献数
6 11

本稿の目的は,東京および大阪における在日外国人のセグリゲーションを国勢調査小地域統計を用いて明らかにし,植民地期の移民とその子孫で構成される「オールドカマー」と,1980年代以降に急増した「ニューカマー」という,渡来時期の違いに着目して分析することにある.本稿ではグローバル指標とローカル指標とを併用することでセグリゲーションの変化を把握する.「ニューカマー」の割合が大きい東京では,セグリゲーションの変化に一貫した傾向は見出せない.一方「オールドカマー」の多い大阪では,「オールドカマー」の社会減を反映しセグリゲーションは低下傾向にあるといえる.東京と大阪を比較すると,特定の町丁字における外国人の増加が新規入国の「ニューカマー」の流入に起因するという点で共通している.外国人の増加は,「ニューカマー」でも入居が容易な民間賃貸マンションの存在とも関連していると推測できる.総じて,両都市におけるセグリゲーションの変動には,「オールドカマー」の存在という歴史的要因および新規入国の「ニューカマー」の流入が大きく寄与している.特に新規入国の「ニューカマー」の動向については,外国人の長期滞在を想定していない日本の出入国管理政策の影響が一定程度あるといえる.
著者
福本 拓
出版者
地理空間学会
雑誌
地理空間 (ISSN:18829872)
巻号頁・発行日
vol.13, no.3, pp.231-251, 2020 (Released:2021-03-16)
参考文献数
32
被引用文献数
1

本稿の目的は,SNS等を基盤にグローバルな展開を見せる韓流ブーム下での,生野コリアタウンの観光地化に伴う変容と,地域活性化への課題を明らかにすることにある。2000年代以降,テイクアウト品や化粧品等の新たな消費嗜好に合わせた店舗が増大し,生野コリアタウンとその周辺では地価上昇や店舗の分布範囲の拡大がみられる。またアンケート調査からは,新たに増加した観光客の行動や意識が同地の歴史的特性や日韓の政治問題とは遊離しているものの,それらへの学習意欲が弱いわけではないことが看取された。既存の商店は,経済的価値の向上という部分では近年の変容を肯定的に捉えているが,多文化共生に資するような社会的価値に対しては,過去や現在の諸種の対立・軋轢により関与が難しい状況がある。しかし,後者もまた地域固有の歴史性としてエスニック・タウンの魅力を構成する一要素であり,地域活性化にとって経済的価値と併せて欠かせないものである。
著者
藤永 壯 伊地知 紀子 高 正子 村上 尚子 福本 拓 金 京子
出版者
大阪産業大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

本研究では、在日済州島出身者へのインタビュー調査や現地踏査を中心に、第2次大戦直後の時期の在阪朝鮮人の生活状況を復元しようとした。インタビューの記録は研究代表者の勤務先の学会誌に掲載中であり、またそのうち一部を翻訳し韓国で単行本として出版した。また研究の成果を、済州4・3平和財団、琉球大学、朝鮮史研究会などの主催する学術会議で報告し、その一部は研究論文として発表している。
著者
福本 拓
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.11, 2003

昨今の世界的な移民の急増は,諸外国の,特に非合法な手段による入国者(=「密入国者」)・滞在者に対して,右翼勢力の台頭といった人種主義や移民排斥等の社会問題を顕在化させた。日本でも,いわゆる「ニューカマー」の増加に伴い,同種の事態が見られるようになってきた。しかし日本の場合,「密入国者」を巡る問題は,近年の来日者のみならず,戦前の植民地期から戦後に至る動向の影響を多大に受けている。それゆえ,戦前・戦後を通じた「密入国者」に対する政策・認識の変遷を,政治・経済・社会情勢を踏まえて歴史的な観点から分析する視点は不可欠といえる。 戦前の「密入国者」は,朝鮮の所轄警察署が発行する「渡航証明書」なしの入国者を指す。彼らを管理したのは内務省で,その「密入国者」に対する認識は,国内の失業問題といった経済的問題の悪化を憂慮するものと,治安維持上の問題を懸念するものとに大別される。これに対し,占領期には正規帰還を除く全ての渡航者が「密入国者」とみなされた。この時期の国内の朝鮮人は法的地位が定まっておらず,「密入国者」に関しても,その対応にはかなりの紆余曲折があった。ただし戦前と異なり,「密入国者」を経済的問題と関連させる認識は見られなかった。 この占領期の混乱状況における政策決定過程を明瞭化することが,「密入国者」への認識や政策の変遷を辿る上で重要である。その際,地方における「密入国者」をめぐる議論に着目したい。というのも,彼らを含む在日朝鮮人関連の諸問題への関心は地域的に偏ったものであったからである。そこで,地方の動向と日本政府・占領政府の「密入国者」管理政策の関連に特に焦点を当てて,その背景にあった政治・社会情勢を踏まえながら「密入国者」に対する政策・認識の変化を考察する。
著者
福本 拓
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2003年 人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
pp.11, 2003 (Released:2003-12-24)

昨今の世界的な移民の急増は,諸外国の,特に非合法な手段による入国者(=「密入国者」)・滞在者に対して,右翼勢力の台頭といった人種主義や移民排斥等の社会問題を顕在化させた。日本でも,いわゆる「ニューカマー」の増加に伴い,同種の事態が見られるようになってきた。しかし日本の場合,「密入国者」を巡る問題は,近年の来日者のみならず,戦前の植民地期から戦後に至る動向の影響を多大に受けている。それゆえ,戦前・戦後を通じた「密入国者」に対する政策・認識の変遷を,政治・経済・社会情勢を踏まえて歴史的な観点から分析する視点は不可欠といえる。 戦前の「密入国者」は,朝鮮の所轄警察署が発行する「渡航証明書」なしの入国者を指す。彼らを管理したのは内務省で,その「密入国者」に対する認識は,国内の失業問題といった経済的問題の悪化を憂慮するものと,治安維持上の問題を懸念するものとに大別される。これに対し,占領期には正規帰還を除く全ての渡航者が「密入国者」とみなされた。この時期の国内の朝鮮人は法的地位が定まっておらず,「密入国者」に関しても,その対応にはかなりの紆余曲折があった。ただし戦前と異なり,「密入国者」を経済的問題と関連させる認識は見られなかった。 この占領期の混乱状況における政策決定過程を明瞭化することが,「密入国者」への認識や政策の変遷を辿る上で重要である。その際,地方における「密入国者」をめぐる議論に着目したい。というのも,彼らを含む在日朝鮮人関連の諸問題への関心は地域的に偏ったものであったからである。そこで,地方の動向と日本政府・占領政府の「密入国者」管理政策の関連に特に焦点を当てて,その背景にあった政治・社会情勢を踏まえながら「密入国者」に対する政策・認識の変化を考察する。
著者
福本 拓
出版者
地理空間学会
雑誌
地理空間 (ISSN:18829872)
巻号頁・発行日
vol.8, no.2, pp.197-217, 2015 (Released:2018-04-04)
被引用文献数
3

本稿の目的は,大阪市生野区の今里新地を事例に,花街として栄えた地域がエスニック空間へと変容する過程を解明し,その含意を考察することにある。分析に際しては,在日朝鮮人による土地取得とその後の韓国クラブの集中経緯に着目し,①資本の由来,②建造環境の変容,③人口移動との関係,④既存住民との接点,の4 つの観点から検討した。1960 年代以降,花街の関係者から在日朝鮮人への土地移転が進み,特にバブル期以降は賃貸マンションに加えスナックビルも建設され,「ニューカマー」の経営する韓国クラブが急増した。その背景には,花街の衰退のほか,バブル期以前に形成された在日朝鮮人の遊興空間へのニーズ,そして韓国から移入された労働者が居住しうる住宅の存在があった。また,在日朝鮮人の土地取得過程では,エスニック・ネットワークを介した土地取引があり,民族金融機関による融資も一定の役割を果たしていたことを指摘できる。
著者
福本 拓
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 = Geographical review of Japan (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.83, no.3, pp.288-313, 2010-05-01
参考文献数
45
被引用文献数
11

本稿の目的は,東京および大阪における在日外国人のセグリゲーションを国勢調査小地域統計を用いて明らかにし,植民地期の移民とその子孫で構成される「オールドカマー」と,1980年代以降に急増した「ニューカマー」という,渡来時期の違いに着目して分析することにある.本稿ではグローバル指標とローカル指標とを併用することでセグリゲーションの変化を把握する.「ニューカマー」の割合が大きい東京では,セグリゲーションの変化に一貫した傾向は見出せない.一方「オールドカマー」の多い大阪では,「オールドカマー」の社会減を反映しセグリゲーションは低下傾向にあるといえる.東京と大阪を比較すると,特定の町丁字における外国人の増加が新規入国の「ニューカマー」の流入に起因するという点で共通している.外国人の増加は,「ニューカマー」でも入居が容易な民間賃貸マンションの存在とも関連していると推測できる.総じて,両都市におけるセグリゲーションの変動には,「オールドカマー」の存在という歴史的要因および新規入国の「ニューカマー」の流入が大きく寄与している.特に新規入国の「ニューカマー」の動向については,外国人の長期滞在を想定していない日本の出入国管理政策の影響が一定程度あるといえる.
著者
福本 拓 藤本 久司 江成 幸 長尾 直洋
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.88, no.4, pp.341-362, 2015-07-01 (Released:2019-10-05)
参考文献数
42
被引用文献数
1

本稿では,三重県四日市市を事例に,日本人住民の外国人受入れ意識について,地域内の住民構成や両者の接触などの要因に加え,ブラジル人の集住する郊外空間の変容との関連を明らかにするために,新たに集合的消費の観点を加味した分析を行った.これらの要因を比較検討する意味で,住居種別(一戸建て・UR住宅・県営住宅)間の差異に着目して検討した結果,外国人増加への認識や受入れの方向性について住宅種別間の差異は見出せなかった.しかし,ブラジル人に関連して問題視される具体的内容をみると,UR・県営では日常生活に関わる項目が中心であった一方,一戸建てでは過去の良好なコミュニティ像との対比から,特に教育環境の変化に焦点が当てられていた.これらの結果から,ブラジル人の存在が問題化される背景には,日常生活上の軋轢だけでなく,再生産される労働力の質に関わる,郊外空間における集合的消費の変質があることを指摘した.
著者
藤永 壯 高 正子 伊地知 紀子 鄭 雅英 皇甫 佳英 高村 竜平 村上 尚子 福本 拓 塚原 理夢 李 陽子 フジナガ タケシ イジチ ノリコ タカムラ リョウヘイ ムラカミ ナオコ フクモト タク ツカハラ リム / Takeshi FUJINAGA Jeongja KO Noriko IJICHI Ahyoung CHUNG Kayoung HWANGBO Ryohei TAKAMURA Naoko MURAKAMI Taku FUKUMOTO Rimu TSUKAHARA Yangja LEE
雑誌
大阪産業大学論集. 人文科学編
巻号頁・発行日
vol.122, pp.99-123, 2007-06

本稿は,在日の済州島出身者の方に,解放直後の生活体験を伺うインタビュー調査の第4回報告である。かつて私たちは3回分の調査報告を『大阪産業大学論集 人文科学編』第102~105号(2000年10月,2001年2月,6月,10月)に掲載したが,メンバーの就職,留学などの事情でしばらく活動を中断していた。その後,2005年より新しいメンバーを加えて調査を再開させることができ,その最初の成果が本稿ということになる。なおこの調査の目的や方法などは,「解放直後・在日済州島出身者の生活史調査(1・上)」前掲『大阪産業大学論集 人文科学編』第102号,に掲載しているので,ご参照いただきたい。今回の記録は,東大阪市在住の李健三さん(仮名)のお話をまとめたものである。李さんは1937年,大阪市のお生まれだが,ご両親は,韓国・済州道済州市朝天邑新村里(現行の行政地名)のご出身である。また,インタビューには妻の張玉蓮さんが同席してくださった。張さんは1934年,済州道済州市禾北洞(現行の行政地名)のお生まれである。(済州道は2006年7月1日より「済州特別自治道」となり,北済州郡は済州市に,また南済州郡は西帰浦市に統合された。したがって現行の行政地名は,前3回の調査報告時から変更されている場合がある。)インタビューは2006年4月29日,東大阪市の李さんのご自宅で,藤永壯・高正子・伊地知紀子・鄭雅英・皇甫佳英・高村竜平・福本拓・塚原理夢の8名が聞き手となって実施し,これに村上尚子が加わって,テープ起こしと第1次編集をおこなった。李さん,張さんに第1次編集原稿をチェックしていただき,テープ起こしに際しての不明箇所を確認するため,2007年2月19日,藤永が再度李さん宅を訪問した。鄭と伊地知が全体の整理と校正,村上と藤永が用語解説,鄭と高がルビ校正,福本が参考地図の作成,藤永が最終チェックを担当した。なお李さん,張さんご夫妻の三女・李陽子さんには,インタビューに同席していただき,確認作業でも多大なご協力をいただいたため,記録者の一員としてお名前を掲載させていただくことにした。以下,凡例的事項を箇条書きにしておく。(1)本文中,文脈からの推測が難しくて誤解が発生しそうな場合や,補助的な解説が必要な場合は,[ ]で説明を挿入した。(2)とくに重要な歴史用語などには初出の際*を付し,本文の終わりに解説を載せた。なお前3回の調査報告からかなり時日が経過しているため,今回は以前掲載した用語も再掲することとした。(3)朝鮮語で語られた言葉は,一般的な単語や固有名詞などの場合には漢字やカタカナで,特殊な単語や文章の場合はハングルで表記し,日本語のルビをふった。(4)インタビューの際に生じたインタビュアー側の笑いや驚きなどについては,〈 〉で挿入した。
著者
福本 拓
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.197, 2014 (Released:2014-10-01)

Ⅰ はじめに 一般的に,特定の地域におけるエスニック・コンフリクトの表出は,文化的に異なる集団の増加に伴って既存集団との間で生じる社会生活上の軋轢と理解されよう。しかし,そうした軋轢や対立は,必ずしも集団間という位相でのみ捉えられるわけではない。住民の社会属性のほか,エスニック集団内部の差異にも目を向けなければ,コンフリクトの持つ重層性を看過することになろう。また,分析・考察に際しては,それらと密接に関連する地域的要因への着目も求められる。 日本における「ニューカマー」の増加とともに,地域スケールでの既存住民(主に日本人)との軋轢が話題になってきたが,韓国系「ニューカマー」に関しては,「オールドカマー」である在日朝鮮人との関係形成にも注意する必要がある。実際,東京都新宿区の新大久保や大阪市生野区のコリアタウンでは,日本人よりもむしろコリアン内部での対立が表面化しつつあるといわれる。 本発表では,同様の研究では蓄積の乏しい大阪市生野区新今里地区を事例に,コンフリクトの背景にある地域の変化に焦点を当て,その過程で「オールドカマー」が果たした役割を特に土地取得の観点から明らかにする。その上で,エスニック資源が果たした機能についても検討したい。Ⅱ 対象地域の概要 新今里地区は,在日朝鮮人の多い大阪市生野区にあって「ニューカマー」の比率が高いことで知られる。なかでも,かつて「花街」として隆盛を誇った今里新地には,韓国クラブ等の飲食店が集中してエスニックな景観が見られる。 しかし,少なくとも1980年代前半までの新今里地区は,生野区において外国人数の僅少な「空白地帯」であり,『在日韓国人企業名鑑』(1974)から確認しても在日朝鮮人の事業所はあまり見当たらない。従って,コンフリクトの背景にある「ニューカマー」の増加を理解するためには,同地区が「花街」からエスニック空間へと変容した過程を検討する必要がある。 既に加藤(2008)が明らかにしているように,今里新地は1958年の売春防止法を契機に待合営業への転換を余儀なくされ,次第に斜陽化していった。その後,バブル期に待合の廃業と売却が相次ぎ,スナック・クラブの入居するビルや中層マンションが建設されたという。こうした経緯をふまえると,分析上,バブル期に相当する1990年前後に注目することが適当と考える。Ⅲ 用いるデータ 本研究では,1980年~現代に相当する時期に焦点を当て,新今里地区の変容を特に土地・建物所有に着目して分析する。住宅地図のほか,土地・建物登記データを用いてビル・マンションの増加過程と所有者のエスニシティを明らかにする。 登記データは,抵当に関する情報も含まれており,そこから民族金融機関の役割を看取することもできる。なお,その有用性については,拙稿(2013)を参照されたい。 これらのデータに加え,在日朝鮮人の事業所に関する名鑑や,地元関係者への聞き取り調査結果なども適宜用いる。Ⅳ エスニック空間への変容 待合営業に供された低層の住宅は,バブル期以前から減少傾向にあったものの,商業ビルが急速に増加したのは1990年以降である。その背景には「オールドカマー」による旺盛な土地取得があった点が指摘できるが,それ以外にも,かつて「花街」であったために都市計画法の用途地域規制に該当せず,風営法に基づくクラブ営業が可能だったことも影響している。また,韓国クラブの増加に伴い,訪れる客層がそれまでの「花街」のそれとは異なっており,このことが商業ビルやマンションへの転換がさらに進む一因にもなったと考えられる。もちろん,「ニューカマー」韓国人の急増は,韓国の海外渡航自由化に起因している点も見逃せない。 さらに,新今里地区では,ワンルームマンションの増加が果たした役割にも目を向ける必要がある。「ニューカマー」の住宅ニーズを満たしたほか,この地区で顕著な単身高齢者の増加とも関連している。このような住民構成の変化は,既存住民がコンフリクトと感じている状況を考察する上でも重要である。
著者
福本 拓
出版者
The Human Geographical Society of Japan
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.154-169, 2004-04-28 (Released:2009-04-28)
参考文献数
79
被引用文献数
1 5

This paper analyzes the residential concentrations of Korean people in Osaka city and its changes from the end of the 1920s to the beginning of the 1950s. The statistical data and documents on Korean people in the city and their living conditions were obtained from the National Census, Police Survey and local administrative researches. Korean concentrations changed spatially and socially, and the economical and historical factors associated with these changes can be described as follows:(1) The formation of Korean concentrations during the 1920s.Since the beginning of the 1920s, a great number of Korean people migrated into Osaka city, and most of them were composed of single male workers. During this period, three concentrations were formed: (a) the southeastern ward, which was the biggest concentration of Korean workers who were employed in small factories; (b) the southwestern ward, where industrial, constructional, and odd-job workers were dominant, and (c) the ward south of the Yodo River, where most Koreans worked at medium-size glass and textile factories.(2) The expansion of the Korean concentrations during the 1930s to the end of World War II.During this period, the Korean population increased rapidly and was four times larger than it was at the end of the 1920s. Newly-arriving Korean people tended to settle into already-established Korean concentrations and surrounding areas. The actual Korean population distribution pattern and its occupational characteristics did not change. On the other hand, social differentiation within Korean communities became distinctive during this period. The most important development was that a few Korean entrepreneurs managed to establish their own businesses in the southeastern and southwestern concentrations.(3) The disappearance and remnants of the Korean concentrations in the US occupation period (1945-52).Shortly after World War II, many Korean people left Japan for their mother country. The number of Koreans in Osaka drastically and quickly decreased. Because most of the wards in central Osaka had been seriously damaged by the US forces' air attacks in WWII, the Koreans in those destroyed districts lost everything and had no reason to continue their residence in Japan. This situation resulted in the disappearance of the concentration on the south side of the Yodo River. On the other hand, the other Korean concentrations survived in the southwestern and southeastern areas due to less destruction from the air attacks. Fortunately, many Koreans in these areas did not lose their residences and workplaces. Moreover, Koreans who owned a property found it difficult to return to their home country because Korean repatriates were permitted to carry back only a limited amount of money and goods with them. In the remaining concentrations, most Koreans who owned their own business chose to stay in Osaka.Based on the above analyses, the following concluding remarks can be made: (a) Since the establishment of the Korean population concentrations in these three areas, local industrial activities were a major influential factor in determining the employment status of the Korean population; (b) During the US occupation period, residents whose homes were destroyed by the bombing in WWII tended to leave Osaka and their concentrations disappeared. The Korean people who were business-owners and who lived in the less-damaged areas remained in Osaka. Consequently, the southeastern and southwestern Korean concentrations still exist even until today.
著者
福本 拓 蘭 哲郎 氏原 理恵子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100096, 2013 (Released:2014-03-14)

Ⅰ はじめに外国人人口の急減は,「多文化共生」施策の実現だけでなく,とりわけ人口減少の進む地方都市を考えた場合,持続的な地域発展という点でも問題といえる。その意味では,むしろ「定住」を政策目標とするような方向性が求められよう。そこで本発表では,特に就業形態の側面に着目し,「定住」を促進/阻害する要因について検討する。Ⅱ 飯田市の概況とアンケート調査の概要飯田市の外国人登録人口は2,313人(2012年6月末)で,総人口の2.3%を占める。同市は,「外国人集住都市会議」の参加自治体であるが,他市とは異なり「中国」籍の割合が高い(約48%)という特徴を有しており,「中国」籍の一定割合をいわゆる中国帰国者が占める。その他,機械工業での派遣労働に従事するブラジル人,女性の比率が8割を超えるフィリピン人(日本人の配偶者が多い)がこれに次ぐエスニック集団を構成している。 本研究では,住民基本台帳を元に,同市に在住する20歳以上の外国人全てを対象としたアンケート調査を実施した。郵送による配布・回収の結果,配布数1,727通に対し回収数477通(回収率27.6%)であった。このうち,分析対象は,特別永住者が多数を占める「韓国・朝鮮」を除く453通である。本研究では,「定住」の代用指標として,特に「現在よりも良い仕事が見つかった場合に他地域へ引っ越すか」という設問の回答に着目する。Ⅲ 調査結果の概要(1)飯田市来住の経緯:「飯田市へ来た理由」について尋ねたところ,「家族との同居」が60.0%,「本人・家族の仕事」が32.7%と前者の割合が高い。この違いは,特に国籍別に顕著に表れており,中国人・フィリピン人で前者が,ブラジル人では後者の割合が高くなっている。中国人の32.5%は「祖父母または父母に日本人がいる」と回答しており,「帰国」が重要な契機になっている。また,フィリピン人は,日本人との結婚の多さが大きく影響している。(2)就業形態:既存研究において,派遣労働の不安定さが度々指摘されてきた。飯田市で実施したヒアリングでは,短期(数ヶ月)の仕事に不定期に従事する者が一定数いるという情報を得た。実際,労働力人口に該当する334人のうち,1年を通じ1箇所で就業した者は180人(53.9%)と過半数程度にとどまる。パート・アルバイトを除いても,不安定な就業形態の者が多いといえる。(3)他地域への引っ越し意志との関連:こうした就業形態が,外国人の「定住」に及ぼす影響を把握するため,二項ロジスティック回帰分析を用いた統計解析を行った(従属変数は,4区分の回答を,「引っ越す(1)」「引っ越さない(0)」の2値に割り当て)。性別・年齢階層・滞日年数・子ども有無の各変数で統制したところ,就業形態のうち,「派遣労働」が5%水準で有意なカテゴリーとして析出された一方(その他,年齢(50代以上)が5%水準,子どもの有無が1%水準で有意),飯田市移住のきっかけは有意な変数とならなかった。この結果については,国籍(4区分)変数を加えてもほとんど変化が見られなかった。従って「派遣労働」形態は,移住のきっかけの影響を統制してもなお,外国人の「定住」にとってマイナス要因になっているといえる。Ⅳ まとめ 「定住」については,就業形態以外にも,コミュニティの形成や地域社会との関係,セーフティネット等の関連が予測される。就業形態の安定化はもちろん不可欠だが,今後の分析課題として,不安定な状況下で居住を継続可能にする諸要因の検討が求められる。