著者
藪内 聡子
出版者
Japanese Association of Indian and Buddhist Studies
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.1136-1139, 2007-03-25 (Released:2010-03-09)
参考文献数
4

ポロンナルワ時代, スリランカ史上最大の英雄と称される Parakkamabahu I 世 (1153-1186 A. D.) は, それまで Mahavihara, Abhayagiri, Jetavana の三派に分かれていたスリランカのサンガに対して, Mahavihara 派の受戒のみを承認してサンガの統一を断行したが, それが可能であったのは, アヌラーダプラ時代に遡り, 政治的概念として菩薩王思想が受容されて浸透したからであることが, 史書や碑文資料により認められる.菩薩王思想は, アヌラーダプラ時代初期については Abhayagiri 派と関連して発展したが, アヌラーダプラ時代中期以降は派とは関係なく独自に進展を遂げ, 政治的イデオロギーとして, 王の存在を限りなく仏陀に近い存在にし, 王権の正当性を強化して, サンガに対する行使力増大に寄与した. ポロンナルワ時代には, 南インドからの侵略のために, ことに王は軍事的頂点の存在として英雄性が重視されるが, 菩薩王思想は英雄性と混在し, サンガ統一により Mahavihara 派のみが存在するようになった後も, イデオロギー化して Mahavihara 派と同化して存続することになる.
著者
天野 由記 南條 功 村上 裕晃 藪内 聡 横田 秀晴 佐々木 祥人 岩月 輝希
出版者
公益社団法人 日本地下水学会
雑誌
地下水学会誌 (ISSN:09134182)
巻号頁・発行日
vol.54, no.4, pp.207-228, 2012 (Released:2012-12-14)
参考文献数
43
被引用文献数
1 3

北海道幌延町において,堆積岩を対象とした深地層の研究施設を利用して,地上からの地球化学調査技術の妥当性を検証した。また,地下施設建設が周辺の地球化学状態に及ぼす影響について考察した。地上からのボーリング調査について,調査数量と水質深度分布の予測向上の関係を整理した結果,3本程度の基本ボーリング調査と断層・割れ目帯など高透水性の水理地質構造を対象とした追加ボーリング調査により,数キロメータースケールの調査解析断面の水質分布について不確実性も含めて評価できることが明らかになった。地下施設建設に伴う地下水の塩分濃度,pH,酸化還元状態の擾乱を観察した結果,一部の高透水性地質構造の周辺において,地下坑道への湧水による水圧や塩分濃度の変化が確認された。この変化量は事前の予測解析結果と整合的であった。これらの成果は,他の堆積岩地域における地上からのボーリング調査や地下施設建設時の地球化学調査の計画監理にも参照可能と考えられる。
著者
藪内 聡子
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.1202-1207, 2008-03-25

アヌラーダプラ時代後期,Mahjnda V(982-1029)の治世下においてスリランカ北部はチョーラの侵略によりその占領下に入ったが,Vijayabahu I(1055-1110)はチョーラ軍を駆逐し,ポロンナルワから即位してシーハラ政権を奪回した.史書Culavamsaによれば,チョーラの侵略時には寺院が主たる略奪の対象となり,Vijyabahu Iはこの戦いにおいてダミラ人を根絶したと伝承されるが,この伝承に反してポロンナルワ時代以降もダミラ人は島内に残留していたことが種々の碑文の記録により確認される.また首都ポロンナルワにおいて,ポロンナルワ時代のものと推定される神像,南インド様式の天祠の痕跡も発掘され,ダミラ人との激しい戦闘ののちにも,ダミラ人の宗教に関してシーハラ王は寛容的であったとみられる.シーハラ王Vijayabahu Iとチョーラとの戦闘は,チョーラ軍との戦いであり,民族としてのダミラ人に対する戦いではなかったといえよう.スリランカの王は,仏教を守護し,かつ絶対に勝利をおさめる英雄たるシーハラ人でなければならないという編纂者の意図のために,ダミラ人に対するシーハラ人の優位性に関する誇張表現が史書には存在する可能性に留意すべきである.