著者
水野 翔大 瀬尾 雄樹 西山 亮 亀山 哲章 秋山 芳伸
出版者
日本腹部救急医学会
雑誌
日本腹部救急医学会雑誌 (ISSN:13402242)
巻号頁・発行日
vol.39, no.1, pp.069-072, 2019-01-31 (Released:2020-03-24)
参考文献数
4

症例は76歳,男性。46歳時に統合失調症を発症し,長期間精神科病院に入院中であった。下腹部痛を訴え,腹部CTでS状結腸を閉塞機転とする大腸閉塞,多発肝転移の所見を認めたため精査加療目的に当院転院搬送された。経肛門イレウス管の挿入を試みたが,ガイドワイヤーが穿孔したために緊急手術をすすめた。しかし本人が手術を拒否したため,保存的に経過観察した。その10日後に一転し手術希望があったため,横行結腸人工肛門造設術を施行した。術後2日目の夜間,人工肛門を自身で牽引し,横行結腸が腸間膜ごと脱出している状態になったため,緊急で人工肛門再造設術を施行した。精神疾患合併患者の術後管理において当院ではさまざまな工夫をしているが,人工肛門の自己抜去という想定外の事象を経験した。精神疾患合併患者の術後管理においては人工肛門も自己抜去の対象となりうることを念頭に置く必要があることが示唆された。
著者
西山 亮介
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.36, pp.192-228, 2021-07-31

平安時代の僧浄蔵は三善清行の子で多様な霊験譚を持つ。歴博本は従来未検討の浄蔵伝であり、本稿はこれを紹介、検討するものである。奥書によれば、歴博本は長暦三年(一〇三九)に僧慶深が書写した「浄法寺一切経見定目録」の紙背にあった浄蔵伝を、幕末期に国学者谷森善臣が書写したものという。本稿では、奥書にいう「僧慶深」や「浄法寺一切経」について検討を加え、特定の可能性を示した。また、他の浄蔵伝と比較することで、次の三つの特色を明らかにした。一、歴博本は、他の伝と酷似する部分を持つ。二、歴博本には複数の明らかな誤脱が存する。三、歴博本によって他の伝を校訂できる箇所がある。最後に、歴博本の影印及び翻刻を掲げる。
著者
神 雄太 西山 亮 小金井 雄太 木村 大輝 青山 純也 中野 容 今井 俊一 下河原 達也 山田 暢 江川 智久
出版者
一般社団法人 日本肝臓学会
雑誌
肝臓 (ISSN:04514203)
巻号頁・発行日
vol.64, no.12, pp.641-648, 2023-12-01 (Released:2023-12-11)
参考文献数
25

50代男性.未治療B型慢性肝炎の既往があり,人間ドックで肝腫瘤を指摘され,精査の結果肝細胞癌(Hepatocellular carcinoma:HCC)の診断に至った.病変はS8に2カ所あり,開腹肝前区域切除を行い,病理組織診断でvp2を認めた.術後2カ月で施行した造影CT検査で門脈左枝に門脈腫瘍栓(Portal vein tumor thrombosis:PVTT)を認めた.術後早期再発したPVTTであり再肝切除後の再発のリスクが高いと考え,観察期間を設けるためLenvatinib(LEN)投与を開始した.PVTTは放射線定位照射したが,術後9カ月に肝右葉微小転移が指摘された.LEN投与下にPVTTと微小転移は増悪を認めず,AFP値が正常化したため,再発後11カ月で再肝切除を行った.その後,微小転移に対してサイバーナイフを施行し完全寛解した.現在,初回術後43カ月無再発生存中である.
著者
西山 亮
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.60, no.3, pp.1237-1241, 2012-03-25

釈尊もしくは初期の仏教は,インド社会を現代にいたるまで特徴づけている階級差別を批判し,バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラという四姓が平等であることを主張したと伝えられている.その平等論は多くの研究者によって紹介され,そして仏教思想の優れた点として人々に賞賛されてきた.しかし,J. W. de Jong氏("Buddhism and the Equality of the Four Castes," 1988)やDonald S. Lopez Jr.氏(Buddhism & Science, 2008)などの幾人かの研究者によって,八世紀前半に活躍したと考えられている中観派の学匠アヴァローキタヴラタの著書Prajnapradapa-takaの中に,釈尊が説いた四姓の平等に反するような記述がみられることが指摘されている.実際そのテキストにおいて異教徒の典籍であるManusmrtiの一節が引用され,その内容はシュードラに対する差別であることが確認できる.これまでの研究者はみな一様に,このようなManusmrtiの一節をアヴァローキタヴラタが自説の教証として肯定的に引用し,そして四姓の差別を容認していると考えているのである.しかし,当該箇所をよく吟味すると,かれはむしろ伝統にのっとり四姓の差別を批判しているように読みとることができるのである.テキストを読み解く際の鍵となるのは「dbri bkol」というあまり用例の見られないチベットのことばである.