著者
鈴木 勝 新国 俊彦 谷津 三雄 鈴木 邦夫
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.51-54, 1973-08-10

「よはひ草」は昭和2年ライオン歯磨本舗が「歯展」を東京,大阪,名古屋などで開いた時の資料をもととして編集され,昭和3年〜6年までの3年間に計6冊が刊行された.本書は歯に関する古医書の考証から文献の出典や記録又,伝説,迷信から揚枝,歯磨,意匠,染黒歯など,歯学史上のみならず文学,風俗学,人類学など歯に関する極めて重要な文献資料の大集成である.第1輯の凡例に「文献は最初原稿を作った時,多く手近なものから始めたので,孫引もあったが,校正の際はでき得る限り原本とつき合はして,努めて原文通りにした」とあり,又,第2輯の凡例に「本輯に於ても前輯通り,総て原形を尊重して置いた」又第3輯に「よはひ草は,あくまでも生のままの原料である.之を活かすも,むだにするのも,扱ふ人の腕次第,心次第である」又第4輯に「よはひ草第1輯を出してから年を亘っただけに,文献の如きは多く原本に就てつき合はすことができるやうになったが,それでも尚一二の孫引がある.これは今後とてもなくすことはできないであろう」と記し,第5輯に「歯に関する文献資料は決して古今東西を網羅したといふではないが,普通の人の考へつく範囲のものは略収めたつもりである.これより以上の蒐集は寧ろそれを欲する人かぎりの仕事ではあるまいか」又「読者諸君は之に拠って,より有益なる,より有趣味なる論文なり随筆なりを羸ち得られたり,また之に拠って,種々なる発見思付を示されたり,それが篇者発行者の最初より最後まで熱望して巳まない所である」と結んである.そこで,今回の復刊を機に,本書に集録されている文献を,日大松戸歯科大学資料館に蔵する原本と比較し2,3の検討を加えてみたので報告する.
著者
米長 悦也 渋谷 鉱 石橋 肇 谷津 三雄
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.14, no.4, pp.294-300, 1988-08-25

遠山椿吉氏主管の東京顕微鏡院発行の雑誌「顕微鏡」第1号から第50号までの中から,東京歯科医学院を中心とした歯科に関する記載について摘録した.歯科に関する記載は,明治29年6月発行の雑誌「顕微鏡」第11号から明治35年3月発行の第46号までに認められた.特に,東京歯科医学院の院外生のための「歯科講義録」第1号は,明治33年3月25日に発行されたものであり,しかもその広告が5日後に発行された雑誌「顕微鏡」第33号,第34号合巻に掲載されたことから東京歯科医学院と東京顕微鏡院の両者間に互いに利益をもたらしたものと思われた.さらに雑誌「顕微鏡」第38号に掲載された東京顕微鏡院の講堂の写真と,第35号に掲載された東京歯科医学院の卒業式の記事とを合わせ考えると,東京歯科医学院の第1回の卒業式が,この写真の講堂で明治33年4月21日に行われたものと考えられ,顕微鏡雑誌局発行の雑誌「顕微鏡」は,東京歯科大学史上貴重な資料を提供する雑誌である.
著者
"鈴木 勝 新国 俊彦 谷津 三雄 鈴木 邦夫"
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.29-33, 1973

"日本歯科医師会編「歯科医事衛生史」前巻(昭和15年10月刊)93ページ(註)に『初期に於ては歯科専門の出版書なく,伊沢道盛の「固齢革」,伊沢が松川修に託して訳させた「タフト歯科治術学」メレデイス「歯科治術学並に桐村克己が師説を奉じて著した「歯の養生」,高山紀斉の「保歯新論」等であって,明治22年に至って,小幡門下の客員たりし小林義直の訳した「パライト歯科提要「等が,金科玉条として尊重された.其以前の門下生は師の小幡,先輩桐村克己のノートブックを借覧して学んだのである』と記され,又同誌546ページの歯科図書に『歯科提要(上,下)小林義直,明治22年12月刊パライトの著書を訳述したもので原著の意を伝へて秩序正しく,訳筆之に適し,当時有数の著述で大に歯科学生に稗益した』と記し,小林義直著歯科提要を高く評価しながらも,小林義直の人物史については全くふれていない,そこで井上角五郎編「小林先生小伝」明治39年6月の小冊子(15×22cm p.24 長谷川泰,石黒忠悳両氏の序文あり)を参考史料とし,その人物史について述べ更にその訳(著)書につき2・3の解題を試み,歯学史の一端としたいと思う."
著者
谷津 三雄 池田 直 大竹 繁雄
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.23-25, 1975-05-24

昭和20年3月10日は東京大空襲で江東地区全滅,23万戸焼失,ついで14日は大阪の大空襲により市の中心部13万戸焼失,4月1日米軍沖縄に上陸,5月4日ベルリン陥落,8日ドイツ無条件降伏,ついで8月15日日本も降伏,国民生活は混乱と虚脱におちいり,極度の窮乏生活のもとにあえぐ,従って終戦前後の項に出版された医学書,歯学書はその発行部数も少ないうえ,当時燃料に使用したりして残部が少なく,むしろ今日では稀観本として価値がある.そこで,少なくとも昭和20年と同21年に出版された医学書について中野操著,増補日本医事大年表よりしらべると次の如くである.昭和20年は服部敏良:奈良時代医学の研究の一冊のみ,昭和21年は沢瀉久敬:医学概論,大鳥蘭三郎:明治の医学,中里竜暎:日本看護史,森於菟:解剖刀を執りて,大田正雄:日本の医学,杉靖三郎:科学のふるさと,永井隆:長崎の鐘の七冊である.これらと私達の蔵本から終戦前後に出版された医学書について特に序より考証を試みる.
著者
谷津 三雄
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.33-35, 1976-07-20
著者
谷津 三雄 渋谷 鉱 石橋 肇 今田 喬士
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.17, no.3, pp.152-157, 1991-05-25

歯科医師手帳(1991年版)便覧の日本歯科医学会・関係学会一覧(90.10.20調査)をみると学会の連絡事務所が口腔保健協会内になっているものが,歯科基礎医学会,日本歯科保存学会,日本補綴歯科学会,日本口腔外科学会,日本矯正歯科学会,日本口腔衛生学会,日本歯科理工学会,日本小児歯科学会,日本歯周病学会,日本歯科麻酔学会,日本歯科医療管理学会,日本口腔インプラント学会,日本顎咬合学会,日本歯内療法協会,日本歯科医学教育学会,日本歯科心身医学会,日本歯科技工学会,全国歯科衛生士教育協議会などの多くの学会名がみられる.そこでこの財団法人口腔保健協会がいかなる目的で設立されたかを知ることも日本歯科医学史上重要と思われる.そこで,雑誌「口腔保健」第1号を参考資料とし,財団法人口腔保健協会寄付行為について調査したので報告する.
著者
谷津 三雄 弓削 朝子 坂本 嘉久 金子 守男
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.15, no.3, pp.250-255, 1989-03-20
被引用文献数
1

連合軍から昭和21年4月15日に歯科教育審議会の設置を指示された.それにもとづき決定された「昭和22年歯科教育審議会に於いて決定せる教授要綱」を資料とし,戦後の日本歯科教育を運命づけた「標準学科課程」の別表を中心に述べた.
著者
鈴木 勝 新国 俊彦 谷津 三雄
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.10-13, 1975-05-24

明治21 (1888)年榎本積一は修学時代から各門派にかかわらず同学の士を叫合し,相集り談論を交し知見の発展を計ることを目的とし「歯科談話会」を設立した.この門戸開放したことが当時新進気鋭の青年歯科医師や学生に広くうけ,また榎本が明治22年10月医術開業試験に合格し,翌23年11月に開業したこともあって,更に発展し,その目的に学術研究を含めるようになり,明治23(1890)年11月23日に「歯科研究会」と改称,翌24年1月から130名の会員の機関誌として「歯科研究会録事」を発行した,これがわが国における最初の歯科雑誌である.同誌は明治24年8月の第8号より「歯科研究会月報」と改称し更に継続発行したが,同28年6月の総会で会名を「歯科学会」と改めたことから,「歯科研究会月報」も第54号より「歯科学会月報」と改称した,明治32年3月,榎本の辞任につれて青山松次郎が会長となり継続した.しかし同33年青山が会津若松に引退したので,荒木盛英が続いて会務をとったが同34年5月故あって休会し遂に自然解散となるにつれ「歯科学会月報」も同34年12月23日発行の第110号で自然廃刊になった.ところが,このわが国最初の歯科雑誌である「歯科研究会録事」についての研究は少ないので.この「歯科研究会録事」を中心に若干の考証を試みたい.
著者
谷津 三雄 山口 秀紀 落合 俊輔 吉井 秀鑄 石橋 肇 渋谷 鉱 馬渡 亮司 坂本 嘉久 吉田 直人 吉村 宅弘 米長 悦也
出版者
日本大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1988

「東西医学融合」の観点から歯、顎、口腔領域における東洋医学療法の基的的並びに臨床的研究を行うことを目的として本研究を企図し、次に述べる項目について検討を加えた。1.基礎的研究(1)脳波から見た鍼灸の効果・針刺激は大脳皮貭の広範囲な部位に作用しB波帯域の減衰と日波およびの波帯域が増大することから、針刺激は心身のリラックスと精神の集中効果が期待される。また、効果時間は比較的早く出現(10〜15分)することも確認できた。(2)針麻酔の効果判定に関する研究:パルス(低周波)通電器の最適刺激量,低周波通電時と笑気吸入鎮静法の鎮痛効果の比較,ソフトレ-ザ-の疼痛閾値へ及ぼす影響ならびにその効果についてサ-モグラフィを用いて観察した。その結果、パルス通電量には「通刺激」量のあること、通電針麻酔と10%笑気吸入との併用は20%笑気吸入鎮静法と同程度の鎮痛効果のあることがわかった。また、ソフトレ-ザ-の照射は断続照射よりも連続照射が効果があり、一側の合谷の照射は反対側の合谷の皮膚温をも上昇させ経絡現象の一端を思わせた。2.臨床的研究(1)咬合異常関連疾患への鍼灸療法の応用(2)全身麻酔後の咽喉頭障害への応用(3)歯科領域への鍼灸および漢方療法の応用について研究した。(1)については貭問紙法による「愁訴」の改善効果と顎関節痛と開口障害の改善が著明であった。(2)において「嗄声」への著効を示した。(3)の項目では、急性開口障帰,特発性三又神経痛、アフタ性口内炎に対する刺絡療法,葛根湯の効果,針麻酔による下顎骨骨折の治療,咽吐反射の抑制などに応用しその効果が確認された。
著者
山口 秀紀 渋谷 鉱 谷津 三雄
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.27, no.3, pp.146-151, 2008-04-10

日本歯科医学会編「日本歯科医学会沿革概要」を参考資料とし,大正期における日本歯科医学会総会の内容について紹介した.本冊子は日本歯科医学会20周年記念祝典に配布された小冊子であり,明治33年に日本歯科医学会総会設立が議決された記述から始まり,大正11年第20年総会までの期間における史実が残されている.内容は主に歴代役職者および宿題報告担当者とそのテーマについて記載されており,明治41年から中断されていた宿題報告が大正2年から復活していることを知る.また日本医学会への加入についての記載からは,大正期における本邦における各歯科団体間の紛糾した状況を知ることが出来る.