著者
竹原 直道
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.26, no.3, pp.166-180, 2006-03-30
参考文献数
27

大徳寺真珠庵本「百鬼夜行絵巻」に描かれた妖怪図像の分析を行い,以下の結論を得た.1.妖怪であることを強調するため,口腔に関係する象徴表現すなわち,開口,舌出し,牙などが多用され,効果をあげていた.2.「百鬼夜行絵巻」は,付喪神の祭礼行列図といわれてきたが,器物の妖怪の出現頻度はむしろ低かった,一方構図的には,賀茂祭を描いた諸図との共通性が高く,賀茂祭図のパロディであると思われた.
著者
加來,洋子
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌
巻号頁・発行日
vol.26, no.3, 2006-03-30

1980年から2004年の25年間における歯科医師と一般国民の死因を比較検討した.歯科医師の死因は一般国民と比較して悪性新生物と呼吸器疾患が多く,脳血管疾患が少なかった.なかでも歯科医師の呼吸器疾患の増加が著しい傾向にあった.慢性閉塞性肺疾患の原因はタバコ煙や有毒粒子・ガスなどの吸入であるといわれており,歯科医院においては大気汚染などの環境因子に加え,切削による微粒子やレジンなどのモノマー,さらにはアスベストなどによる汚染などが追加されることを考えると,歯科医師の禁煙の励行と歯科医院の環境を整えるべきことを示唆するものと思われる.
著者
齊藤 力
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.23, no.4, pp.291-302, 2000-10-01
参考文献数
28

北原白秋は詩人・歌人で,童謡,歌曲,器楽曲,合唱曲,管弦楽曲などの作詞を多数行ったことで,あまりにも高名であるが,校歌,団歌,社歌,市町村歌,地力民謡・音頭,軍歌なども数多くつくっていたことは余り知られていない.これらの中に歯学,医学に関連する学校の校歌,および団歌などをいくつかみることができる。そこで,これらの歌に関して調査するとともに,その歌詞について若干の考察を行った.北原白秋作詞による歯学,医学関係の歌にみられる主な共通語句は「国手」,「醫」,「窮」,「済」,「仁」などであった.これらの歌詞は北原白秋の医学,医療に対する考え方,すなわち医の社会性,平等性,奉仕の精神の重要性,愛の心の必要性などを表現しているものと思われた.
著者
中原 泉 加藤 譲治
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.61-75, 1995-12-25
参考文献数
25

かつて死病と恐れられ猛威をふるいながら,いつのまにか成書から消えていった疾病は少なくない.口腔外科の難病であったnoma (水癌)も,その一つである.水癌とは,小児の口腔粘膜に現れる進行性の壊疽性口内炎の一臨床型,と定義される.水癌の原因は定まっていないが,要するに機械的化学的刺激のため,組織抵抗が減弱した部に細菌が感染して発症する.治療法は往時,局所的に病巣を切除・焼灼し,清潔安静と滋養強壮を保つ他なく,予後不良で死亡率は70〜95%に及んだ.この魔の疾患は,栄養状態の改善,予防接種の普及,抗生物質の普遍により,昭和30年(1955)以降激減し,古典的疾患へと衰退した.

7 0 0 0 仏陀の歯相

著者
中原 泉
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.21, no.3, pp.195-201, 1996-10-11
被引用文献数
2

仏教の開祖である仏陀(ゴータマ・ブッダ)は,40歯相の持ち主であったという.果して,この40本の歯はどのように生えていたのだろうか.約2500年前に生きた仏陀の伝承に依拠して,現代の口腔解剖学から,40歯の植立状態を類推した.口腔解剖学の原則から,プラス8本の永久歯は,すべて正常数を越えて形成された過剰歯であると定義する.現代日本人における過剰歯の出現傾向と出現頻度からみて,上下顎の左右側の第1切歯4本,上下顎の左右側の第4大臼歯4本,計8本が正常形の過剰歯として歯列内に生えた,と結論した.これらの過剰歯の成因については諸説あるが,復古現象による祖先がえりとみるのが,もっとも合理的であると考える.
著者
小川 幹雄
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.2, no.2, pp.14-15, 1974-11-16
著者
鈴木 長明
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.11-20, 2015-03-31

宮城県,山形県,福島県の民話,昔話,伝説を資料として,病気治療例を収集し分析した.収集できた症例は77例であった.病人あるいは悩める人のうち一般人は38例であった.症状あるいは悩みは75例で,らい病による口と唇の症状が含まれた.効果がなかった治療歴は31例で,医者の治療が14例でもっとも多かった.治療担当者あるいは相談者では,僧侶や巫女をはじめとした宗教等関連者が24例,一般人が23例,医療関係者が5例であった.診断法あるいは本人の願い成就法は26例で祈祷が19例であった.病気の原因あるいは病名は26例で崇りと呪いが13例を占めた.治療法では医学的療法が37例,宗教的療法が24例であった.治療効果は成功例が48例,死亡例が1例であった.以上の結果より,現代のように進歩した医療技術が存在せず,医療担当者の数も少なく,健康保険制度も確立していなかった時代においては,病気の際,医者の代わりに僧侶や巫女をはじめとした宗教等関連者を頼りにしていたことが明らかになった.
著者
鈴木 勝 新国 俊彦 谷津 三雄 鈴木 邦夫
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.51-54, 1973-08-10

「よはひ草」は昭和2年ライオン歯磨本舗が「歯展」を東京,大阪,名古屋などで開いた時の資料をもととして編集され,昭和3年〜6年までの3年間に計6冊が刊行された.本書は歯に関する古医書の考証から文献の出典や記録又,伝説,迷信から揚枝,歯磨,意匠,染黒歯など,歯学史上のみならず文学,風俗学,人類学など歯に関する極めて重要な文献資料の大集成である.第1輯の凡例に「文献は最初原稿を作った時,多く手近なものから始めたので,孫引もあったが,校正の際はでき得る限り原本とつき合はして,努めて原文通りにした」とあり,又,第2輯の凡例に「本輯に於ても前輯通り,総て原形を尊重して置いた」又第3輯に「よはひ草は,あくまでも生のままの原料である.之を活かすも,むだにするのも,扱ふ人の腕次第,心次第である」又第4輯に「よはひ草第1輯を出してから年を亘っただけに,文献の如きは多く原本に就てつき合はすことができるやうになったが,それでも尚一二の孫引がある.これは今後とてもなくすことはできないであろう」と記し,第5輯に「歯に関する文献資料は決して古今東西を網羅したといふではないが,普通の人の考へつく範囲のものは略収めたつもりである.これより以上の蒐集は寧ろそれを欲する人かぎりの仕事ではあるまいか」又「読者諸君は之に拠って,より有益なる,より有趣味なる論文なり随筆なりを羸ち得られたり,また之に拠って,種々なる発見思付を示されたり,それが篇者発行者の最初より最後まで熱望して巳まない所である」と結んである.そこで,今回の復刊を機に,本書に集録されている文献を,日大松戸歯科大学資料館に蔵する原本と比較し2,3の検討を加えてみたので報告する.
著者
別部 智司 佐藤 恭道 森田 武 戸出 一郎 雨宮 義弘
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.20, no.4, pp.241-245, 1995-07-25

今回,報告するBuschの風刺画は,19世紀中期における歯科医師の抜歯に関するものである.当時ドイツは歯科医療が大道香具師から歯科医師の手に移行しつつある時代であったDer hohle Zahnは1860年に漫画新聞Munchener BilderbogenのNr.330, 38版に掲載された連載こま割り漫画で,その後1900年に漫画単行本の一部としてBraun&Schneider社から出版された.この風刺画は,歯痛に苦しむ平凡な農夫と尊大な歯科医師の姿をさり気なく対比させることによって,見るものに滑稽さと一抹の哀愁を感じさせるものである.小市民的な自己満足や偽善をあばき,笑いものにすることによって何かを訴え続けたBuschの精神が,この風刺画にもよく表れている.本画は当時の歯科医療に関する世相を知る上で一つの資料になるものと考えられた.
著者
戸出 一郎 三浦 一恵 深山 治久
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.28, no.2, pp.153-166, 2009-09-15

鎌倉時代を代表する梶原性全は「頓医抄」並びに「万安方」の著者として有名てある.今回の目的は,両書から口腔領域に関する部分を抽出して,我が国口腔医史学における両書の位置を推察し,価値を顕彰して今後の研究資料とすることである.「頓医抄」は正安四年(1302年)から嘉元二年(1304年)に書かれた.中国の先進医術を日本の大衆に広め衆生救済が編纂目的であり,全体をわかりやすい和文で書かれている.参考文献としては,「諸病源候論」「太平聖惠方」をはじめ,中国古医書からとられている.基本的医学観は経絡を軸とし陰陽五行説を背景とした内経医学であり,仏教的慈悲の心も随所に認められる.「万安方」は正和二年(1313年)頃から書かれ嘉暦二年(1327年)に完成した.参考文献はほとんど「聖済総録」からである.編纂目的は「頓医抄」の場合と異なり,医術を自家の家学として伝え保存するためであり,全体は漢文で書かれ,他見を禁じている.
著者
周防 一平
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.6-10, 2015-03-31

現在通俗的に用いられる「妖怪」は,造形化されたキャラクターを意味している.この「妖怪」に対するイメージは,鳥山石燕に始まり水木しげるによって完成された.そのルーツとなった鳥山石燕の『画図百鬼夜行』シリーズにおける身体表現の一例として下垂手を取り上げ,陰陽論からその意味を読み解いた.『画図百鬼夜行』シリーズにおいて下垂手を示す妖怪は「火車」「野寺坊」「飛頭蛮」「雪女」「ひょうすべ」「濡女」「酒顛童子」「火消婆」「川赤子」「魍魎」「震々」「狂骨」の12種であった.これらの妖怪には,陽の虚した状態もしくは陰の盛んな状態という特性が共通してみられた.また,下垂手自体に着目すると,前腕伸筋群の弛緩性麻痺によりこの肢位をとることが知られている.この伸筋群は経絡流注でいう手の三陽経の支配部位となる.つまり陽の虚した状態を示していると考えられる.よって,下垂手は陽虚,陰盛の表現と解釈することが出来る.
著者
松本 康博
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.25, no.4, pp.230-234, 2004-09-30
参考文献数
14
被引用文献数
3

幕末から明治初期に発行された英字新聞とDirectoryを用いて,来日した外国人歯科医師の動向を検討した.最初の来日外国人歯科医師であるEastlakeの初来日は1865年9月27日で,1866年5月26日に横浜を出港しており,この間,横浜の山下居留地の108番で診療を行っていたことが明らかになった.