著者
近藤 乃梨子
出版者
Japan Institute for Group Dynamics
雑誌
集団力学 (ISSN:21872872)
巻号頁・発行日
vol.31, 2014

<tt> 本稿は、日本海に突き出す本州最西北端に位置する過疎の半島で始まった、ある小さなグループによる村おこしの取組みの記録である。</tt>2010<tt>-</tt>2013 <tt>年初夏の黎明期から萌芽期にあたる様子を書き記した。</tt><br><tt> 山口県長門市油谷に位置する向津具半島は、過疎高齢化の進行著しい地域である。</tt>65 <tt>歳以上の高齢者が集落人口の半数を超える限界集落の存在も珍しくない。</tt>2007 <tt>年に家業である寺院経営を継承するために</tt>U <tt>ターンした一人の青年、田立氏の呼びかけで始まった村おこしの取組みは、災いを焼き尽くすといわれる「柴燈護摩」と、かつてこの地に楊貴妃が難を逃れて漂着したと語り継がれる「楊貴妃伝説」とを掛け合わせて生み出された楊貴妃「炎の祭典」と呼ばれる祭りである。衰退していく故郷を目前に、地域活性化の定義も定まっておらず、何をすればよいのかもわからない。けれども、このままではこの地域はダメになる。そのような思いから、目標を定め、行動に移していく。いかにして、無から有が生み出され、広がっていったのかを、本稿は記している。</tt><br><tt> しかし、順調なことばかりではない。むしろ困難なことの方が多いように思われる。田立氏が帰郷した当初、荒れ果てた行政施設「楊貴妃の里」を村おこしに活用したいと役場に相談した時には、適切な対応がなされないばかりではなく、宗教的活動には使用させられないと、門前払い同様の扱いであった。資金獲得のために助成事業に申請すれば、助成元の財団からも、宗教団体ではないかと調べられたり、詳細すぎるほどの説明を求められたりした。楊貴妃つながりで中国の留学生や領事館との交流が芽生えたかと思えば、祭りに私服警官が何人も配備されるほどの厳戒態勢で臨まねばならないこともあった。取組みを「二尊院の祭り」と言われ、地域の祭りとしての協力を仰ぐことが難しい時期も続いた。</tt><br><tt> 幸いにも運営ボランティアは集まったが、遊びの延長のような状態であったため、打ち合わせはバーベキュー方式や「決めない」会議になった。「欣ちゃんがやるから、てごする二尊院の祭り」を脱却して「みんながしたいからやる向津具の祭り」にいかにして変化を遂げられるのか。この問題に直面していた時、新たにボランティアに参加した、移住してきたばかりの若者、松本氏から疑問の声が上がった。なぜ会議で物事を決めないのか</tt>----<tt>。</tt><br><tt> この問題提起をきっかけに、膠着した動きに新たな風が吹いた。本稿では、村おこしの取組みの初期段階から、今後の展開に影響を与えうる重大な局面に至るまでを記録した。</tt>
著者
向井 大介 近藤 乃梨子 杉万 俊夫
出版者
公益財団法人 集団力学研究所
雑誌
集団力学 (ISSN:21872872)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.66-240, 2017-12-28 (Released:2017-09-13)
参考文献数
22

本研究は、過疎化や高齢化が進行する2 つの地域における地域活性化活動の事例を題材にして、これまで見過ごされてきた地域活性化活動の潜在的な側面を再検討し、より有意義な地域活性化活動の在り方や情報発信の方法を提示しようとするものである。本論文では、参与観察を行って収集した情報を、筆者や活動参加者の人物像を明記したうえで、活動参加者でもあった筆者の当該時点における率直な感想をも記述する「新しいスタイルのエスノグラフィ」を試みた。 <br> 本研究を通じて明らかになったのは、次の4 点である。第1 に、地域活性化活動を数値的に評価する場合、「数値的な成果を高めるもの」として認識されることが多いが、地域活性化活動に参加する個人の視点に立つならば、それは、「幸福を追求するための営み」の一形式にほかならず、地域活性化活動は、あくまでも、その文脈で評価されることが重要であることを指摘した。 第2 に、地域活性化活動における最大の価値は、活動それ自体に「かけがえのなさ」を共同構成するプロセスにあることを主張した。また、そのプロセスにおいて、行為そのものが規範贈与の性質を有することが示唆された。第3 に、地域活性化活動が拡大・発展するための潜在的かつ重要な要因として、「規範贈与の整流化」とも言うべき現象が必要であることが明らかになった。第4 に、上述の「新しいスタイルのエスノグラフィ」は、読者がよりリアルな追体験をすることを可能にすると同時に、インターローカルな協同的実践を喚起し、活動を継続するための内省にも役立つ素材となることが見出された。 <br> 最後に、以上の結果を踏まえたうえで、新しい地域活性化活動の在り方、新しい地域活性化活動支援の在り方、外部の人の扱い方を提示した。
著者
近藤 乃梨子
出版者
一般社団法人 集団力学研究所
雑誌
集団力学 (ISSN:21872872)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.321-376, 2017-12-28 (Released:2017-10-30)
参考文献数
21

過疎地域において、人口減少という問題は依然進行しているが、過疎地域を「気候や自然に恵まれた場」、「ロハスやスローライフのできる場」、「自給自足のできる場」、「子育てに適した場」として、暮らしや自己実現の観点から肯定的に捉える機運が生まれており、田園回帰志向が高まっている。過疎地域の活性化のためには、過疎地域への移住を促進するとともに、とくに若者世代、子育て世代の仕事づくりを実現することが重要である。 <br> 移住者が地域づくりの主体として、過疎地域に眠る埋もれていた地域資源をヨソモノ視点によって利活用し、「地域のなりわい」を生み出すことは、地域の価値を創造することにほかならず、過疎地域の地域づくりに新たな価値を上乗せする。この移住者による「地域のなりわい」づくりの社会的意義は計り知れない。 <br> 購入型クラウドファンディングは、過疎地域で「地域のなりわい」を起業する移住者のリスクを少しでも軽減し、金銭的負担をわけあい、心理的な応援者を獲得し、万が一失敗しても再チャレンジすることのできる簡便に導入できる資金調達の方法である。過疎地域における購入型クラウドファンディング活用の意義は、起業のための資金が調達できることにとどまらず、資金調達のためのプロジェクト終了後も、過疎地域に人とお金の流れをつくることにある。本稿では、過疎地域の移住者による購入型クラウドファンディング活用の有用性について、山口県長門市油谷向津具半島の移住者の事例を用いて、過疎地域への人とお金の流れを生み出すことを確認した。 <br> また、購入型クラウドファンディングの活用によって得られた、目標達成のために支援メンバーを事前確保したうえで、より多くの「ファン」を効率的に獲得するスキルが、新たな地域資源活用商品の販売プロモーションや都市農村交流及び移住の促進など、過疎地域に人とお金の流れを呼び込むための様々な活動に応用することができると指摘した。
著者
近藤 乃梨子
出版者
一般社団法人 集団力学研究所
雑誌
集団力学 (ISSN:21872872)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.196, 2014-12-28 (Released:2014-03-10)
参考文献数
11

本稿は、日本海に突き出す本州最西北端に位置する過疎の半島で始まった、ある小さなグループによる村おこしの取組みの記録である。2010-2013 年初夏の黎明期から萌芽期にあたる様子を書き記した。 山口県長門市油谷に位置する向津具半島は、過疎高齢化の進行著しい地域である。65 歳以上の高齢者が集落人口の半数を超える限界集落の存在も珍しくない。2007 年に家業である寺院経営を継承するためにU ターンした一人の青年、田立氏の呼びかけで始まった村おこしの取組みは、災いを焼き尽くすといわれる「柴燈護摩」と、かつてこの地に楊貴妃が難を逃れて漂着したと語り継がれる「楊貴妃伝説」とを掛け合わせて生み出された楊貴妃「炎の祭典」と呼ばれる祭りである。衰退していく故郷を目前に、地域活性化の定義も定まっておらず、何をすればよいのかもわからない。けれども、このままではこの地域はダメになる。そのような思いから、目標を定め、行動に移していく。いかにして、無から有が生み出され、広がっていったのかを、本稿は記している。 しかし、順調なことばかりではない。むしろ困難なことの方が多いように思われる。田立氏が帰郷した当初、荒れ果てた行政施設「楊貴妃の里」を村おこしに活用したいと役場に相談した時には、適切な対応がなされないばかりではなく、宗教的活動には使用させられないと、門前払い同様の扱いであった。資金獲得のために助成事業に申請すれば、助成元の財団からも、宗教団体ではないかと調べられたり、詳細すぎるほどの説明を求められたりした。楊貴妃つながりで中国の留学生や領事館との交流が芽生えたかと思えば、祭りに私服警官が何人も配備されるほどの厳戒態勢で臨まねばならないこともあった。取組みを「二尊院の祭り」と言われ、地域の祭りとしての協力を仰ぐことが難しい時期も続いた。 幸いにも運営ボランティアは集まったが、遊びの延長のような状態であったため、打ち合わせはバーベキュー方式や「決めない」会議になった。「欣ちゃんがやるから、てごする二尊院の祭り」を脱却して「みんながしたいからやる向津具の祭り」にいかにして変化を遂げられるのか。この問題に直面していた時、新たにボランティアに参加した、移住してきたばかりの若者、松本氏から疑問の声が上がった。なぜ会議で物事を決めないのか----。 この問題提起をきっかけに、膠着した動きに新たな風が吹いた。本稿では、村おこしの取組みの初期段階から、今後の展開に影響を与えうる重大な局面に至るまでを記録した。