著者
近藤 弘幸
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.94, pp.25-55, 2019-09-30

条野伝平は、今ではほぼ忘れられた作家であるが、幕末には山々亭有人の号で人情本の作者として人気を博していた。明治維新後の条野は、一旦創作活動から手を引き、新興の新聞界に身を転じる。彼が『東京日日新聞』を経て一八八六年に創刊した『やまと新聞』は、連載小説を売りにする典型的な小新聞として大成功をおさめた。同紙では条野自身も採菊散人の号で創作活動を再開し、ふたつのシェイクスピア物を残している。本論は、そのうちのひとつである『三人令嬢』(一八九〇)と題された『リア王』を読み解く試みである。幕末・維新の動乱期を経て新聞界へ転身する条野の生涯を素描したうえで、『三人令嬢』の概要を紹介し、同作が、探偵小説という当時の最先端の流行を取り入れて新しい読者への訴求を図りつつ、戊辰戦争期の諷刺錦絵的手法を援用して旧幕以来の古い読者のノスタルジーにも応える、したたかで豊かなテクストであることを明らかにする。
著者
近藤 弘幸
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.103, pp.197-230, 2022-09-30

日本で最初に上演された『テンペスト』は、魔術の女王こと松旭斎天勝が舞台に掛けたものである。天勝は、師・松旭斎天一が生み出した、奇術と演劇を融合させる〈奇術劇〉路線を継承し、発展させた。第一節では、天一の『間違い情夫』の概要を紹介する。天一一座はこの作品を持って植民地・台湾へ渡っているが、第二節では、この頃から天勝の性的魅力が一座の売り物になっていたことを明らかにするとともに、一座の公演が、宗主国の文化的優位を印象づける働きを持っていたことを指摘する。第三節および第四節では、天勝の『サロメ』、『テンペスト』の概要を紹介する。第五節では、勧業共進会で『サロメ』を披露するため渡台した天勝一座が、共進会の延長により『テンペスト』を上演することとなったことを明らかにし、植民地の博覧会でこの作品が上演された意味について考察する。最後に、再び渡台した天勝が上演した『地獄祭り』という作品の概要を紹介する。
著者
近藤 弘幸
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.88, pp.29-49, 2017-09-30

宇田川文海は、『何桜彼桜銭世中』の作者として、その名前だけがシェイクスピア研究者に記憶されている存在である。当時の文壇に君臨した人気作家であったにもかかわらず、彼が『何桜彼桜銭世中』以外にもシェイクスピア物を残したことは、ほとんど知られていない。その背景には、ほぼ同時代に日本におけるシェイクスピア受容・研究の泰斗としての地位を築いていった坪内逍遥の〈原典原理主義〉とも言うべき態度の影響があったものと思われる。逍遥にとって、文海が活躍した大阪は未開の地であり、文海の仕事は旧幕時代の残滓でしかなかった。そして逍遥の存在があまりに巨大であるがゆえに、文海の仕事は、今まで真剣に顧みられることがなかったのである。しかし彼もまた、まぎれもなく「日本のシェイクスピア」の一部を構成している。私たちは、そろそろ逍遥的パラダイムを脱し、文海のような人々に光を当ててもいいのではないだろうか。
著者
近藤 弘幸
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.88, pp.29-49, 2017-09-30

宇田川文海は、『何桜彼桜銭世中』の作者として、その名前だけがシェイクスピア研究者に記憶されている存在である。当時の文壇に君臨した人気作家であったにもかかわらず、彼が『何桜彼桜銭世中』以外にもシェイクスピア物を残したことは、ほとんど知られていない。その背景には、ほぼ同時代に日本におけるシェイクスピア受容・研究の泰斗としての地位を築いていった坪内逍遥の〈原典原理主義〉とも言うべき態度の影響があったものと思われる。逍遥にとって、文海が活躍した大阪は未開の地であり、文海の仕事は旧幕時代の残滓でしかなかった。そして逍遥の存在があまりに巨大であるがゆえに、文海の仕事は、今まで真剣に顧みられることがなかったのである。しかし彼もまた、まぎれもなく「日本のシェイクスピア」の一部を構成している。私たちは、そろそろ逍遥的パラダイムを脱し、文海のような人々に光を当ててもいいのではないだろうか。
著者
近藤 弘幸
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.79, pp.41-73, 2014-09-16

本論の目的はふたつある。ひとつは、鶴屋南北の『心謎解色絲』を『ロミオとジュリエット』の翻案であるとする主張を退け、一八七九年の春から夏にかけて刊行された『遊戯雑談 喜楽の友』という雑誌に連載された「ロミオとジユリエットの話」を、日本最初の『ロミオとジュリエット』として位置づけることである。そしてもうひとつの目的は、この無署名の連載の作者を、小栗貞雄と推定することである。小栗貞雄は、現在では消毒剤アルボースの発明によって財を築いた経済人としてその名を記憶されているが、その前半生においては、兄の矢野文雄とともに『郵便報知新聞』を支えた新聞人であり、翻案悲恋小説『色是空』を上梓した文人でもあった。そして「ロミオとジユリエットの話」をめぐるさまざまな断片をつなぎ合わせると、この小栗貞雄がその作者として浮かび上がってくるのである。
著者
近藤 弘幸
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.1-35, 2018-09-30

本論は、明治時代における「活字になった『ロミオとジュリエット』」について整理することで、以下の三点を明らかにする。①『ロミオとジュリエット』といえばバルコニー・シーンが有名であるが、明治の人々の心をとらえたのもこの場面だった。②それを踏まえて際立つ坪内逍遥の特異性。坪内は、自らの翻訳を刊行する前に雑誌で一部を先行公開しているが、あえて第四幕以降を選んでいる。その選択は、初期の『ロミオとジュリエット』受容があたかもバルコニー・シーンだけで事足れりとしていたことに対する、アンチテーゼのように思われる。③明治という新しい時代を迎えておよそ二〇年を境に、受容のモードに変化がみられる。この頃から「英文学研究」が制度化され、本格的な受容が始まる。さらに世紀をまたぐと、日本の観客のための『ロミオとジュリエット』が登場し、新しい教育制度のもとで学んだ人々による『ロミオとジュリエット』が出版されるようになる。
著者
近藤 弘幸
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.94, pp.25-55, 2019-09-30

条野伝平は、今ではほぼ忘れられた作家であるが、幕末には山々亭有人の号で人情本の作者として人気を博していた。明治維新後の条野は、一旦創作活動から手を引き、新興の新聞界に身を転じる。彼が『東京日日新聞』を経て一八八六年に創刊した『やまと新聞』は、連載小説を売りにする典型的な小新聞として大成功をおさめた。同紙では条野自身も採菊散人の号で創作活動を再開し、ふたつのシェイクスピア物を残している。本論は、そのうちのひとつである『三人令嬢』(一八九〇)と題された『リア王』を読み解く試みである。幕末・維新の動乱期を経て新聞界へ転身する条野の生涯を素描したうえで、『三人令嬢』の概要を紹介し、同作が、探偵小説という当時の最先端の流行を取り入れて新しい読者への訴求を図りつつ、戊辰戦争期の諷刺錦絵的手法を援用して旧幕以来の古い読者のノスタルジーにも応える、したたかで豊かなテクストであることを明らかにする。
著者
近藤 弘幸
出版者
東京学芸大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2006

日本におけるシェイクスピア作品の翻案・翻訳受容について、フェミニズム理論を用い、またナショナリズムの観点から分析した。フェミニズム分析としては、日本で初めて女性としてシェイクスピア作品の全訳に取り組んでいる松岡和子の翻訳について、その功績と問題点を指摘した。ナショナリズムの観点からは、『オセロー』の翻案小説である宇田川文海『阪東武者』を、日本が「西洋化」することの不安を反映するテクストとして分析した。
著者
浜名 恵美 近藤 弘幸 楠 楠 明子
出版者
筑波大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

世界シェイクスピア上演(翻訳、翻案も含む)に焦点をあわせて「演劇をとおした異文化理解教育」の研究を行った。シェイクスピアと異文化理解教育の接合に関しては、本研究代表者が実質的にパイオニアである。本研究では、次世代の研究者と共に、異文化理解教育に資する世界シェイクスピア上演を理論と実践の両面から解明する基盤の構築を行なった。3年間で、異文化理解教育に資する世界シェイクスピア上演の多様な実例を見出すと同時に、今後の世界シェイクスピア演劇をとおした異文化理解教育のあり方に有意義な提言を行うことができた。