- 著者
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関戸 明子
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集
- 巻号頁・発行日
- vol.2018, 2018
本報告は,昭和初期に推進された群馬県の観光プロモーションの特徴について,当時の社会的・地域的文脈との関わりから考察するものである。群馬県では,1935(昭和10)年3月20日に群馬県勝地協会が創立された(昭和10年「商工雑事」群馬県立文書館)。会長には当時の群馬県知事・君島清吉,副会長には群馬県経済部長と県会議長など,理事には群馬県総務部長・学務部長・警察部長・土木課長・林務課長・商工課長・衛生課長といった行政職や前橋・高崎・桐生市長など,幹事には前橋・高崎の商工会議所会頭など,評議員には伊香保・水上・草津・四万といった温泉の組合長や各郡の町村長会支部長などが就任しており,官民挙げての組織だったことがわかる。群馬県勝地協会の解散に関する記録は確認できていないが,出版物の刊行状況からみると,1943(昭和18)年までは活動が続いていたことがわかる。1940年以降,不要不急の旅行が抑制され,鉄道輸送の旅客制限が強められていくが,勝地協会の事業はこうした時期にも行われていた。<br> 「設立趣意書並会則」(県史資料「群馬県勝地協会関係綴」群馬県立文書館)には次のようにある。「本県は三面秀嶺を繞らして坂東太郎の清流を養ひ(中略)山河襟帯到る処風光明媚の勝地である。加ふるに史蹟,伝説の人口に膾炙するもの極めて僥く,動植物の世に珍稀なるもの亦少くない。更に温泉は各所に湧出して,古来著しき霊験を伝へ,帝都に近く交通至便なるは真に本県独特の天恵と謂はねばならぬ。殊に上毛三山の一たる赤城山には,昨秋 畏くも 聖駕を枉げさせ給ひ次で奥利根一帯の地は国立公園に指定されて景勝群馬の名声は愈々揚り,正に錦上花を添うるの趣がある」。 このように群馬県は風光明媚の勝地であり,史蹟や温泉も多く,東京に近いことをうたっている。「聖駕を枉げ」とあるのは,1934年11月,群馬県庁に大本営を置いて陸軍特別大演習が行われて,さらに県内を昭和天皇が行幸したことによる。また1934年3月に初めて3か所の国立公園が指定されたのに続き,同年12月に指定を受けた日光国立公園に「奥利根一帯の地」である尾瀬が含まれた。こうしたことが協会設立の契機となったのであろう。<br> さらに「地元大衆の理解と用意とは未だ此の天資に添はず動もすれば其の勝景を傷け,或は適当の施設を誤り,却て造化の殊寵を暴殄するものさへあるは,夙に識者の憂ふる所である。(略)近時一般保健思想の向上は交通機関の発達と相俟て,野外趣味の勃興を促し,国策亦国立公園の開設を計つて以来,各地競うて其の助成策を講じ,天下靡然として観光施設に汲々たる状況である本県民たるもの,豈此の勝地を擁して拱手傍観するを得やうか。(略)是に於て関係者並に有志相諮り,官民合同の勝地協会を設立し,統制ある組織の下に県下の景勝霊地を江湖に紹介し,其の愛護開拓を図つて,来遊者に利便を与え,大いに内外の観光客を迎へ,以て益々国土の精粹を顕揚し,文化の進展に寄与すると共に,天与の恵沢を頒つに遺憾なきを期せんとするものである」と設立の趣意を述べている。保健思想の向上,野外趣味の勃興とは,この時期に健康への関心が高まり,スキー,スケート,ハイキングなどが人気となったことがある。このように群馬県勝地協会は,官民合同の組織のもとで景勝霊地を紹介し,内外から観光客を迎えることを目的として設立された。<br> 「昭和十年度歳入歳出決算並事業成績」には,1.国立公園映画作製,2.赤城公園座談会,3.温泉とスキー展覧会,4.スキー大会,5.「勝地群馬」刊行,6.勝地絵葉書刊行の六つの事業が記されている。「勝地群馬」の著作権兼版権所有者は吉田初三郎,この鳥瞰図の印刷費は3453円32銭で,同年度の歳出の53%を占めていた。図裏面の案内情報には,名所・温泉・スキー場・スケート場・神社・仏閣・史蹟・天然記念物・国宝・重要美術品・古社寺の188箇所を掲載する。さらに勝地協会は1941年に『群馬の史蹟めぐり』,1943年に『群馬健康路 史蹟と温泉巡り』を発行している。 昭和初期の群馬県では,どのような場所がツーリズムの対象となり,意味や価値を付与されたのか,当日報告を行う。<br> [文献] 関戸明子2008.吉田初三郎の鳥瞰図.中西僚太郎・関戸明子編『近代日本の視覚的経験-絵地図と古写真の世界-』119-124. ナカニシヤ出版.