- 著者
-
風戸 真理
- 出版者
- 日本文化人類学会
- 雑誌
- 文化人類学 (ISSN:13490648)
- 巻号頁・発行日
- vol.82, no.1, pp.050-072, 2017 (Released:2018-03-15)
- 参考文献数
- 56
本論はモンゴル国の牧畜における家畜糞(以下、畜糞)の利用を事例とし、生業と産業の領域がどのように併存しているのかを議論するものである。モンゴル社会は1920年代からの社会主義化と1990年代からの市場経済化によって産業化されてきた。しかし、人類学者はモンゴルの家畜飼育を、産業社会の「畜産」や「酪農」と区別して「牧畜」と呼んできた。モンゴルの家畜飼育はなぜ「生業」的な「牧畜」とみなされるのだろうか。
「生業としての牧畜」は、家畜を所有し、飼育する人びとが畜産物に依存し、これが文化諸要素と多面的に結びつく総合的な活動を意味する。ただし、現代の生業には「市場」や「商品化」の諸要素が混ざっている。モンゴルの家畜生産は社会主義期から現在に至るまで、商品化、産業化され、畜産物の多くが輸出産品となってきた。肉・乳・毛・皮革は工場で処理され、国内外に流通してきたが、人びとは家畜や畜産物を自家消費や贈与の領域でも用いてきた。その中でも畜糞は、国家統計年鑑に生産量や輸出量の記載がないことから、自家消費の度合いが強い畜産物であると考えられる。畜糞は、燃料・家畜囲いの材料・家畜管理の道具・畜産物加工の道具などとして基本的に自家消費されてきた。つまり畜糞は「産業社会」の周縁で、「生業」的な領域を形づくってきたのである。
畜糞の利用をめぐっては、精緻な民俗知識に裏づけられた「共時的な多角性」と「通時的な多層性」、そして家畜の排泄物で家畜の世話をし、その畜産物を加工する再帰的な「家畜=畜糞関係」がみられた。さらに、畜糞の煙とその匂いは都市生活者を含むモンゴル人の思考の材料および牧畜生活の記憶の手がかりとして、アイデンティティーのよりどころとなっていた。以上から、モンゴルの牧畜は「生業」と「産業」の重なりの上に成り立っており、畜糞は文化に埋めこまれて「牧畜文化」を形成していることが示された。