著者
小松 和彦 板橋 作美 常光 徹 小馬 徹 徳田 和夫 關 一敏 内田 忠賢 高田 衛
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
1999

三年計画の研究は以下の四つのテーマに従って展開され、成果がまとめられた。(1)怪談・妖怪関係資料の収集及び民俗調査:全国各地(青森・東京・福島・千葉・石川・富山・新潟・愛知・京都・香川・愛媛・高知・福岡・長崎・沖縄等)でおこない、報告書(冊子体)に各分担者が三年間の調査・研究をまとめた。(2)怪異伝承データベース構築のための事例収業とカード化:民俗学関係雑誌さらには近世の随筆から妖怪・怪異関連の記事を抜き出し、情報カードの作成を行なった。作成した情報カードの件数は13,364件にのぼり、それらの書誌情報のコンピュータ入力を終了した。一般公開をみこした怪異伝承データベースの利用方法についての議論は今後の課題であるが、民俗学における妖怪・怪異研究の動向把握など現時点でも幅広い活用が期待できる。(3)怪異・妖怪研究の研究動向調査:網羅的な文献リストを作成した。また追加で妖怪・怪異研究に従事している外国人研究者のリストを調査可能な限りにおいて作成した。今回の調査で、日本の妖怪・怪異は近年関心を集め続けてきたことがわかった。.今後予定しているインターネットを通じた怪異伝承データベースの公開は国際的に価値の高い情報発信となることが予想される。(4)一般公開:本研究の成果の一部は、国立歴史民俗博物館の企画展「異界万華鏡」に生かされた。またSCS討論会「異界ルネッサンス」を催した。これは国際日本文化研究センターと国立歴史民俗博物館の間で衛星中継による公開テレビ討諭会である。いずれも一般入場者からの高い関心を得た。
著者
高田 衛
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.53, no.10, pp.22-32, 2004-10-10

秋里籬島という怪人物が編纂した『東海道名所図会』(寛政九年刊)は、他の一連の「名所図会」と違って、一つの狙いがあった。既に言われていることだが、東国江戸に対して皇都京の文化的優越性を示すことだが、これを東海道五十三駅およびその周辺の地誌・歴史・景観・歓楽のガイドブックとして、巧妙に内容を組み立てる形でやってのけた。禁裡御用絵師と上方文人が適宜にコーディネートされ(豊富な資金が謝金として準備され、惜しみなく使用されたようだ)江戸の二重王権があばかれる端緒ともなった。なかんずく東海道・江戸・日本のポイントとしての「富士山」の扱いに、籬島は二転三転、苦心した形跡がある。秀峰富士の形式的通俗的美化と国粋化に反発した上田秋成は、火山富士の醜悪かつ凶暴な一面を指摘した。秋成の一文は、籬島に求められ、内容のために突っかえされたもので、ひょっとしたらあったかも知れない。ただし、この件は何の根拠もない。しかし、面白い対立ではないか。
著者
高田 衛
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.21, no.3, pp.1-21,29, 1972

the narrative of "Oguri-hogan" -an epic- was composed by the race of outcast artistes in Japanese Middle Ages. It is a magnificient story about death and revival of a hero, The hero "Oguri" was the knight who rode the restivest horse named Onikage. Onikage appears and disapeans in afantastic and symbolic state. If we analyze the character of this world of Ogurihogan with a focus on the image of Onikage, we understand a hidden process of an establishmeut of this story based on the mixture and degeneration of Japanese ancient faith and legend. Onikage succeeds to the pedigree of worship of the horse called "Ryo" in ancient China. "Ryo" (a dragon) was a fantastic animal originated from a horse. But in ancient Japan they thought it a selected, reassuringly and fast running, specified horse, and a demon's messenger Ryome. of course nobody but demon could ride the horse. But in Middle Ages "Ryo" moreover implied "Saenokami", one of ancient unvisible demon that existed on a boundary-line detween the land of the living and Hades. Two images of Ryo were mingled. It's the image that was made through a joint festival of peasants and wandering out cast artistes who entered into peasants' festival. It's "Bato-kannon" -the Horse-headed Merciful Goddess. The substance of the image of Onikage is constituted of two demonism factors, "Ryo" and "Bato-kannon". When this epic was produced with a contact to worship of the horse, Oguni took a special capacity that enables to come and go between the land of the living and Hades in spite of his agony as human, and could be proved the heroic character as human. Onikage is the other self of Oguri, and also Oguri is the inseperable other self of Onikage. The Above-mentioned description is the argument of the first part of "the Ryo and the Bato-kannon".
著者
高田 衛
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.49, no.9, pp.54-55, 2000-09-10 (Released:2017-08-01)
著者
高田 衛
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.37, no.8, pp.1-8, 1988-08-10

十八世紀、「江戸戯作」と称される文芸(小説)が成立していった過程で、科学者平賀源内の『根南志具佐』ほど、この文学ジャンルの性格と形成を決定づけた作品はなかった。だが、滑稽と笑いを喚起し、大きな虚構によって都市江戸の生態を活写し、江戸の文学の流れを変えたこの作品について、現在いまだにすぐれた作品論は存在していない。本論文では、『根南志具佐』の作品論へ向けて、その前段階として、大田南畝の『根南志具佐』批評を引用し、分析しつつ、この作品が<江戸>のスキャンダラスな悪場所(バッドシティホリゾン)つまり芝居町=男色者たちの世界の、実際の生態と深くかかおり、そのスキャンダラスな世界(ホリゾン)を逆手にとって、ちょうど遠目鏡で地獄をのぞくように、遠近法を充分に駆使して、コトバで「江戸」をカリカチュアにし、また滑稽なミニチュアにして、読者の前に提供した初めての作品であったことを、豊富なエピソード(悪場所の)を並記して、証明した。そして、「戯作」という文学ジャンルが、じつは文学ジャンルである前に、文学の新しい方法であり、地上的人間世間(シャバ)の全体性を、明快に相対的に描き出す「志」(こころざし)(自立し、他からの妨害を排除し、自由な精神の確立を目的とする作者のつよい意志)に根ざす、笑いを武器とした創造的な文学であることを証明した。従来の学問における固定的な「戯作」観念(余技的な遊び)は、改められなければならない。