- 著者
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小松 和彦
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.68, pp.115-136, 1996-03-29
死はさまざまなイメージで語られる。生者にとって,死の体験を語ることができない限り,死は外在的なものであり,他人の死を眺め,その死の体験を想像し,そのイメージを作り上げることによってしか死を表現することができない。物部の葬送儀礼では,まずそのイメージは「生」のカテゴリーの象徴的逆転として語り示される。日常における「右」の強調に対して「左」の強調,日常の作法に対するその逆転の作法,等々。そうした葬式の作法によって「死」のカテゴリーが形成され,そして,そうした「死」の記号は死の記号であるがために,死という出来事の回りに配置され,日常生活のなかに持ち込むことがタブーとされることになる。日本では,葬式にこうした「死」の記号が用いられるのは一般的なことに属するが,物部の葬式ではそれがかなり徹底しているといっていいだろう。物部の葬式は,死者の霊の「あの世」への追放と「あの世」での再生を期待したモチーフを強調した儀礼となっている。その典型的儀礼行為が,山伏の宿借りを拒絶する奇妙な儀礼的問答(山伏問答)であろう。死出の旅に発ったはずの死者の霊が立ち戻ってくるということを演劇化したこの儀礼は,亡くなったばかりの死者とは,あの世に行くのを好まずに現世に戻ってくるものなのだ,という観念を前提にしており,物部の人々の死を迎える気持ちや死後観を如実に伝えているといえる。物部の葬送儀礼では,西方浄土観が強調されている。しかし,それは葬送儀礼が仏教の影響を強く受けているためであって,それ以前は,古代の地下の冥界にもつながるような他界観を持っていたことが「みこ神」儀礼などからうかがうことができる。しかし,西方浄土観にせよ,地下他界観にせよ,そのイメージはきわめて素朴で,現世こそ楽園であるということを強調している。一種の異装習俗である「師走男に,正月女」の埋葬習俗は,調査資料も乏しく,まだほとんど解明されていない習俗である。ここでの「異装」は,怨霊の一種である「七人みさき」に引かれるのを避けるために,「女」ならば「七人みさき」の災いが発現するので「女」を「男」とみせかけて埋葬する,いわば「トリック」である。「異装」して埋葬するという奇妙な埋葬法に関心が向かいがちであるが,むしろ問題の核心は,なぜ正月という「時」に「女」が死ぬと「七人みさき」が発現するのか,という点にある。物部村に限ったことではないが,葬送儀礼に参加した人たちは儀礼的ケガレ,いいかえれば一種の日常生活からの隔離の状態に入る。物部では,これを「ブクがかかる」と称している。物部では,ブクと呼ばれるケガレは死,出産,婚礼の際に生じるという。いわゆる誕生・結婚・死の人生における大きな節目に当たり時にブクが生じるのである。この人生の節目に当たる儀礼で共食するとブクがかかるという。したがって,物部では,ブクは儀礼に参加した人々のカテゴリーを浮き上がらせる機能も帯びている。