著者
江口 聡 EGUCHI Satoshi
出版者
京都女子大学現代社会学部
雑誌
現代社会研究 (ISSN:18842623)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.135-150, 2006-12

本稿では、しばしば倫理的に問題があるとされている「性的モノ化(客体化)」の問題を考察する。カントの『倫理学講義』に簡単に触れたあと、M. ヌスバウムの議論を検討する。続いて「モノ化」の(非)倫理性には哲学的な難問があり、「ポルノや売買春は女性をモノ化するから不正だ」というように簡単に言いきれるものではないこと、また、「自由な同意にもとづいたセックスにはまったく問題がない」とも言い切れないことを示したい。最後にセックスの哲学および倫理学の課題について触れる。In this paper, I shall consider the problem of "sexual objectification". I will examine Kant's position in his Lecture on Ethics and Martha Nussbaum's article "Objectification". I will try to show that "sexual objectification" contains many philosophical problems, and we can not simply insist that pornography and prostitution are wrong because they objectify women. Lastly I will comment upon the main subjects and the prospects of the philosophy and ethics of sex.
著者
江口 聡 EGUCHI Satoshi
出版者
京都女子大学現代社会学部
雑誌
現代社会研究 (ISSN:18842623)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.37-54, 2012-12

本論ではキェルケゴールの著作活動を、彼自身の鬱病的生涯とそれに対する彼の対応という観点から見直す。まず「メランコリー」概念の歴史的変遷と、20世紀までの「鬱」についての精神医学の発展を見た上で、キェルケゴールの著作における否定的な気分が現代の精神医学者たちの知見とよく合致することを論じる。さらにキェルケゴールが現代の鬱病療法についてどのような見解を持つだろうかを考えてみる。It is well known that Søren Kierkegaard suffered from serious depression. I will try to reread his works in light of modern psychiatry. In his writings, Kierkegaard depicted his morbid states of depression very exactly, and his "aesthetical" works as a whole can be interpreted as a prescription for his illness.
著者
江口 聡 EGUCHI Satoshi
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.1, pp.23-37, 2007-03

国内のジェンダー論・セクシュアリティ論に大きな影響を持つジュディス・バトラーの『触発する言葉』(バトラー, 2004)2)は、英国の哲学者J. L. オースティンの言語行為論を積極的に援用あるいは「脱構築」し、憎悪表現、ポルノグラフィなどの社会的・法的問題を扱っている。しかしこのバトラーの解釈はさまざまな問題がある3)。ここでは、バトラーの曖昧で難解な4)議論を追うことはできない。しかしバトラーの議論全体は、レイ・ラングトンの論文(Langton,1993)のオースティン解釈に多くを負っており5)、またラングトンの議論は哲学的にも実践的にも興味深いものであって、この議論の魅力とその弱点は正確に理解される必要があると思われる6)。そのための作業として、本論では「言語行為speech act」としてポルノグラフィや憎悪表現をとらえることが、どの程度の理論的含意を持つのかを確かめたい。In this paper, I will introduce Rae Langton's approach to the problems of pornography in her "Speech Acts and Unspeakable Acts". I will try to show that her approach has a merit of being philosophically interesting and practically important, but has some fundamental flaws. Pace Langton, I will show that "act" of pornographic expression should be considered as perlocutional act, and we need some empirical evidences of harms in order to regulate pornography legally. In conclusion, I will argue that we need psychological / phenomenological investigations how ordinry men read, watch, and experience pornography.
著者
江口 聡 EGUCHI Satoshi
出版者
京都女子大学現代社会学部
雑誌
現代社会研究 (ISSN:18842623)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.119-135, 2007-12

本稿では、国内の生命倫理学研究者の間ではマイケル・トゥーリーらに代表される「パーソン論」と呼ばれる考え方が正確に理解されておらず、それが国内の生命倫理学の健全な発展を阻害している可能性があることを指摘する。In this paper, I will show that many Japanese bioethicists have long misunderstood Michael Tooley's seminal article "Abortion and Infanticide" and other philosophers' important arguments, and this has caused much trouble in discussing abortion issues in Japan.