著者
水野 義之
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 = Contemporary society bulletin : 京都女子大学大学院現代社会研究科博士後期課程研究紀要 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.15, pp.77-87, 2021-03

AI(人工知能)を理解するために、人間側における「人間知能」の新たなモデルを提案する。このモデルは一種の仮説であり、実証的な証明の対象ではない。しかし他にはない新たなモデルであり、このモデルによって初めて現状のAI と、「人間知能」の関係を理解することが可能となる。このモデルでは人間の知能を4 つの要素に分ける、すなわち知性、理性、感性、悟性の4 成分に「人間知能」を分解する。この4 成分は情報の5 形態であるデータ、情報、知識、知恵、統合という5 要素をつなぐリンク(間)の数4 である。この見方によって「科学」と呼ばれる知的な活動・知識生産の位置付けも初めて明確になる。この「人間知能」のモデルを使うことで初めて、旧来の哲学で知られるデカルトの理性もカントの認識論も位置付けることができる。すなわち広義の「情報」と「知能」という捉え所のないものの間の関係性が、本論文で明らかにされる。このため、この「人間知能」のモデル化は、今後AI 時代の情報学の教育改善のためにも有用であることが示される。 In order to understand AI (artificial intelligence) in a broader perspective, we propose a new model of "human intelligence". This model is a kind of hypothesis and may not be subject to any proof. However, it is new and comprehensive, and it is this model that would make it possible to understand the relationship between the current AI and the "human intelligence". In this model, human intelligence is subdivided into four components: namely intellect, reason, sensibility, and understanding. These four components coincides with the number of links that connects the five elements, namely data, information, knowledge, wisdom, and integration. These are of five forms of "information". With this perspective at hand, we are now able to represent the so-called "science", a knowledge production process. By using this model of "human intelligence" can Descartesʼs reason and Kantʼs idealism, known in traditional philosophy, be represented properly. In other words, the relationship between "information" and "intelligence" in a broad perspective is now clarified in this paper for the first time. Thereupon it is shown that this modeling of "human intelligence" will be useful for improving the education of informatics in the AI era in the coming future.
著者
西尾 久美子 NISHIO Kumiko
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 : 京都女子大学大学院現代社会研究科博士後期課程研究紀要 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.6, pp.17-31, 2012-03

エンターテイメント産業の人材育成と事業システムとの関連について考察するために、京都花街や宝塚歌劇などの日本の事例研究の結果とイタリアのバレエ産業の事例の調査結果とを取りあげ、国際比較する。日本とイタリアの事例の比較検討の結果から、共通点として、① 学校と興行に綿密な連携があり、育成途上の人材がその能力に応じて現場経験を重ねる仕組みがあること、② 興行経験を通じて芸術的センスが磨かれること、③ 舞台に立つことで自分の被育成者に能力の自覚を促すこと、④ 若手者の技能形成に組織内外の専門家がかかわること、の4点があげられた。一方、相違点として、イタリアのバレエ産業の人材育成では、① 海外のバレエ団で雇用されうるグローバルに通用する能力の育成を目的にした人材育成がなされていること、② 育成側の人材がグローバル化していること、③ 被育成者が就職先として国外も視野に入れていること、の3点があげられる。これらのことから、日本とイタリアのエンターテイメント産業では、① 人材育成に外部の専門家が関わりその業界に固有の専門技能について早期から育成と選抜が実施されること、② 人材育成のプロセスと興行が密接に結びつく劇場型選抜がされる仕組みを有することが指摘され、この特徴が日本とイタリアのエンターテイメント産業に長期的な継続性をもたらすと考えられる。
著者
正木 大貴
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 = Contemporary society bulletin : 京都女子大学大学院現代社会研究科博士後期課程研究紀要 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.12, pp.25-44, 2018-03

The purpose of this paper is to overview the transition of the concept of the need of approval from the psychological point of view and to discuss the need for approval in young people in the light to the situation with human relations and society, especially with regard to SNS. In the field of psychology, the need for approval is well known as one of the stages of Maslow's hierarchy of needs. In addition, the need for approval is studied from two aspects, the praise seeking need and the rejection avoidance need. It was understood that contemporary youth maintain friendships while paying attention to circumstances surrounding them so as not to hurt others or be hurt by them. Nurturing the sense that children are approved of by their parents in their parent-child relationships also affects subsequent human relations. The pathological aspect of that not working out well has been pointed out. The psychological feature common to such pathology is the "approval with conditions". This is not such form of parental approval of children as "loving them the way they are", but the "if you can do ..., then I will love you" form of approval. Contemporary parent-child relationships seem to be presenting "approval with conditions" while securing "unconditional approval". As a result, young people became worried whether they will be accepted if there is no condition for approval even in relationships with friends. On the other hand, while SNS can easily satisfy the need of approval for young people who use them, it is possible to obtain infinite approval with them. Also, unlike in case with real human relationships, there is a peculiarity of SNS allowing for obtaining approval while minimizing the anxiety of being rejected by someone.
著者
Aukema Justin
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 = Contemporary society bulletin : 京都女子大学大学院現代社会研究科博士後期課程研究紀要 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.13, pp.69-97, 2019-03

This paper examines the history of the 32nd Imperial Japanese Army headquarters tunnels, a major wartime heritage site, or, war site( sensō iseki), from the 1945 Battle of Okinawa. The paper shows that the tunnels, and their roles in history and memory, have been shaped by the successive and cumulative effects of past and ongoing discourses in a process that it calls "cultures of (dis) remembrance." In this context, the paper highlights three discourses that impacted the fate of the 32nd Army tunnels. The first is a pre-1945 "assimilation discourse," in which Japanese and Okinawan officials argued the historical and cultural similarities between the two regions to integrate the islands into Japan's imperial nation-building project. This transformed Shuri Castle, the seat of power for the autonomous Ryukyu Kingdom, into a staging ground for the dissemination of patriotic Japanese education, and it paved the way for the 32nd Army tunnels to be built there during the Battle of Okinawa. The second is a post-1945 "Cold War discourse" in which U.S. army occupiers remodeled memories and markers of Ryukyuan cultural heritage and Japanese militarism to align with their postwar vision for Okinawa; namely, this was as a showcase for U.S.-style liberal democracy and as a springboard for the Cold War. In this milieu, the remains of Shuri Castle were reconstructed as the University of the Ryukyus, while the 32nd Army tunnels were cast into the dustbin of history. The harshness of American military rule, however, caused many Okinawans to push for reversion to Japan, and, in this background, wartime heritage sites were used to promote nationalistic narratives of shared Okinawan-Japanese sacrifice for the "homeland." After Okinawa returned to Japan in 1972, dual visions of the island's heritage emerged. On the one hand, Okinawan progressives saw the 32nd Army tunnels as reminders of Okinawa's subordinate position vis-à-vis the Japanese nation-state and the cause of the island's wartime destruction. On the other hand, some conservative politicians sought to erase memories of the tunnels in favor of an affirmative view of Okinawa's cultural identity. 本論文では、沖縄戦(1945年4 月─ 6 月)における代表的な戦争遺跡である32軍司令部壕の歴史について分析する。その中で、32軍司令部壕及びそれにまつわる歴史と記憶が現在までの連続的・累積的な言説の結果によって形成されてきたということを主張し、その過程を「(非)記憶する文化」と呼ぶことにしている。本論文は32軍司令部壕の運命に特に大きな影響を与えた三つの言説を指摘する。一つ目は、沖縄を日本帝国に統合するため、沖縄と日本の関係者が両地域の歴史的・文化的な類似点を論じた1945年以前の「同化言説」である。これによって、首里城は独立国家であった琉球王国の権力の府という立場から、日本の愛国教育を普及させるための拠点に変身させられた他、1945年の沖縄戦において同地での32軍司令部豪の建設を主導する拠点ともなった。二つ目は、「冷戦言説」である。この言説では、米国占領軍は自ら目指していた戦後沖縄イメージ(すなわちアメリカ流自由民主主義の見本及び冷戦を遂行するための拠点)を構築するため、琉球伝統文化、及び日本の軍国主義に関する記憶や痕跡を変容させようとした。この文脈において、廃墟となった首里城を琉球大学として再構築し、32軍司令部壕は忘却の彼方へと沈んでいった。しかし米軍の厳格な支配により、多くの沖縄市民は沖縄の日本本土への返還を訴えるようになった。そのため、32軍司令部壕のような戦争遺産は沖縄と日本が「祖国」のために成し得た共同的な犠牲についての国家主義的な語りを推進するために利用された。そして、沖縄の1972年の返還後は、沖縄の遺産について二つの異なる見解が現れた。まず、沖縄の進歩派にとって32軍司令部壕は日本の中での沖縄の下位的地位を表す象徴であり、また戦争における沖縄そのものの物質的破壊を招いた原因でもあった。一方、ある保守系政治家は、日本国家概念を固定した沖縄文化遺産についてのイメージを助長させるために、地下壕にまつわる記憶を抹消しようとしてきた。
著者
江口 聡 EGUCHI Satoshi
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.1, pp.23-37, 2007-03

国内のジェンダー論・セクシュアリティ論に大きな影響を持つジュディス・バトラーの『触発する言葉』(バトラー, 2004)2)は、英国の哲学者J. L. オースティンの言語行為論を積極的に援用あるいは「脱構築」し、憎悪表現、ポルノグラフィなどの社会的・法的問題を扱っている。しかしこのバトラーの解釈はさまざまな問題がある3)。ここでは、バトラーの曖昧で難解な4)議論を追うことはできない。しかしバトラーの議論全体は、レイ・ラングトンの論文(Langton,1993)のオースティン解釈に多くを負っており5)、またラングトンの議論は哲学的にも実践的にも興味深いものであって、この議論の魅力とその弱点は正確に理解される必要があると思われる6)。そのための作業として、本論では「言語行為speech act」としてポルノグラフィや憎悪表現をとらえることが、どの程度の理論的含意を持つのかを確かめたい。In this paper, I will introduce Rae Langton's approach to the problems of pornography in her "Speech Acts and Unspeakable Acts". I will try to show that her approach has a merit of being philosophically interesting and practically important, but has some fundamental flaws. Pace Langton, I will show that "act" of pornographic expression should be considered as perlocutional act, and we need some empirical evidences of harms in order to regulate pornography legally. In conclusion, I will argue that we need psychological / phenomenological investigations how ordinry men read, watch, and experience pornography.
著者
松崎 行代
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.5, pp.63-76, 2011-03

この研究ノートは、市民の文化活動による地域コミュニティの形成と機能の活性化について検討していくにあたり、「いいだ人形劇フェスタ(以下、フェスタと略記)」を事例として取り上げ、この市民文化活動が32年間続く飯田市の文化的土壌を把握し、市民による文化活動成立の文化的要因を検証することを目的としている。飯田市を中心とした伊那谷南部には、かつて他所から伝播されたさまざまな芸能が住民によって享受、伝承された。この地には現在も、数百年の歴史を持つ民俗芸能が数多く、人形芝居(人形浄瑠璃)4座、うち2座は飯田市内に、また、この地にしかない屋台獅子が30余、うち約20が飯田市内に継承されている。また、歌舞伎(地芝居)は大鹿村の大鹿歌舞伎、下条村の下条歌舞伎が現在継承されている。飯田市内には現在継承されてはいないが、学校の校舎を舞台と兼用できるようにした座光寺地区の旧座光寺小学校の"舞台校舎"をはじめ、舞台の遺構は伊那谷全体に150余確認されており、かつての隆盛の様子がうかがえる。こうした住民の芸能活動への盛んな取組みにみられる文化的土壌は、フェスタのような市民文化活動成立の大きな要因になつていると考えられる。 本稿では、人形芝居、歌舞伎(地芝居)、獅子舞の3つの伝統芸能を取上げ、それらの誕生と衰退、また、そこにかかわった人々の様子から、飯田市の市民文化活動であるフェスタ成立の文化的要因を検証した。
著者
上村 昌代
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.2, pp.83-94, 2008-03

現行法の親権規定では、離婚の際に夫婦のいずれかが未成年の子の親権者となる。近年の離婚の増加にともない、ひとり親世帯が増えている。また、現在は妻の方が未成年の子の親権者となる割合が増加し、全体の約8割を占める。しかも、母子世帯の置かれている社会的・経済的状況は厳しく、子どもたちのこうむる被害も増大しつつある。そこで、この研究ノートでは、子どもの福祉を重んじる立場から、この被害の現状とこれを克服するための方策を論じる前段階として、民法の親権規定の変遷の歴史を簡潔に整理したいと考える。日本近代の親族法は西洋の法制度の影響下に成立してきたので、第1章では、西洋における親権概念の歴史を概観し、第2章においては、日本の親権規定の変遷とその背景について考察する。最終章では、日本における親権規定の現状と改革に向けての動向を紹介して、今後の研究へつなげていくことにしたい。
著者
西尾 久美子
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 = Contemporary society bulletin : 京都女子大学大学院現代社会研究科博士後期課程研究紀要 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.14, pp.1-14, 2020-03

The main purpose of this research is to contribute to the literature related to management studies and studies on performing arts education by shedding light on the collaboration creation value to customers and performers. The research compares the process of career development for Kyoto Hanamachi and the Takarazuka Revue to illuminate respective characteristics and developmental patterns. The Japanese cases show the process of a century long educational modernization based on Kyoto hanamachi school models for the sake of social advancement of female students and better management of high Takarazuka performance quality. The career path of those cases performers is clearly defined. Personnel training is by a system based on career development. They are members of their developmental networks including customers. As a result, their skills and technique level become clear in their community. In conclusion, the research shows how the result can provide a useful analytical framework for future research in the related field.
著者
正木 大貴
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 = Contemporary society bulletin : 京都女子大学大学院現代社会研究科博士後期課程研究紀要 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.14, pp.161-170, 2020-03

Social media has made tremendous progress with the rapid spread of smartphones. The use of social networking services(SNS)has become a second nature, and there have been major changes in how we communicate. The purpose of this paper is to clarify the background to, and psychological characteristics of SNS dependence. SNS are deeply involved in everyday life for those in the younger generations, and people who are likely to become dependent on SNS are stressed by actual human relationships. In addition, SNS not only fulfill a praise-seeking need for approval such as hoping to be in the spotlight, but also have an important meaning as something that assures a rejection-avoidance need for approval, namely, the feeling of "not wanting to be disliked by everyone." For this reason, people with a dependency on SNS strongly seek connections with people who understand them while paying excessive attention to communication they engage in. As a result, an addiction to human relationships is formed. At present we have a "fear of alienation", that we will be isolated if we neglect to care for others. Yet SNS have the advantages of alleviating this fear that we might be disillusioned with knowing ourselves as we are, and allowing us to choose a specific relationship with a reduced risk of being hurt. Thus, we are addicted to SNS.
著者
松下 洋 MATSUSHITA Hiroshi
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.4, pp.1-23, 2010-03

小論は、ペロニズム形成期(1943-46)における労働者のペロン支持をめぐって今日まで存在してきた二つの主要な解釈に対抗して第三の解釈を提示することを目的としている。すなわち、ひとつの解釈は、ペロンの主たる支持者が農村から都市に移動して間もない新しい労働者であり、彼らはペロンの親労働者政策に魅了され、操作されたのであり、従って彼らの支持は非合理的なものであったとする。第二の解釈は、ペロニズムの形成期においては労働運動の経験をもつ旧来の労働者の少なからぬ部分(反対派がいたことを認めつつも)がペロンを支持したとの事実に注目し、彼らはペロンの政策が自分たちの利益に直結すると判断した結果としてペロンを支持したのであり、その支持は操作されたものでなく、自発的で合理的であったとする。これに対して、小論は旧労働者の支持を重視する点では第二の説と同じだが、旧労働者のペロン支持の中に、単なる合理性では捉え切れない心理的な要因が介在したことを強調する。なかでも、軍部の圧力で逮捕されたペロンを、旧労働者を含めた多数の労働者が大デモを敢行して彼の釈放に成功した事件(1945年10月17日事件)を取り上げ、デモのきっかけとなったともいわれるCGT (労働総同盟)のゼネスト戦術が、単に旧労働者の合理的判断の結果としではなく、むしろ、プロスペクト理論で言う損失局面における危険受容型行動の一例として解釈できることを主張する。こうした作業を通して、ペロニズムさらにはラテンアメリカのポピュリズム研究において、心理的側面を無視すべきでないことを提言したい。This article intends to challenge the two main interpretations on labor's support to Peronism duringits initial period (1943-46). One stresses the support given by new workers who came from rural areas to the metropolitan areas around Buenos Aires during the 1930s and 1940s. They were not accustomed to urban life and industrial works so they were manipulated by Perón's pro-labor policies. In short, their support was irrational- The other stresses the support offered by old workers with much experience in the labor movement. They were so dissatisfied with the conservative regime (1930-43) that they supported Perón as a rational choice to improve their labor conditions. This article pays attention to the fact that the old workers sometimes showed a psychological support to Perón, especially during the incident of 17 October 1945. Their national labor center called the CGT(Confederación General del Trabajo) approved on october 16 to launch a risky general strike in protest against the arrest of Perón. This aggressiveness of the CGT was considered irrelevant by the first interpretation, because according to it, the October 17 incident was carried out chiefly by new workers spontaneously and independently from all the labor organizations. The second interpretation considered that the CGT played an inportant role in mobilizing the mass demonstration for the next day and one author arguments that the CGT decided the general strike to maintain its prestige as a national center by accepting demands for general strike claimed from below. On the other hand, this article analyzes the decision of the CGT applying prospect theory, arguing that the old workers' attitude demonstrated risk acceptance under the loss domain in which they had fallen because of Perón's detention. In short, it is an effort to insert a psychological analysis to understand the origen of Peronism in a different way from the previous stuadies.
著者
嘉本 伊都子
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 = Contemporary society bulletin : 京都女子大学大学院現代社会研究科博士後期課程研究紀要 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.15, pp.43-58, 2021-03

明治国家は、1872年に壬申戸籍を作成し、結婚や離婚を新たな近代的な制度でコントロールを開始した。同年いわゆる芸娼妓解放令を国際的な対面上出すも、それは新たな近代的公娼制度への布石でもあった。検黴をうけ、登録された娼妓のみが、客と性的な関係を結ぶことができるシステムであった。大日本帝国の植民地拡大は、海外醜業婦と呼ばれる売春婦という国辱的な評価の拡大でもあった。その中には、湾妻、満妻とよばれる妾も含まれた。一方で写真花嫁も近代的な写真を交換して夫となる日本人男性のもとへ海をわたる花嫁たちもいた。花嫁であることを証明するためにハワイやアメリカの移民局では結婚式を挙げさせていた期間もあった。本稿は20世紀初頭、なぜ花嫁は海を渡るのか、当時妻になるとはどのような意味をもったのかを解明する。移民局での挙式のスタイルは、神前結婚という「伝統の発明」に引き継がれ、花嫁の無事到着を知らせる結婚写真は、〈伝統〉と〈モダニティ〉の接合が移民先にスピンオフしたものととらえられるのではないか。写真は更なる憧憬をかきたて、連鎖していった。内地での伝統と近代性の接合と同時に、あるいはそれよりもはやく、海を渡ることで近代性を獲得していた可能性を示す。 The Meiji government controled marriage and divorce through koseki (family registration) since 1872. In the same year the emancipation of Geigi and Syougi (geisha girls and prostitutes) also came into effect; however, this also marked the beginning of the modern Licensed Prostitution System. Only Syougi who had passed an examination for venereal diseases and possessed a license could have intimacy with the customer. As the Empire of Japan had extended its power, Japanese prostitutes had also appeared in many regions and acquired a certain reputation. Some of them became concubines as Wantsuma in Taiwan and Mantsuma in Manchuria; meanwhile, many picture brides crossed the sea after exchanging photographs with their husbands-to-be. It was quite natural for Hawaiian and American authorities to suspect them of being prostitutes. In order to prove they were really wives, the authorities required them to have a wedding ceremony and have their picture taken at the immigration office. This paper will examine why brides crossed the sea. What kind of connotation did becoming a wife have in those days? The wedding ceremony at the immigration office might have affected the ceremony boom of the invention of Shinto style weddings in the early twentieth century. Spinning off from modernity is a key concept of understanding why brides crossed the sea.
著者
戸田 真紀子 バイセンゲ フォーチュネ
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 = Contemporary society bulletin : 京都女子大学大学院現代社会研究科博士後期課程研究紀要 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.14, pp.29-43, 2020-03

The purpose of this study is to examine whether the high level of women's representation in politics contributes to change the patriarchal values in societies of Rwanda and Japan. There are many works on women's representation in parliament, but most studies focused on the causes of their under-representation. Also, most of the case studies have been conducted inside the Western context. With face to face interviews with female Parliamentarians in Rwanda and Japan, the study revealed positive effects of female political representation on patriarchal values. Although Rwandan society is still patriarchal, the increased number of female MPs in the Lower House contributed to the change in laws underpinning patriarchal norms (especially with regard to women's access and control over property, education and gender-based violence), and changed the community's attitude toward women's ability and leadership skills. As the Japanese society does not have a quota system yet, the presence of women in Lower House is very low and this facilitate the society in maintaining patriarchal values unchanged. Furthermore, the findings of this study demonstrate that state's political commitment and women's political organization in Rwanda have been at the base of these achievements.
著者
Pope Chris G.
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 : 京都女子大学大学院現代社会研究科紀要 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.14, pp.87-113, 2020-03-15

A wide range of research points towards a perfect storm of crises in the global political economy, unprecedented both in scale and urgency, that signals the unravelling of the current neoliberal world order. In its place we see a broad scope of political ideology returning to the fore of mainstream politics, most particularly the extreme-right and Fascism, across developed and developing countries alike. This paper argues that to avoid existential catastrophe, pathologies must be suitably identified, understood and addressed in a post-Recession global settlement. To do so, the article identifies and outlines the points of interconnectivity between three major existential crises in global finance, the global socioecological systems, and international labour/migration. Following this, the article examines the effectiveness of two holistic approaches to addressing these crises: the United Nations Sustainable Development Goals and the Green New Deal, before examining the possible nature of a new global settlement that might scale-up efforts to realizing a sustainable political economy before it is too late to respond. 現在の新自由主義的世界秩序の崩壊に繋がるリスクが複数の危機にあるということは、広範囲で様々な研究に主張されている。加えて、機能不全で不安定な世界政治経済体制における複数のリスクが組み合わせらており、人類文明の生存に対してリスクが高くて不確実な状況が迫りつつある。新自由主義の不正当化により、極右のファシズムといったような、過去にあった非常に危険な政治的イデイォロギーが、世界各地に現れて現状の政治的な主流に挑戦している。崩壊を回避するために、これらの危機に関する適切な診断と処方箋が必要であり、これによって新たな政治経済体制を構築すべきということは本研究の主張である。かくて、本研究は国際金融界、世界の社会・生態的システム及び国際労働と移民における3つの危機間の相互連鎖的な関係を解明し、国連持続可能開発目標(UN Sustainable Development Goals)とグリーン・ニュー・ディール(Green New Deal)である、崩壊を防ぐための総合的な対策の2 つを取り上げて、それぞれの計画の効果性を検討する。すると、持続可能な政治経済システムに対する迅速な転換の実現を加速させるための国際政治経済体制の改革のあり方を講じる。
著者
正木 大貴
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 = Contemporary society bulletin : 京都女子大学大学院現代社会研究科博士後期課程研究紀要 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.13, pp.123-136, 2019-03

The SNS has made a quantum leap of progress, the possibility of connecting people with others has spread. At the same time, we were also faced with difficulties in communication. The purpose of this paper is to clarify how the evolution of SNS and the way of human relations are affected. SNS is also used to maintain existing human relationships in addition to connecting with new people. Unlike a real human relationship, SNS is because we can communicate comfortably without being deeply involved with other parties. Nowadays, a superficial human relationship that avoids the risk of injuring or being hurt the opponent is required. This kind of "safe" relationship has advantages and disadvantages, and SNS has minimized its disadvantages. Because the negative side of SNS is not a strong connection, it is a point that it is necessary to obtain approval over and over again. Since "Like" function complements it, we can recognize each other by exchanging, so to speak, "light" approval. In addition, this "light" approval such as SNS has an influence on the diversified present interpersonal relationship. The "diversity" that we now acknowledge is not something that has been achieved in a deep understanding of each other, but also allows others to feel recognized.
著者
江口 聡
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 : 京都女子大学大学院現代社会研究科博士後期課程研究紀要 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.8, pp.75-89, 2014-03-15

倫理学における「幸福」をめぐる難問を概観したのちに、2000年代以降心理学・経済学の分野で大きな関心を集めている幸福の心理学から倫理学者は何を学ぶことができるかを考察する。
著者
西尾 久美子
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 = Contemporary society bulletin : 京都女子大学大学院現代社会研究科博士後期課程研究紀要 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.12, pp.107-122, 2018-03

This study is intended as a social scientific investigation for as to why in Japanese-style entertainment industry, Kyoto Geisha districts, The Takarazuka opera and AKB48, have maintained their high quality performances and survived to this day, with a focus on the structure of human resources development and business system. With a view towards examining more heuristic facts based on data, I found three peculiarity common points to those cases. 1. The entertainers of those entertainments have adequate opportunities to prove themselves. 2. Those entertainments have function as to create customer relationship, so that entertainers develop their career through the relationship. 3. Those opportunities work as like as an evaluation information system.
著者
上村 昌代 UEMURA Masayo
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 : 京都女子大学大学院現代社会研究科博士後期課程研究紀要 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.6, pp.33-58, 2012-03

近年、離婚後の両親の間で、子どもの親権、監護をめぐる争いが熾烈化している。実務家や学識者は、現行の父母離婚後の単独親権によって生じる問題点を指摘し、諸外国で採用されている共同親権・共同監護の検討を進めており、日本におけるその導入可能性を検討している。その導入により、養育費不払いや親権の奪い合いといった単独親権にともなう諸問題を解決することにつながるかどうかは、明らかではない。本稿は、まずわが国の離婚後の子どもの養育について、司法統計上の子どもの監護に関する事件数の推移、離婚母子家庭の母親へのアンケート結果、関連する裁判例の検討から、父母聞の争いが激化している現状を把握した上で、共同親権・共同監護制度を採用しているドイツ、アメリカ、韓国について、その導入の背景や現状をまとめる。実務家や学識者の聞では日本における共同親権・共同監護制度の導入に積極的な意見が多数見られるものの、その実現には課題も多い。しかし、子どもの福祉という観点からすると、単独親権によって生じる負の影響は子どもの心身の成育の妨げとなることは否定できない。親の離婚と子どもの養育とは区別するべきであり、親権や監護については子どもの利益を最優先に考えることが求められる。以上の考察を踏まえて、離婚後も親として共に親権・監護の責任を負う仕組みを作ることが重要で、あり、園、行政、民間団体が協力してそうしたシステムを整備する必要性を提言する。Parental right or Child custody battles between divorced fathers and mothers have been getting fierce in recent years. Pointing out the problems of the current legal arrangement of sole legal custody after divorce, practitioners and academics are investigating joint legal custody as adopted overseas in view of introducing it to Japan. It is not clear, at present. that the introduction resolves the problems relating to the sole legal custody system such as nonpayment of child support costs or custodial battles. In this paper, the reality of increasingly bitter battles among parents in Japan is laid out first. using the statistical trend of legal cases involving child custody, results from a questionnaire survey of divorced mothers and related legal cases. It then moves on to summarize the background and reality of the countries that adopted a joint legal custody system such as Germany, the US and South Korea. Though popular among practitioners and academics the introduction of a joint legal custody system is not without problems. However from the child's welfare point of view, there is no denying that negative impacts arising from the sole legal custody system affect the physical and mental development of a child. Divorce and child rearing should be dealt with separately and the child's interest should come first in making arrangements for legal custody. It is important to create a system where both parents share the parental responsibility after divorce and the paper proposes the necessity of creating such a system with cooperation involving the state, public administration and private organizations.
著者
依田 博 YODA Hiroshi
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.1, pp.39-64, 2007-03

本論文の目的は、ギデンズによる地政学的観点からの現代国家の類型に基づいて国家の多様性を示すことにある。そして、現代国家の地政学的位置は、当該国家の国内の政治経済状況の変化の影響を最も強く受ける、という仮説を検証する。冷戦が終結した現在、アメリカ合衆国が唯一の「中軸的/覇権的国家」であり、日本は、一貫して「中心的/(アメリカとの)同盟国家」である。中国とインドは、「中心的/非同盟国家」であり、中国は、安保理常任理事国としての国際的なスケールでの中心的国家であり、インドは、南アジア圏のそれである。インドが安保理常任理事国になると、国際的なスケールでの中心的国家になる可能性がある。両国は、長期にわたって国境紛争をかかえており、いずれも核保有国であり、中心的/非同盟国家としてライバル関係にある。また、かつてはいずれも帝国主義的な領域支配の野心を持たない「帝国」としての歴史を持っていたが、19世紀から20世紀前半にかけての帝国主義時代に領域を帝国主義国に蹂躙された経験を経て、両国は、現代的な中軸的/覇権的国家へと移行する可能性がある。つまり、国家がどのような姿を示すのかは、その国民がどのような政治体制のあり方を望むのかによってのみ決定されるのではなく、国際関係のあり様にも影響を受けるのである。The purposes of this paper are to identify the patterns of international relation of nation states from point of view of geopolitics, and to verify the hypothesis that the geopolitical position of any nation state would be influenced by a change of the international relation and internal conditions of the nation states. Most important elements of internal conditions are population, GDP, and military.