著者
江口 聡 EGUCHI Satoshi
出版者
京都女子大学現代社会学部
雑誌
現代社会研究 (ISSN:18842623)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.135-150, 2006-12

本稿では、しばしば倫理的に問題があるとされている「性的モノ化(客体化)」の問題を考察する。カントの『倫理学講義』に簡単に触れたあと、M. ヌスバウムの議論を検討する。続いて「モノ化」の(非)倫理性には哲学的な難問があり、「ポルノや売買春は女性をモノ化するから不正だ」というように簡単に言いきれるものではないこと、また、「自由な同意にもとづいたセックスにはまったく問題がない」とも言い切れないことを示したい。最後にセックスの哲学および倫理学の課題について触れる。In this paper, I shall consider the problem of "sexual objectification". I will examine Kant's position in his Lecture on Ethics and Martha Nussbaum's article "Objectification". I will try to show that "sexual objectification" contains many philosophical problems, and we can not simply insist that pornography and prostitution are wrong because they objectify women. Lastly I will comment upon the main subjects and the prospects of the philosophy and ethics of sex.

18 0 0 0 IR 性的モノ化再訪

著者
江口 聡
出版者
京都女子大学現代社会学部
雑誌
現代社会研究 (ISSN:18842623)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.101-114, 2019-01

「性的モノ化」は1970年代以降の第二派フェミニズムの中心的な概念の一つで、性犯罪、セクハラ、売買春、ポルノ1、美人コンテスト、性の商品化など、フェミニズムがとりあげた数多くの「女性」問題において、男性中心的な社会慣行(家父長制)における女性の隷属的地位を説明する概念としていまだに頻繁に用いられており、また哲学的な討議も続けられている(Papadaki, 2015)。この性的モノ化の問題は12年前の拙論「性的モノ化とセックスの倫理学」であつかった(江口, 2006, 本誌第9号)。前回この問題をとりあげたのは、「セックスの哲学」という、当時国内では関心の低かった応用哲学・倫理学の一分野の問題領域と興味深さを示すためであった。しかしその後この「モノ化」の問題はますます哲学者たちの関心をひくと同時に、性の商品化が盛んになっている現代社会で一般の興味をひくようになっているために、再度考察してみたい。Various forms of "sexual objectification" have long been criticized by feminist authors. This essay reconsiders the feminist conceptions of "sexual objectification" and argue that, (1) "objectification" is not always immoral, (2) not only men but also women may sometimes (and often) be objectifying members of the opposite sex, and (3) some forms of objectification, especially self-objectification, sometimes may be beneficial and even empowering. Feminist conceptions of "objectification" have to be reconsidered and reconstructed through empirical studies.
著者
江口 聡
出版者
日本医学哲学・倫理学会
雑誌
医学哲学 医学倫理 (ISSN:02896427)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.19-28, 2010-09-24 (Released:2018-02-01)

After briefly reviewing the philosophical controversy on abortion, I will introduce Don Marquis' "future-like-ours" argument and its various critiques. Marquis insists that (1) it is seriously immoral to kill us because killing deprives us of our valuable futures, and (2) a human fetus has a future like ours, therefore (3) it is seriously immoral to kill a human fetus. His argument is very simple but plausible, and not easy to rebut. Possible objections to his argument are (1) an objection from negligence of the women's viewpoint, (2) a ruductio ad absurdum objection from contraception, (3) an objection from metaethical analysis of "loss" and "deprivation", (4) an objection from personal identity and non-similarity of a fetus and us, and (5) a metaethical objection from relation of value and desire. I argue that objection (5), which relies on the desire account of value, is most powerful, if we are to account for modifications and qualifications of "desire", such that desire should be interpreted as "dispositional desire" and desires should be "rational and well-informed". But these objections also have a significant burden of philosophical justification.
著者
江口 聡
出版者
京都女子大学現代社会学部
雑誌
現代社会研究 (ISSN:18842623)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.69-84, 2016-12

性暴力やセクシャルハラスメント(セクハラ)に対する意識が高まっているが、性的な「同意」の問題の哲学的・実践的な複雑さの問題は、国内では十分議論されていないように見える。本稿では、⑴レイプ神話とその解体、⑵恋愛指南本における性暴力の危険、⑶性暴力対策としての「Yes Means Yes」の動きを見たあとで、インフォームドコンセントという観点から見た場合のセックスにおける同意にまつわる難問がいかにして生じているのかを見てみたい。In this paper, I invite you to a philosophical analysis of "Sexual Consent". After briefly reviewing notorious "Rape Myths", I will show the world of so-called "Pick-Up Artists" in 2000's and the social concerns about their practice. Next I will introduce the "Affirmative Consent" movements of 2010's. I introduce and try to analyze the importance of legacy of Antioch College's "Sexual Offense Prevention Policy"( 1992) in reference to the standard "Informed Consent Model" in medical practices, and show how complicated and difficult the problem of "sexual consent" is.
著者
江口 聡 EGUCHI Satoshi
出版者
京都女子大学現代社会学部
雑誌
現代社会研究 (ISSN:18842623)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.37-54, 2012-12

本論ではキェルケゴールの著作活動を、彼自身の鬱病的生涯とそれに対する彼の対応という観点から見直す。まず「メランコリー」概念の歴史的変遷と、20世紀までの「鬱」についての精神医学の発展を見た上で、キェルケゴールの著作における否定的な気分が現代の精神医学者たちの知見とよく合致することを論じる。さらにキェルケゴールが現代の鬱病療法についてどのような見解を持つだろうかを考えてみる。It is well known that Søren Kierkegaard suffered from serious depression. I will try to reread his works in light of modern psychiatry. In his writings, Kierkegaard depicted his morbid states of depression very exactly, and his "aesthetical" works as a whole can be interpreted as a prescription for his illness.
著者
江口 聡 EGUCHI Satoshi
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.1, pp.23-37, 2007-03

国内のジェンダー論・セクシュアリティ論に大きな影響を持つジュディス・バトラーの『触発する言葉』(バトラー, 2004)2)は、英国の哲学者J. L. オースティンの言語行為論を積極的に援用あるいは「脱構築」し、憎悪表現、ポルノグラフィなどの社会的・法的問題を扱っている。しかしこのバトラーの解釈はさまざまな問題がある3)。ここでは、バトラーの曖昧で難解な4)議論を追うことはできない。しかしバトラーの議論全体は、レイ・ラングトンの論文(Langton,1993)のオースティン解釈に多くを負っており5)、またラングトンの議論は哲学的にも実践的にも興味深いものであって、この議論の魅力とその弱点は正確に理解される必要があると思われる6)。そのための作業として、本論では「言語行為speech act」としてポルノグラフィや憎悪表現をとらえることが、どの程度の理論的含意を持つのかを確かめたい。In this paper, I will introduce Rae Langton's approach to the problems of pornography in her "Speech Acts and Unspeakable Acts". I will try to show that her approach has a merit of being philosophically interesting and practically important, but has some fundamental flaws. Pace Langton, I will show that "act" of pornographic expression should be considered as perlocutional act, and we need some empirical evidences of harms in order to regulate pornography legally. In conclusion, I will argue that we need psychological / phenomenological investigations how ordinry men read, watch, and experience pornography.
著者
江口 聡
出版者
京都女子大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2003

本年度はコンピュータの集団的な利用による「責任の曖昧化」の問題を検討した。Therac-25に代表される高度な技術や、コンピュータ・ウィルス、ネットワークによる投票、P2Pファイル交換ソフトウェア等はどれも誰がどのような行為を行なったのかという点を不明確にし、それゆえ責任の所在がわかりにくくなる原因となる。このような問題を扱うには「責任」の本来的な意味が「賠償責任」であるのか、最近一部の論者によって提出されている「応答責任」なのかを明確にする必要がある。報告者の分析によれば、通常提出されている「応答責任論」は「責任を問う」ことと「責任がある」ことの違いを見失っている可能性がある。この点は上で述べたような集団責任の問題をとりあげれば明白になる。集団的な責任においては、(1)責任を問うべき個人が誰であるか明らかでなく、(2)個人を見た場合その落ち度はささいな場合が多く、(3)他人の行為について応答するということの意味が不明確である。報告者の主張では、われわれは責任の問題をあつかうにあたって、伝統的な目的論的な解釈をおこなうべきである。「責任」という概念の中心にあるのは「非難」であり、社会的に望ましくない結果を抑止あるいは予防し、加害者の教育や被害者の救済その他の目的のための手段としてプラグマチックに解釈するべきである。つまり責任という制度は、そのような制度を採用することの帰結によって正当化されるような擬制にすぎない。より詳細な研究成果は、平成18年度に各種学会および刊行物で公開する予定である。
著者
澤 敬子 南野 佳代 江口 聡 岡野 八代 藤本 亮 渡辺 千原 中山 竜一
出版者
京都女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

本研究の目的は、日本のロースクールにおけるジェンダー法学教育のあり方を模索する基本資料として、アメリカロースクールの著名なジェンダー法学教育担当者に対し、ジェンダー法学がロースクールで教えられるようになるまでの軌跡、現在の教育においての課題等をインタビュー調査することにある。主たる調査結果は、「ジェンダーの視点を法学教育に生かすための諸課題-米国フェミニズム法学教育者インタビュー調査から」(『現代社会研究』8号、pp.49-66、2005)で発表し、本科研報告書においても、この研究をもとに、日本における課題を検討している。調査により、アメリカにおいてジェンダー法学教育は、現在、ロースクールにおいてほぼ制度化され、特化されたジェンダー科目として、および/または実定法学の授業での論点として教えられていることが明らかになった。調査における注目点として、ジェンダー科目を最も習得するべきである学生が、ジェンダー科目が選択科目である限り履修しないこと、特化されたジェンダー科目と実定法学での論点として教える二方法のバランス、学生の多様なニーズにどのように答えて授業を行なうか、教育担当者のエンパワメントや研究推進など横の連携の方法などであった。本研究では、これら課題に対する米教育者らの対応についても調査している。とりわけ、教え方のバランスと選択履修の問題は、日本のロースクール教育においても既に重要な論点であり、米国での取り組みは、ロースクール授業に限らない「大学におけるジェンダー法教育」全般を視野に入れた教育としての取り組みの必要性を示唆している。
著者
後藤 美希 鈴木 蓉子 竹入 洋太郎 大村 美穂 神野 雄一 竹内 真 永井 美和子 江口 聡子 中林 稔 東梅 久子 横尾 郁子 有本 貴英
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.289-294, 2021-03-10

▶概要 常勤内視鏡技術認定医不在下で子宮体癌に対する腹腔鏡手術を導入し,治療成績について以前の開腹手術症例と後方視的に比較検討した.腹腔鏡手術では開腹手術に比べて出血量の減少,術後在院日数の短縮を認めた.合併症に関しては重篤なものは認めず安全に腹腔鏡手術の導入ができたと思われるが,腹腔鏡手術で有意に多いという結果になり,そのうちの50%は下肢の神経障害であった.いずれもBMI30以上の肥満症例であり,術者が手術操作に熟練するまでは手術適応のBMI基準を低く設定することも必要と考えられた.また,内視鏡技術認定医と婦人科悪性腫瘍専門医が密に連携して手術操作を行うことが重要と思われた.
著者
江口 聡 澤 敬子 藤本 亮 SAWA Keiko 藤本 亮 FUJIMOTO Akira 南野 佳代 MINAMINO Kayo 望月 清世 MOCHIZUKI Sawayo
出版者
京都女子大学現代社会学部
雑誌
現代社会研究 (ISSN:18842623)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.93-114, 2004-01

科学研究費補助金基盤研究(C)(2)「ジェンダー理論の法学教育への統合的モデル構築にむけた現状と課題の実践的研究」の2002年度研究経過報告である本稿は、米国フェミニズム法学のケースブックに基づき、以下の分野を扱う。第1章は、マイノリティの観点である批判的人種フェミニズムからの法学およびフェミニズム法学への批判と貢献を検討し、第2章はアファーマティヴ・アクション導入以来の批判派対擁護派の論争を整理し、平等概念、能力主義基準自体の歴史性を指摘する。第3章は、ポルノグラフィにかんして自由論者と規制論者の論点と、ポルノ規制条例にかんする判決を取り上げる。第4章は、なぜ法と女性とのかかわりにおいて「親密な関係」を統制する法が重視されるのか、婚姻関係内部の権力関係と婚姻可能性の権力性を検討し、第5章は、他者のケアを引き受ける者が置かれがちな経済的依存状態について、平等の観点から、ありうべき社会保障モデルを検討する。
著者
江口 聡
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 : 京都女子大学大学院現代社会研究科博士後期課程研究紀要 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.8, pp.75-89, 2014-03-15

倫理学における「幸福」をめぐる難問を概観したのちに、2000年代以降心理学・経済学の分野で大きな関心を集めている幸福の心理学から倫理学者は何を学ぶことができるかを考察する。
著者
江口 聡 EGUCHI Satoshi
出版者
京都女子大学現代社会学部
雑誌
現代社会研究 (ISSN:18842623)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.119-135, 2007-12

本稿では、国内の生命倫理学研究者の間ではマイケル・トゥーリーらに代表される「パーソン論」と呼ばれる考え方が正確に理解されておらず、それが国内の生命倫理学の健全な発展を阻害している可能性があることを指摘する。In this paper, I will show that many Japanese bioethicists have long misunderstood Michael Tooley's seminal article "Abortion and Infanticide" and other philosophers' important arguments, and this has caused much trouble in discussing abortion issues in Japan.
著者
江口 聡
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. FACE, 情報通信倫理
巻号頁・発行日
vol.97, no.607, pp.7-12, 1998-03-16
被引用文献数
1

本論では、システム侵入の倫理的問題を考察する。主としてE.Spaffordの有名な論文「コンピュータハッカー侵入は倫理的か?」を取り上げ、彼の「システム侵入は明らかな害悪がなくとも非倫理的である」という主張の説得力のある部分は、彼の本来の意図に反して、望ましくない結果が生じるという帰結主義的なものであることを明らかにし、この立場からシステム侵入の問題を再考察する必要性を提唱する。