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昭和13年に出版された「大和めぐり」という本に、川原寺のことが書かれています。(コマ番号6/36) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1094105/6?viewMode= 「川原寺(弘福寺)址 (指定史蹟) 高市郡高市村川原 当寺は斉明天皇の川原宮(又は河辺宮)を改め給ふたもので(或は敏達天皇の十二年蘇我馬子の創立とも云ふ)、天武天皇の朝には、奈良三大寺の一 ...
「海東諸国記」は、デジタルコレクションでも閲覧できます。(コマ番号17/161) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1193135 また、「大日本地名辞書」にも対馬の地名が解説されています。(コマ番号818/933) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2937057/818?tocOpened=1 「海東諸国記」所収の「日 ...

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[蔵書印][デジコレ][図書館][国会図書館] 「奈良地方裁判所図書之印」
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吉田東伍はなぜ「植山」を「上ん山」 https://t.co/v0hTtn83GR でも「上山」 https://t.co/Z9Z7YjVNNO でもなく「宇山(旧上山村)」と書いたのか https://t.co/RFMPqbCtTv 理由は書いてない。 読みからなのか地域伝承からなのか他か。でも無根拠に創作する学者ではないような。椿井文書みたいなのとは https://t.co/ZstXNggcN3
椿井文書P.221は日本紀略「河内国植山」から旧上山村=旧宇山村と推測したと云うけど それは『大阪府全志』(1922)の仮説 https://t.co/pK1x1vzUUV で、 蝦夷トウリョウ処刑伝承の源泉とされた https://t.co/IJNpNAXShw 吉田東伍『大日本地名辞書』(1900) https://t.co/RFMPqbkkFn の主張ではない. https://t.co/1apmFUOOcg
『日本紀略』にアテルイ河内国で斬ある。 枚方市も河内国。ただ、その場所が旧交野郡宇山村という文字記録は 歴史地理学者吉田東吾『大日本地名辞書』(1900) https://t.co/8vTzfLcBac 以前には無い。 『椿井文書』(2020)では吉田が地域伝承の始まりと前提しているものの、 その証拠もまた無い。 https://t.co/oIo8dVnuRW
『椿井文書』(2020)は歴史地理学者吉田東吾の1900年『大日本地名辞書』が 著者も地元民から聴いた蝦夷トウリョウ処罰伝承の元だと前提してるけど、 もしそうなら、埋葬地は現在の伝王仁墓に設定されてるはずだから矛盾だよねhttps://t.co/RFMPqbCtTv
飯沼雅行先生、吉田東吾の様な歴史地理学者は自分で採話したものしか地名辞書に掲載しないのですか? 『椿井文書』(2020)はアテルイ塚は1900年『大日本地名辞書』由来を前提としてるみたいだけれど、 王仁墓説も併記した上で否定してそれはアテルイの墓では?と書いてるよ https://t.co/RFMPqbCtTv
いわゆるアテルイの首塚も、『椿井文書』2020,中公新書等で そこから360m離れた胴塚=古墳の『蝦夷トウリョウ処刑伝承』を 1900年『大日本地名辞書』 https://t.co/p3Sulvd3tY 由来と即断し https://t.co/J4HMOw7Pim 、 市民から聴いていた伝承の存在を抹消したもの
1965年の歴史学者・今井啓一『百済王敬福』,綜芸舎,は 伝アテルイの塚の大きなきっかけ https://t.co/55ecvTPIhP 。 1900年歴史学者・吉田東伍の『大日本地名辞書』 https://t.co/RFMPqbCtTv は1922年大阪府全志 https://t.co/pK1x1viRSV 1951年枚方市史へ引き継がれたけれど
1900年吉田東伍がアテルイの墓は現・伝王仁墓、処罰さは枚方市の宇山と書いた根拠が不明で。 「宇山……延暦二十一年坂上田村麿蝦夷二酋を河内植山に斬ると云ふは此なるべし……乃斬於河内植山。〇宇山の東一里菅原村大字藤坂に鬼墓あり夷酋の墳歟」大日本地名辞書,冨山房 https://t.co/RFMPqbkkFn
1895年11月23日大阪朝日新聞で歴史学者の内藤湖南と前内閣府書記官長高橋健三が伝王仁墓の由来を聞き https://t.co/y36OjZmnHv 1900年『大日本地名辞書』で歴史地理学者の吉田東伍は伝王仁墓=鬼墓を宇山で斬られたアテルイの墓と言いだしhttps://t.co/RFMPqbCtTv 椿井文書メモ
1900年『大日本地名辞書』で吉田東伍は伝王仁墓=鬼墓を宇山で斬られたアテルイの墓と言いだしたけど https://t.co/RFMPqbCtTv 、 椿井家系図収録の『諸系譜』編者の中田憲信と吉田東伍は 1900年設立された帝国古蹟取調会(会長九条道孝公爵)メンバー https://t.co/4Sd5SlYxNo 椿井文書メモ
1900年吉田東伍『大日本地名辞書』 https://t.co/p3Sulvu6vY の通り 斬られたのは蝦夷の統領ではなく「アテルイとモレ」と伝承されているはずだし、 埋葬地は藤坂の伝王仁墓である鬼墓でないと矛盾するから、 即断は【伝承があった史実】を消去しただけではないのかな。 〇椿井文書
『世継神社縁起之事』は「天野川」という漢字を使用してるけど、 1900年大日本地名辞書 https://t.co/jG5f8DQBpe 以前にその漢字を使用した文書を探せない。 天ノ川(淡海木間攫)天川(近江輿地志略) https://t.co/T7Us6DcyHt とかならあるんだけれど。 椿井文書メモ https://t.co/hGTJFmalE5
吉田東伍の大日本地名辞書(1900年初版)によると、 米原市の天野川は息長川として掲載されているんだ。 天野川は「あまのがわ」ではなく「てんのかわ」と読むみたい。 箕浦川とも呼ばれていたそうな。 https://t.co/jG5f8DQBpe
1900年(明治33年)『大日本地名辞書』 https://t.co/BBJSmR9Hqe や 1912年(明治45年)『出石名所旧跡略記』 https://t.co/dWrdUGEQqT には #辰鼓楼 は出て来ない。
Google Booksで辰鼓楼を検索。 一番古いのは1977年「兵庫県十八藩史 : 近世の城と陣屋」森口忠,中外書房 https://t.co/0c9tpg7XYn 。 1900年『大日本地名辞書』には無い https://t.co/BBJSmR9Hqe 「日本最古じゃなかった」正直に言うべきか、どうしよう… | NHKニュース https://t.co/iKCHopKNyk https://t.co/lQ9Xv4JdNT
大日本地名辞書,1900年初版1907年第二版に無いのが不可解 https://t.co/BBJSmR9Hqe https://t.co/1TY1yz2k4r
宇山=日本紀略の河内植山 と吉田東伍は大日本地名辞書へ書いたけど、 何が理由なのかは書いていないです https://t.co/p3Sulvu6vY 椿井文書論 https://t.co/dI9QBTtSlD
経国集で王仁末裔?船氏の問う中華圏の郊祀 https://t.co/pEc5fgM6RY 。 枚方市交野市での郊祀 https://t.co/a41bpuBbLW は六国史に。 1900年吉田東吾が急に王仁の墓はアテルイの墓と言い出した https://t.co/8vTzfLcBac 。 なぜそこに王仁墓があるのかの史料の作成が椿井文書へ依頼されたかも、と https://t.co/FWp2yv2HLg
なぜ吉田東伍は伝王仁墓は実はアテルイの墓とちゃうの https://t.co/RFMPqbkkFn ?と書いたんだろう? だから『百濟墓與紀』とでっち上げたの?? https://t.co/Xobx1hhQvT 宇山東町の古墳の伝承は蝦夷の頭領でアテルイと限定してないのに。 明治時代の業者の偽作又は中村直勝の云う椿井文書? https://t.co/vsV4QTVdYT
@TaniYoko 河内名所図会6巻 「藤坂村の東北御墓谷にあり石標王仁之墓」 https://t.co/Qux3NLeH8Q 1895年前内閣府書記官長高橋健三(吟淵)と内藤湖南 https://t.co/jQru2z1LCM 1900年大日本地名辞書 「大字藤坂に鬼墓あり夷酋の墳歟」 https://t.co/p3Sulvu6vY 2005年椿井文書論文では津田の新田=藤坂
木梨軽皇子を朝妻王廟、 軽大娘皇女を朝妻皇女・朝妻女王廟へと仮託して、 星川稚宮皇子の死後に誕生しただろう朝妻皇女と天野川(てんのかわ) https://t.co/jG5f8DQBpe あの世の川で仏道に励み恋に落ち逢うも禁になったのかも? https://t.co/PcGtiRolS1 これがもし椿井文書なら、歌好き作者??
@pririn_ 筑摩神社所蔵『筑摩社并七箇所之圖』へ 「息長川」と描いたのは椿井文書の椿井政隆(1770-1837)なのか、 1900年大日本地名辞書が息長川は天野川と書いた https://t.co/AIeYHNsCZC 以降の書き込みなのかは、 墨の成分分析でわかるかしら?
@TaniYoko 吉田東伍は日本書紀の息長横河、続日本紀の横川頓宮+ 更級日記「不破の關、あつみの山など越えて、近江國おきなかといふ人の家にやどりて」を引き横川驛=息長=醒井としてる https://t.co/VsuBzlNNGC 。それが正しければ天野川=息長川は有力か https://t.co/RbzkYrD95p ? 一番最初は椿井文書なの?
@TaniYoko 大日本地名辞書にも息長川は天野川(てんのかわ)と書かれてるから https://t.co/jG5f8DQBpe 、 もし藤原胤政『筑摩社並七ヶ寺之絵圖』が椿井政隆(1770-1837)の椿井文書なら、1900年以前に吉田東伍は見てるかも。
吉田東伍も天野川(てんのかわ)は息長川と書くけど、これも椿井文書の『筑摩社並七ヶ寺之絵図』の影響なの? https://t.co/jG5f8DQBpe https://t.co/dxihGTIH4P
@sitesirius @YouTube 天皇陵が多いので、草葉の陰だと思います https://t.co/nI1Jk8cHdi
大日本地名辞書 上巻 二版、見つけた。 https://t.co/z8kbV6ktdM
大日本地名辞書の坂田郡 https://t.co/q1ZOVxwqFc にも、 雄朝嬬稚子宿禰天皇皇后の妹 弟姫(オトヒメ)衣通郎姫(ソトオシノイラツメ)について書いてある https://t.co/g8yPlaRvSt 。 衣通姫(そとおりひめ)と読まれるようになった時代から、七夕=天稚彦草子と同一視されはじめたのかな?
1895年前内閣府書記官長高橋健三(別号:吟淵)が内藤虎次郎と王仁墓を訪れた墓石の由緒を発表する(11月23日・26日大阪朝日新聞) 1900年吉田東伍『大日本地名辞書』がアテルイは宇山で斬られその墓は伝王仁墓となっている鬼墓と書く https://t.co/8vTzfLcBac #椿井文書
伝王仁墓は実はアテルイ墓と吉田東伍が書いた第二版が出た https://t.co/RFMPqbkkFn 翌年の 1908年『王仁墳廟来朝記』は公になった https://t.co/Xobx1hhQvT 。 でも大阪朝日新聞昭和一四(1939)年十月十日朝刊は、幕府系図方にあったものを明治元年頃村人が買ったと書いた。 #椿井文書
『椿井文書』に登場する三ノ宮神社は雨乞いの神 https://t.co/A2Z0JPqrJs 。 旧氷室村尊延寺 https://t.co/bnY443Vqwk で能・氷室が演じられたのは(『由緒・偽文書と地域社会』P.47) 雨乞いの龍王山 https://t.co/RFMPqbkkFn からすぐの氷室山八葉蓮華寺 https://t.co/KmogBiEse0 にかけたものでは?
1900年吉田東伍,大日本地名辞書,冨山房で伝王仁墓はアテルイの墓と書かれてしまう「宇山……延暦二十一年坂上田村麿蝦夷二酋を河内植山に斬ると云ふは此なるべし……乃斬於河内植山。〇宇山の東一里菅原村大字藤坂に鬼墓あり夷酋の墳歟」 #椿井文書 https://t.co/RFMPqbkkFn
@Rjanaiyo 但し万葉集では楢の字を当てることもあったようです(読みにくいが左ページの右上) https://t.co/7VsjkWcpNv
「宇山……延暦二十一年坂上田村麿蝦夷二酋を河内植山に斬ると云ふは此なるべし……乃斬於河内植山。〇宇山の東一里菅原村大字藤坂に鬼墓あり夷酋の墳歟」吉田東伍,大日本地名辞書,冨山房,1900 #アテルイ #椿井文書 https://t.co/RFMPqbkkFn
苗字を研究するためには地名についても学ばなければならないが、先駆的な地名辞典としては『大日本地名辞書』がある。これは在野の吉田東伍氏が起稿から13年の歳月をかけて明治40年に完成させた労作である。地名発祥の氏族、土地を支配した豪族についても触れている。 https://t.co/FeAvLj31G1 https://t.co/arjkGOYtjb
でも長髄彦が愛瀰詩烏(エミシ)という記述は無い。 吉田東伍は安東(安藤)氏研究のアカデミアにおけるパイオニアだったそうだけど、 それゆえ長髄彦の主・饒速日命が降りたった交野郡の鬼墓を「夷酋の墳歟」と力説したのでは #東日流外三郡誌 https://t.co/RFMPqbkkFn #椿井文書
吉田東伍は鬼墓(伝王仁墓)を夷酋の墳歟と https://t.co/8vTzfLcBac 田宮さんの奥さん https://t.co/UsSnebXiqd が編集者のむくげ通信 https://t.co/5PA4NwGBfU は 伝王仁墓を書き https://t.co/PS0ShsEhif 、 田宮さんは女性へ「昔、エゾの酋長が斬られた話があります」と信じ込ませた? #椿井文書 https://t.co/StOXi8wcfe
饒速日命-長髄彦-安東氏の安日- 曾我氏-曽我物語。阿弖利為・・・「宇山……延暦二十一年坂上田村麿蝦夷二酋を河内植山に斬ると云ふは此なるべし……藤坂に鬼墓あり夷酋の墳歟」P.310,吉田東伍,大日本地名辞書,上巻,二版,冨山房,1907年(初版は1900年) #アテルイ #椿井文書 https://t.co/RFMPqbkkFn
大日本地名辞書「宇山」の項に夷酋の墳歟と書かれた枚方市藤阪の鬼墓 https://t.co/RFMPqbkkFn 。 津軽安東氏系図の安日長髄彦? 伊治呰麻呂? #アテルイ ? #椿井文書
秋田家系図 https://t.co/CMohiyCqrE では蝦夷の祖・安日彦(鬼王)は神武天皇と戦った長髄彦の兄弟 https://t.co/wTELNFDpyJ だから"夷酋の墳歟"なのか「宇山の東一里菅原村大字藤坂に鬼墓あり夷酋の墳歟」吉田東伍,大日本地名辞書 https://t.co/RFMPqbkkFn #アテルイ #椿井文書 #東日流外三郡誌
一番謎なのは日本歴史地理学会創始者 吉田東伍早稲田大学教授の 1900年の伝博士王仁墓である自然石、通称オニ墓は #アテルイ の墓という大日本地名辞書の記述 https://t.co/RFMPqbkkFn 。 1992年新装版も販売されてる https://t.co/lQ5jo5Gx9V 。 それ地元住民のせい? #椿井文書 #王仁 https://t.co/ywCFrc5nSg
枚方市内に #アテルイ の墓ありと書いたのは明治33年初版の「大日本地名辞書」 https://t.co/RFMPqbkkFn で著者は日本歴史地理学会創始者吉田東伍早稲田大学教授だよ。 「これは昭和の末に捏造された、明らかな偽史なんですが、」P.44週刊文春6/18号 #椿井文書 https://t.co/6kVHwN0csO
大日本地名辞書 上巻 二版 https://t.co/Vq1mtCWyqc 下巻 二版 https://t.co/u0MtX6rHaZ
@Kino_see 日本歴史地理学会創始者の吉田東伍早稲田大学教授 https://t.co/8vTzfLcBac も、 胴塚発掘調査の結果江戸時代アテルイと思い祭祀されていたと書いた 瀬川芳則氏も、「自治体」ではなく兵庫県出身の学者です。 #椿井文書
@lico_nekoUK 1900年理由はわからないけれど突然、 吉田東伍早稲田大学教授が『大日本地名辞書』にて 阿弖利為は枚方市旧宇山村で斬られ旧藤阪村オニ墓で葬られたと書いてから、 https://t.co/RFMPqbkkFn なんとなく枚方市だろうということに。 #アテルイ #椿井文書
首塚の対である胴塚の発掘出土品から「江戸時代の人が、ここを阿弖流為の墓だと考えていたらしい」と瀬川芳則氏がまんだ38号,1989年で推定しているから、 1900年吉田東伍が伝承の一番初めとは限らない。 https://t.co/RFMPqbkkFn #椿井文書 #アテルイ https://t.co/jWOV1k81Kk
(゜-゜)日本歴史地理学会創始者の吉田東伍が嘘をつくわけないと思うにゃ「宇山の東一里菅原村大字藤坂に鬼墓あり夷酋の墳歟 https://t.co/RFMPqbkkFn 」大日本地名辞書,1907 「目の前には、明らかに偽物なのだが、そういうことがあったならば面白いという内容の記された文書がある」 #椿井文書
吉田東伍早稲田大学教授が大日本地名辞書で「王仁墓」って書いてるのにね(右ページの右下) #椿井文書 https://t.co/RFMPqbkkFn https://t.co/K6L51p7n7z
なにより、吉田東伍早稲田大学教授が大日本地名辞書で書いた #アテルイ は宇山で斬られ藤阪で埋葬された説を否定できる証拠が強まるかも https://t.co/RFMPqbkkFn 。 #椿井文書
。「斬られたのは宇山」説が更に 角川地名大辞典1983→日本歴史地名大系第二八巻と掲載されたから、 #アテルイ の水沢市が熱烈に枚方の宇山へ碑を建設したいとなってしまったのは当然で、伝王仁墓と同じく学者さん達が「そそのかした」んだよ。笑 #椿井文書 https://t.co/RFMPqbkkFn
で、歯痛石後ろに博士王仁之墓が建てられ https://t.co/thYOYOSQLy 、 1827年有栖川宮様の「博士王仁墳」の碑が建てられたのに https://t.co/FSkPDQ774A 、 1900年新潟出身の吉田東伍が #アテルイ の墓と大日本地名辞書に書いた https://t.co/RFMPqbkkFn そして 1911年三宅源治郎文書では #椿井文書
#アテルイ は日本略記久邇宮版に「斬……河内国植山(うえやま)」 https://t.co/5AAJFLy6k3 と書いてあるから、宇山村の以前の名前である旧上山(うえやま)村である宇山が該当地だと大日本地名辞典が1900年書いた https://t.co/hcBJ9OI7sW のは了解可能だけれど #椿井文書
でも1900年大日本地名辞書が河内国植山=宇山で、墓は藤坂の鬼塚(1731年京都の儒学者の思いいれで王仁博士墓になってもた https://t.co/fZHWYms7kZ )と書き https://t.co/hcBJ9OI7sW 大阪府志も枚方市史(1951)もそれを宇山だと引用したから混乱拍車。悪いのは地域性じゃなく、学者やんww #アテルイ
1900年が初版の大日本地名辞書には #アテルイ 終焉の地・河内植山は枚方市の宇山と書いてあるから、先祖代々の人達はこの記述を知っていたろうと思う。大阪府全史にも書いてある。 https://t.co/hcBJ9OZIRw https://t.co/j6jZIbmFn8
日本紀略の一系統も1897~1901年国史大系,第5巻も斬られた地は「河内国植山 https://t.co/5AAJFLy6k3 」と書き、1900年初版の大日本地名辞書 https://t.co/hcBJ9OI7sW と1922年大阪府全志P.1338と1951年枚方市史1951年P.125は宇山=植山=阿弖流為が斬刑の地と記載したから市民も読んでたかも #アテルイ https://t.co/FTyr2enEdZ
在原業平さんの「恩賀島」、本当は「遠賀島」だったりして。そもそも厳島や宗像三女神はこっちのはず。 大日本地名辞書 上巻 二版 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/ZQLUVE4En5 厳島神社(芦屋) ..::産土神名帳::.. https://t.co/pq0yUWOWHt https://t.co/4SqFwoI8QQ
「穂浪(ほなみ)郡堅磐(かたしわ)郷」と「日鷹堅磐(ひたかのかたしわ)」 大日本地名辞書 上巻 二版 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/4IvrZHtPSk 日鷹堅磐 - Wikipedia https://t.co/X7x93VJagv "日本古代の豪族。外交官。" https://t.co/zCcryQaokr
インターネットで見れるのはありがたい。下は筑前国からのurl。 大日本地名辞書 上巻 二版 吉田東伍 著 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/LNVVDok3Sz

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編集者: Kiyoweap
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